自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

人生の楽しみ?自分の人生の楽しみ

どうだろうか。

人生とはひたすら勝負であると思うのだが。

題名 - 人生の楽しみ?自分の人生の楽しみ
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人生の楽しみ?人生の楽しみは何?自分の人生の楽しみは?


人生の楽しみ



私の人生の楽しみは浜田省吾のJBOY。

この曲を聴くとむなしさが漂ってくる。



人生とは何だろうかという疑問にとりつかれる。

ずいぶんと遠回りをしてきたとしみじみと思う。



そういう人生を教えてくれるのが、まさしく人生の楽しみなのである。



ずいぶんと寄り道をしてきた自分の人生を思いやる。

人生の楽しみに浸り急にセンチメンタルになってくる。



でも、遠回りしてもいいじゃないか。

寄り道してもいいじゃないか、それが人生の楽しみ。



どれもこれも人生には間違いはない。

今が最適な答えを出している、人生の楽しみを謳歌している人生に違いはないのだから・・・



人生の楽しみとは何だろう。

誰もが思い描く疑問である。



そして人生の楽しみの答えを見つけらる人は人類のほんの一握りのように思われる。

どうだろうか。



人生とはひたすら勝負であると思うのだが。



せっかくこの世に生まれてきたのだ、人生の楽しみを味わわなくてなんとする。

遠慮して何の得があるだろうか。



いや損得じゃないな。

人生とは人生の楽しみを求めて損得抜きで思いっきり勝負に出ることだと思うよ・・・



人生とは、我らの持てるものの全てを懸けて、すなわち、肉体と脳みその、この二つをもって人生の楽しみを賭けて勝負することだろう。

生きるとは、結局のところ、こういうことだ。



いや、我らが、生きる手立てはこれしかないと言える。

そう、人生の楽しみをかけた戦い、これ以外には何もないんだ。



自分の肉体と脳みそを、どれほど活用できるか。

世の中とは、要するに、その能力の違いによって勝者と敗者に分かたれる。



敗者は、人生の楽しみから外されて、自分の持ち物の性能を引き出さずに、世間に媚びて生き延びる。

己の可能性を問わずして、自分を安く定め、己が何者なのかを知らずして、小者へと身をやつすのである。


題名 - 人生の楽しみ?自分の人生の楽しみ
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我らは、いうなれば、森に迷い込んだ子羊だろうか。

人生の楽しみを探し求めて道に迷ってるんだ。



あるいは、出口が見つかるまでは、じっとして、その場の厳しさを耐え忍ぶ。



人生の楽しみなんのその、就職できなければ、何とかアルバイトで食いつなぐしかない。

上司に取り入らないと生きていけないなら、ごまをするしかない。



顧客が物を買ってくれないなら、土下座してでも買ってもらうしかない。

そうやって人生の楽しみを打ち捨てて、迷った先々の環境に、敏感に順応するしか生きる道はないのだ。


ある者は、与えられた仕事を早くこなし。

またある者は、同じ仕事に倍の時間をかける。



人生の楽しみの外に置かれた人の勝ち負けとは、まったく意に沿わぬ場所での、このような小さな勝負で決してしまうである。

熱がでたら風邪薬、傷口には軟膏を。



我らは、外敵からの攻撃に対抗する対症療法的な人生を送りつつ、溜まった行き場のないストレスを酒で発散するしかない。

題名 - 人生の楽しみ?自分の人生の楽しみ
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一方、好きなことを見付け出した人間は、人生の楽しみを背負って出口に向かって真っ直ぐに歩いているようなものだろうか。

彼らは、まっすぐ前を見据えて、道中がどのような様子であろうと、決して影響されたりはしない。



道端の権力者にも媚びることはない。

人生の楽しみはそんな者が持つ訳がない、そんな者にしがみついたって、意味がないと分かってるからだ。


・・・ただし、人生には人生の楽しみを探し当てるだけの時間はぱっぷりとある。

だから無駄なことをしたっていいじゃないか。



と、人生の楽しみは私たちにそう語ってくれる。

自分の人生への楽しみ?



さて、あなたの人生の楽しみとはいったい何ですか?

あなたには自分を「我に返してくれる」人生の楽しみがありますか?

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