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公務員とは何者か?〜支配者達のマッチポンプ統治〜
公務員とは何者か?
ご存知かご存知でないかは存じませんが、確定申告は、毎年2月16日に全国の税務署にて一斉に始まり、そして3月15日に一斉に終了致します。
強制的に確定申告をしなければならないのは、自営業者や、年収2,000万円を超えるサラリーマン。
自分の住む家をローンで購入した人や、年間10万円を超える医療費を支払った人などは任意となっております。
「大切に使って欲しい」
「社会の役に立てて欲しい」
「みんなが、納得できるような使い方をして欲しい」
と、その年々に確定申告キャンペーンに駆り出された有名人が、納めた税金の使われ方にする願いは、我々庶民とまったく同じもの。
「願いが同じ」と、そう来れば、2004年4月に起きた、イラク武装グループによる日本人拉致事件でしょうか。
退避勧告の出ている戦争状態のイラクに、別々に入った5人の日本人が、イラク武装グループに拉致されたのです。
「助かってくれ」とは、この時の全ての国民の願いではなかったでしょうか。
政治家やマスコミと一緒になって一部の国民までもが、「危ないと言うのも聞かず、勝手に行って捕まったのだから、自分で責任を取れ」とは口では言ってはいたものの、まさか本気で、人質にされていた5人の日本人に、「自業自得だ、死ね」とは願わなかったでしょう。
どのような人間も、人の死に顔は見たくないのです。
「政府は、事件の対応に掛かった費用を国民に明らかにすべきだ。費用の一部でも請求することで、自由の裏返しに責任があることを知ってもらうべきだ」
「如何に善意の気持ちがあっても、これだけの目に合い、これだけ政府や多くの人達が救出に寝食を忘れて努力してくれているのに、尚且つそういうことを言うのかねえ。自覚というものを持って頂きたい」
※
“そういうこと”とは、救出された方が救出された後にした、「準備が整えばまたイラクに行きたい」との発言を指しています。
やっとこさ助かったというのに、またイラクへ行きたい、との言葉を非難したものです。
他人には厳しく、自らには甘く。
件(くだん)の非難は、国民年金保険料をちゃんと払うようにと、他人には義務付けておきながら、自らには、国民年金保険料の未納期間が存在したという、政治家達のものです。
国民年金保険料未納政治家の名前を、ここにずらずらと書こうかとも思いましたが、余りの多さにバカバカしくなり止めることと致しました。
更にバカバカしいのは、それを厳しく追及していた筈の各局有名ニュースキャスター連中も、政治家と仲良く連れ立つ有り様。
ここはもう、ニュースキャスターや政治家の名前なんかどうでも良い。
彼らの無責任な思考パターンに、貴重な我が人生を惑わされることが無いように注意を払うまで。
敵のそういう考え方を知らなければ、対策も打てないということなのです。
正義感ぶったニュースキャスターや政治家達は、「責任」と「自覚」の無い己をさて置いて、他人には責任や自覚が無いと、平気で非難して見せました。
今となっては、虚しく響き、ブラックユーモアとして言ったのかと思える程の“寒さ”を感じますが、何れにしましても、己の厚顔無恥ぶりを見事に披露して見せたのです。
「今年に入って、13回も退避勧告を出している」のに。
これもまた、国民年金保険料の未納期間があった政治家の言葉です。
危ないからイラクに行くなと、13回も言っているのに、イラクに行くかね、との意味合い。
さて、国民年金の保険料未納者は、今や、払わなければならない人の40%近くを占めています。
彼らは、国民年金保険料を払うことが、国民の義務だということを、13回耳にしても、払っていないという方々です。
いや、13回も聞いてない、と言われる方もいらっしゃるかもしれません。
同じように、13回も、イラクへ行くなとは聞いていない、と言われる方もいらっしゃるかもしれません。
だから、現実にイラクへ行き、国民年金保険料も払っていないのでしょう。
そんな、バカな。
イラクに行っちゃーいけないことや、国民年金保険料を払わなければいけないことは、雰囲気で分かるでしょう。
分かりませんか?
