自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

精神的被害を与えるいじめをしない

誰もがいじめは嫌だと思っているのに、

誰かをいじめないと自分が危ない。

題名 - 精神的被害を与えるいじめをしない
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学校や職場にはに精神的被害に関する実に不条理で矛盾に満ちた法理が存在する。

それは、いじめないといじめられるという精神的被害への恐怖である。



それから、いじめられた者は他者をいじめないという事実である。

誰もがいじめは嫌だと思っているのに、誰かをいじめないと自分が危ない、精神的被害を受ける危険がそこらじゅうにあるという事実である。



また、いじめられた者はいじめを行わないという経験則に基づく精神的被害を軽減する法理である。

でも、これに従っていじめない社会を創ろうとすれば、誰もが一度はいじめられるという必要があることになってしまう。



しからば、誰もが誰かをいじめた経験、精神的被害を与えた経験を備えなければならないということにもなる。

いじめない社会を創るには、誰もがいじめる社会を経験しなければならないという皮肉である。



なんという精神的被害の大矛盾だろうか。


題名 - 精神的被害を与えるいじめをしない
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あなたが「精神的被害を与えるいじめをしない」と決断したとします。

そうすれば、あなたから派生する精神的被害、イジメは確実にひとつ減ります。



そうです。

そうすればいじめない社会へとひとつ近づく。



それを見ている傍観者は、「そうか、精神的被害を与えるいじめは自分が止めれば無くなるんだ」と気付きます。



加えて、あなたが傍観者へ言ってやればいい。

「精神的被害を伴ういじめはやってはいけないことなんだ。だから止めろ」と。



ここで、また、いじめがひとつ無くなる。

自分が精神的被害を与えるいじめを行わないことによるのと、いじめを行わないことを人に勧めること。



これだけでいじめない社会へと2歩進むのです。



簡単ですよね。

この理屈。



自分が、精神的被害を伴ういじめを止めればいじめはひとつ無くせます。

そんな人が、ひとりひとり集まれば、精神的被害を与えるいじめはなくせる、という方向へと確実に近付いて行きます。



あなたとの議論がどんな結論になったとしても、それはいい。

そんなのに、なんの実効的な価値はありません。



あなたは、精神的被害を与えるいじめを止めますか?

そして、あなたの周りのいじめてる誰かに「精神的被害を与えるいじめを止めろ」と言ってくれますか?



そう、あなたが精神的被害を与えるいじめをするかしないか、いじめをなくすかどうか、に価値があるのです。

あなたが、「精神的被害を与えるいじめを止めない」と言うのなら、「やめてください」と私は言います。



あなたが、「いじめを傍観する」と言うのなら、「とめてください」と私は言います。

あなたが精神的被害を与えるいじめないこと。



あなたの周りの誰かがいじめないこと。

これが大事なのです。

題名 - 精神的被害を与えるいじめをしない
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自分で確実にコントロールできるのは自分だけです。

そして、自分をコントロールできた人は、周囲の誰かをもコントロール可能となるのです。



まったく面識も無く接触もできない人が、いじめていることを取り立てて、「だから、精神的被害のいじめは無くならない」と論じたところで意味がありません。



そんな人の存在は、自分がどのようにあがこうとコントロールできないのですから、時間の無駄です。

ですから、自分でコントロール可能なものに限定して論じませんか。



あなたは精神的被害を嫌いいじめない。

そしてあなたの親しい隣の人も精神的被害を与えたくないので誰もいじめない。

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