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究極の自己責任!さすがに死は人に転嫁できず!

究極の自己責任!さすがに死は人に転嫁できず!究極の自己責任とは、自分のとった行動の責任を、最悪の場合、自分の命でとらされる、ということを表したものです。究極の自己責任である己の死、さすがにこれは人には転嫁できません。

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究極の自己責任!さすがに死は人に転嫁できず!


自己責任


究極の自己責任。自分のとった行動の責任は、最悪の場合、自分の命でとらされる。・・・「究極の自己責任」

2001/07/21  自己責任1:明石花火大会歩道橋事故

2001年7月21日、兵庫県明石市で起こった花火大会事故では、9人の子供を含め11人が死亡し、247人が負傷しました。




2001/09/01 自己責任2:
新宿
歌舞伎町雑居ビル火災

日本最大の繁華街東京・歌舞伎町で起きた雑居ビル火災で、44人が死亡しました。




2001/09/29  自己責任3:
新宿
歌舞伎町雑居ビル火災

東京・歌舞伎町でまた雑居ビル火災が起き、2人が死亡しました。




2002/01/09  自己責任4:マイカル在庫処分セール

ニュースでも取り上げられたマイカルグループの8割引在庫処分セールの大混雑、全国の店舗にはたくさんの買い物客が押し寄せ、店舗の混雑だけにとどまらず、そこに至る道路が大渋滞をしました。

何事かと思ってももう遅い。
渋滞に巻き込まれた人は身動きとれず。




究極の自己責任


安全で安心して暮らせる社会の実現は、みんなが願っているところであり、そのために法律は整備され、たくさんのお金も投入されてきました。

しかし、悲しいかな人間は、ミスをする生き物、いくら注意を払っても思わぬ見落としや過ちをするもので、それにより安全と安心は脅かされてきたのです。




繰り返し発生する惨事を見ると、人間が過ちを犯すことを全く認識していないと思わざるを得ないような、油断と奢りが存在しているように思えます。

よくよく注意してみると、危険な場所だと認識することは可能なことであり、「もし、ここで放火でもあれば自分の命は危ないだろうな」と、容易に予測できたりもするのです。

ここでの“究極の自己責任”とは、自分のとった行動の責任を、最悪の場合、自分の命でとらされる、ということを表しました。




仮に、万一のことを平素から想定して準備し、受けるであろう被害を軽減しようと気を配っても、積極的、意識的に人や物に危害を与えようとする人が居る限り、惨事に遭う危険性は絶対にゼロにはならないし、また、準備する側の注意力にも限界があるものです。

「危険性があるのは分かったが、常に気を配ってばかりはいられない。現実の生活では実践するのは無理である」




そう考えるのなら、それはそれで全く自由なのですが、最悪の場合、そのツケは自分に回ってきて、命で支払わなければならない羽目になるだけなのです。

国が悪い、行政が悪い、建物の管理者が悪いなどと言うことはいくらでも出来ますが、そう言えるのは命で支払った後になるのです。




在庫処分セールの雑踏の中、乳児を抱えた女性がバーゲン商品選びに夢中になっているのを見かけたことがあります。

不幸にして、もし、乳児が混雑の中で押し潰されて亡くなったとしたら、「押した人間が悪い」、「店の警備が悪い」と泣き叫ぶことになるのでしょう。




実際そうならずに済んだのは運が良かったとしか言いようがないと思うのですが、彼女は運が良かったとは思うことは無く、また別のバーゲンへと突入するというふうに一生暮らして行く筈です。




放火などの確信的な行為、または、不注意、対応のまずさなどから、惨事になる危険性があることを容易に想定できるのなら、人間が住む社会のどこで惨事が起こっても決しておかしくないと言うことになります。




法律で定められて守られているから、当然安全であると言うのでは、どうやら考え方が甘く、安全で安心して暮らせる社会という表現は、個人の警戒心を削ぐ、耳触りの良い、ただキレイなだけの言葉でしかありません。

自らの命と体と財産は、まず自ら守るのが当然であり、このことは、法律で規制して守ろうが、こうあるべきだと甘い期待や予測をしようが、それら以前にある基本原則なのです。