・・そうですか・・・分からないらしいですよ。
そんなことも分からない、鈍感な国民が選んだ政治家達です。
みんながみんな、国民年金保険料を払っている訳がありませんね。
また、我々は、そんな政治家を戴(いただ)いた国民です。
13回避難勧告を受けて、それでもイラクへ行く人が居るというのも、頷けるのです。
己は、国民年金保険料の未納期間が有るというのに、他人には国民年金保険料をちゃんと払えと宣(のたま)い、人の言うことも聞かずに戦争中のイラクへ行っているのに、自衛隊を撤退させてでも助けろとおっしゃる。
自分が無理をして行っているのに、それを無理をして助けろと言うのです。
これに対して、みんなは「悪い」と一斉攻撃をしておりますが、これらの発言の一体何処が悪いのでしょうか。
筋の通らないことなんて、みんな遣っていることじゃないですか。
我がまま気ままは、みんな同じじゃないですか。
ちっとも悪かない。
イラクで拉致された日本人救出には、当然の如く莫大な税金が使われる訳ですが、それに対して、我々は「勿体無い」とか、「申し訳ない」などと感じるでしょうか。
感じるかって?とんでもない。
みんなに、そのような金銭感覚があるのなら、そもそも国や地方に1,000兆円もの借金が出来る訳がないのです。
「勿体無い」とか「申し訳がない」などの感覚は当然無いのだから、危険なイラクへ行って捕まったのなら、税金を使って「助けてくれ」と言うのも当然のことなのです。
昨今噴出中の、「自己責任論」。
己の行動の責任は自らで取れと、唐突に言い出した政治家達。
それに釣られて、マスコミや国民も大合唱の嵐。
しかして、自己責任を唱える人間の中に、本当に自己責任を取っている人間が、一体、如何程(いかほど)居るというのだろうか。
自らの責任も取っていないのに、他人には自己責任を取れと言う連中に比べれば、イラクへ行った人々の方が余程、自己の責任を取っているのではないだろうか。
なにせ、最も自分の人生を、税金に頼らずに生きて来た自己責任実践者達のことです。
よりにもよって、税金ベッタリの政治家達に、「自己責任を取れ」と言われたのですから、立つ瀬は無く、腹立たしいことでしょう。
元より、国民年金保険料を払っていない期間が有るというのに、他人には「ちゃんと払え」と平気で言えるのですから、政治家とは、おおよそまともに相手出来る人種ではないということです。
このような人の対処方法として、思い付くのは、勝手に好きなように言わせておいて、ひたすら放っておくということ。
いや実際、その方法しか無いのでは。
こんな連中、まともに相手していたら、国民年金保険料をさんざん払わされた挙句の果てに、「あなたの、国民年金はございません」なんてことにも為りかねないのです。
例え今そうでなくても、将来そのような目に合わされることは、容易に想像出来てしまうのです。
なのに、己はといえば、年金保険料をちゃんと払っている始末。
このような愚かさでは、とてもじゃないけど人の愚かさを批判したり出来やしない。
思い付きました。
国民年金保険料を払い続ける人間の心構えとして、国民年金保険料は“くれてやれ”というのは如何でしょうか。
さて、確定申告の末に払った税金の使われ方です。
「行くな」と言うのに、イラクへ行って捕まった人間の救出に使われるのは、「大切に使って欲しい」、「社会の役に立って欲しい」、「みんなが、納得できるような使い方をして欲しい」という願いに、叶(かな)っていますか。
食う物も食わずに納めた税金が、現実として、無謀な人のために使われるのです。
これを、納得できる使い方だと言ってしまっては、少々呑気者でしょうか。
もしかすると、「民は生かさず殺さず」で搾取されていた遠い昔からも、世の中の役に立って欲しい等と、呑気なことを願っていたのでしょうか。
明日をも知れない命をつなぐ食糧を、強制的に奪い取られたというのに、人のために役立てて欲しいとは、神か仏か、一体、如何なる者の発想か。
自分は死んでもいいから、人は助かって欲しいとの発想。
実際は、そして、本当に、そう願えたのだろうか。
この場面で、「人のために役立てて欲しい」なんて言葉、ちょっと言えるものでは無いように思うのですが。
当方は好き勝手に、あらゆる事象を因数分解して、分かり易く解説なぞと、ぶち上げてはおりますが、年貢を納めていた時代には、支配体制を解体して考察するなんて、そのようなパラダイム(思考の枠組み)自体、存在し得なかった訳で、当時は、搾取される状態は極自然だったのです。
いや、搾取されるなんて、言葉や概念すら無かったのでしょう。
搾取されることは、死ぬ程辛いけど、死ぬ程辛いのが、当たり前だった世界。
従ってそれは、死ぬ程辛くない、となってしまうのでしょうか。
理解し難い感覚ですが、辛いけれど辛くないという心理を、分かってやって下さいね。
さて、民は、その辛くて辛くない「税金」に、いつ頃から苦しめられたのか。
強者や有力者の強奪、略奪、強制収容などが、いつ頃から始まったか、と問うてみれば、一体、どこまで時代を遡ればいいのか分からなくなりますが、浅はかな手持ちの知識を持ち出せば、税金の徴収らしきものは、確か、飛鳥時代では、と。
大陸からの仏教伝来、それに呼応した宗教対立、倭国での後継者争い、覇権争い、豪族から大王が支配する律令国家・・・
などなどと、飛鳥地方が歴史に登場するのは、6世紀半ばから、8世紀初めに掛けてですから、ちょうどその頃かと。
当時もそうだったのでしょうが、全国の税務署で、一斉に税金の確定申告をさせるというのは、かなりの荒技。
全国で一斉に一律なのですから、かなりの力技、離れ業、神業なのです。
どんなに強者が逆らおうとも、押さえ込んでしまうのですから。
日本の何処で確定申告しようとも、優秀な税務職員が配置されていて、収入を捕捉し、正確な税額を弾き出す。
そして、その税金を徴収する。
時代劇に出てくる悪代官のように、賄賂を受け取って税金を負けたり、または、徴収して来た税金を、誤魔化したりするような不届き者は、ここには存在致しません。
そのように、徹底的に均一的統治教育がなされて来たのです。
完成された統治システムは、日本全国に宣布され、これからも、完璧に近い形で運営され続けるのです。
その昔、支配者達は、自分達が働かなくても贅沢が出来て、遊んで暮らせることを夢見ました。
働かずに金を得るということは、社会の末端に居る我々も、夢見ることには違いはありません。
どうやら、人間というものは、放っておけば、働かずに暮らせる方法を模索してしまう生き物であるようです。
皮肉にも、その怠け者思考が世の中を便利にし、発展させて来たとも言えるのでしょうが。
働かずに暮らせる発想は、様々なビジネスモデルや、お金儲けシステムに形を変え、究極的には、不労所得なるものも生み出して来ました。
夢見ることは、誰だって可能です。
しかし、支配者は、ただ夢見るだけでなく、実現する力を持っていました。
支配者達の不労夢物語は、国民からお金を巻き上げることで成立したのです。
個人がお金を巻き上げたとしたら、処罰は免れませんが、支配者がお金を巻き上げることは正当化され、「痛い目に遭わされないためには言うことを聞いておくか」とか、「払わなければ抹殺されるかもしれない」等と、勝手に気を回し、斟酌してくれて、素直に応じてくれるのですから有り難い。
事実、払わなければ、命を奪われたこともあったでしょう。
国民から強制的に、お金を巻き上げること。
また、それに国民が従順に従うこと。
この関係が成立するのであれば、それは、りっぱに統治されているし、統治していると言えるのです。
不労の欲望は、世の中の人々を、支配者側と支配される側、搾取側と搾取される側という風に、見事に2分して見せました。
権力は支配者に一極集中させ、お金は権力に一極集中させました。
このようにして、働かずに贅沢が出来る支配体制を完成させたのです。
なのに、働かずに食べていかれる体制を確立した支配者に対して、「働きもせず、食べていやがる」とか「働きもせず、ズルをしていやがる」と、見当外れの非難をする人が居ます。
そういう方に、では、お尋ね致します。
「あなたは、楽をして稼ぎたいとは思いませんか。」
思うのなら、支配者を非難しても始まりませんね。
あなたが、世の中の仕組みを分かっていないだけでしたね。
政治家や官僚などの公務員と、我々国民との違いとは何か?