自ら防衛するには、自分のためという原則に沿って、他力本願の形式だけのものではなく、自主的にかつ積極的に行う必要があります。

あなたの命がもし危険な状態に陥った場合、あなた自身以外に誰が助けてくれるでしょうか。




助けてくれる人が居るだろうと想像しても良いのですが、一次的には、あなたを助ける人はあなた以外には無く、二次的に、他人が関わってくる可能性があるというだけです。

注意をしても、しなくても、惨事に遭うのであれば、一体私たちはどうすれば良いのでしょうか。




私たちも人間ですから、十分に注意を払っても、うっかりすることがあり、そうしなかったとしても他人に危害を加えられることもあるので、精一杯やった後に遭う惨事については避けようが無く、仕方がないことだと、諦める他無いのでしょう。




ここで発想を変えてみることにしては。

精一杯やったところで、不条理は訪れるもの。




どうせ不条理が訪れるのなら、そんなことは気にせず、今現在を、好きなことをして自分らしく過ごしてみては。

1日、1日を幸せに満ちた、遣り甲斐のある、充実した日で完結させては。

一瞬、一瞬を満たされた、自分らしい生き方で埋め尽くしては。

と、考えてみるのです。




明日何が起こっても悔いが残らないように、今を自分らしく生きるのです。

そうすると、今、嫌いな仕事を我慢して、退職後に好きなことをするなんて先延ばしの生き方を、選択する訳には行かなくなる筈です。




1日を完結させるという考え方で行くと、「あなたは、今日1日、好きなことをして明日死ぬことと、今日1日、嫌いなことをして明日死ぬことの、どちらを選びますか」という、コンパクトに凝縮された言葉の選択になります。

実際は、「1日完結法」を実践したところで、惨事に遭えば辛いものです。

しかし、惨事以外のすべてにおいて何かが変わると思うのですが、如何でしょうか。




「あなたは、今日1日、好きなことをして明日死ぬことと、今日1日、嫌いなことをして明日死ぬことの、どちらを選びますか?」




兵庫県明石市の花火大会事故で、11人の犠牲者を出し、業務上過失致死傷罪に問われている5人の公判が、2004年1月、神戸地裁において開かれております。

そこでは、事故の責任を取らされて死亡した者の身内の、悲痛な叫びが聞こえて来るのです。




「11人の命を返してくれ」

「君たちにも妻子が居るだろう」
「自分には責任が無い、と言うのなら、何故11人は死んだのか」
「法で許される、最高の処罰を受けてしかるべきだ」




「明石市と警察と花火大会主催者が責任を擦り付け合い、そして、口先だけで謝られても、それは謝罪だとは認めない」

「夫婦や家族の中心に居た子供を失い、何もかもが、滅茶苦茶になった」

と、涙ながらに、または、声を荒げて、そして、厳しい口調で訴えているのです。




死んだ後で、他人の責任を追及することの、虚しさ、辛さ。

痛い程に、そして十分に、伝わって来ます。

(死んだ)本人はと言えば、自分のとった行動の責任を取らされて、既に死亡している。




明石市と警察と花火大会主催者の、責任の所在と、その取り方は、何れ裁判長が、彼らに言い渡します。

そして、何らかの責任が追求されるのでしょう。
まだ分かりませんが。




今、分かっていることと言えば、自己の行動の責任を取らされて、無くなった人が居るということ。

そして、自己の行動の責任を取らされていない?
人々が、未だに居て、現に生きているということなのです。




明石花火大会歩道橋事故


明石花火大会歩道橋事故


民事訴訟:

9遺族が民事訴訟を起こす。

2005年6月、神戸地方裁判所は明石市、兵庫県警察、警備会社に計約5億6800万円の賠償を命じる。

原告、被告ともに控訴せずに判決は確定。




刑事裁判:

兵庫県警が業務上過失致死傷容疑で、明石警察署、明石市、警備会社の計12人を書類送検。

そのうちの5人を神戸地方検察庁が在宅起訴。




2004年12月、神戸地方裁判所は、明石警察署1名、警備会社1名に禁固2年6月の実刑、明石市3名に禁錮2年6月、執行猶予5年の有罪判決を言い渡した。

全員控訴。
2005年2月、明石市の1名が控訴を取り下げ。
2007年4月、大阪高等裁判所は1審の判決を支持し、4被告人の控訴を棄却。




書類送検されながら不起訴となっていた明石警察署の署長、副署長については、神戸検察審査会に申し立て。

神戸検察審査会において、3度の起訴相当が議決されたが、神戸地方検察庁は3度とも不起訴とする。




検察審査会法が改正され、2009年5月21日から、検察審査会の議決が拘束力がを持つ。

2010年1月27日、改正検察審査会法が初めて適用され、検察審査会が副署長起訴を決定。

























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