公務員は、楽をして稼げる道を開発し、実行し、そして完成させた。
逆に、我々国民は何もしていない。それが違いです。
だからと言って、何も気を落とすことはありません。
あなたが、楽な立場になることだって出来るのですから。
法律を創り出す政治家や法律を執行する官僚、従順に法律を守り、勤労し、真面目に納税する人間を作り出す教師に、なることは可能なのですから。
支配されるのが、どうしても嫌なら、自ら支配者側になるか、統治されていない国へ行くしかありません。
支配者が居ない国なんて、この世の中に現実として有りませんから、実際の選択肢は、公務員に成る方法しか残されていないのです。
その公務員になっていないのですから、結論を言えば、あなたは、搾取される側に好き好(この)んで居続けているとも表現できるのです。
別に、日本が特別な国という訳ではありません。
世界中の何処に行ったって、公務員が居て、税金を搾取するシステムが確立されているのです。
世界中の人間は、放っておけば、誰もが楽をして稼ごうと思い、そして、搾取する側とされる側に分かれているのです。
さて、そのようにして搾取した税金を、どのようにして支配者間で分配するか。
それを解決したのが、マッチポンプです。
火の無いところへ、自ら火を付けて、自ら騒ぎ立て、自ら消化に回る。
こうすれば、たちまちの内に、何も無いところへ仕事を3重に創ってしまえるのです。
仕事のないところへ、お互いに、どうでも良い楽な仕事を作り出し、そこに税金を流し込む。
このようにして、国(火付け)、都道府県(騒ぎ立てる)、市町村(消化に回る)が創られたのです。
官僚や政治家が、頭が良いと言われる所以(ゆえん)です。
見事なからくりです。
法律を創り、何もないところへ規制を作り出し、仕事を作り出し、そして、それを大勢で分け合う。
なんと頭の良いことでしょうか。
国は、「○○という法律が出来た」と、都道府県へ流し、都道府県は市町村へ伝達する。
これだけで、簡単でどうでも良い仕事がひとつ生まれるのです。
この法律が守られているかどうかを知りたければ、定期的に報告させれば良いのです。
国が、「○○という法律が守られているか報告せよ」と、都道府県へ流し、都道府県は市町村へ流す。
これでまた、簡単でどうでも良い仕事が生まれたのです。
更に、仕事を増やそうと思えば、毎月報告させれば良いだけ。
集計結果は、都道府県担当者を東京に集めて報告すれば良いのです。
「説明会をするから集まれ」と、国は都道府県を集める。
それを受けて、都道府県は市町村を集めて説明会を行う。
お山のてっぺんで行われた、この一度の報告会の波及で、一体幾らのお金が旅費として、印刷代として、消耗品費として、消えて行くことでしょうか。
公務員同士が、税金をお互いの懐へ、如何にして入れるかを考えたらこうなるのです。
支配者や統治者は、民間のようにコストを考える必要が無いから、このようなことが可能なのです。
真面目にコストを考えれば、規制を無くするのが一番であって、このことは誰の目にも明らかです。
しかし、そうなってしまえば、統治者の仕事は無くなり、食って行かれません。
それでは、本末転倒です。
支配者が食べて行くために規制があるのであって、国民の利便性のためにあるのではないのです。
統治者が、そんなことする訳がありません。
民間であれば、都道府県のような、仲買人的で、問屋的存在の中間搾取は、直ぐさま無くするのでしょうが、支配者の場合は、如何にして自分達の収入を確保するかに興味があるのですから、無くなる筈が無いのです。
仕事をたくさん創るためには、国と国民の間に、出来るだけ中継ぎを配置することが、大事になって来るのです。
繰り返しですが、最もコストの掛からない統治システムといえば、中間的存在を排除した、国と国民のストレートな契約関係なのですが、そんなことをしてしまっては、多くの統治者が食べて行かれなくなるのです。
食べて行くためには、やはりここは、自らのマッチによって火を付けておいて、自らで消化する、マッチポンプ方式しかないのでしょう。
自ら揉め事を作り出し、収めてやると切り出して、利益を得るしかないのでしょう。
世の中では、不当な利益追求方法を、マッチポンプと呼ぶようですが、支配者なんだから不当でも何でもありません。
国だけではなく、都道府県や市町村でもマッチを擦(す)ります。
その火を消す為には、国だけではなく、都道府県や市町村でも金を集める必要があると、適当に言っておけば良いのです。
現に火が付いているのですから、消す他無いのですから。
手を代え品を代え、国、都道府県、市町村と、3重に税金を徴収されても、ここは納得するしかないのでしょう。
ねっ、頭が良いでしょ。
バラバラにお金を集めるなんて、如何にも不効率ですが、それも統治者の狙いです。
何度も言って恐縮ですが、効率なんかを考えれば、都道府県や市町村を、取っ払わなければならず、そうなれば、国と国民の直接取引きとなってしまいます。
本気で、そこまでコスト削減をするのであれば、自己責任を旨とし、統治はほとんど行わないとするべきでしょう。
公務員とは何者か?
彼らを、公僕、全体の奉仕者、国民のニーズに合った行政サービスの提供者、などと思ったら大間違いです。
そんなのは、国民を欺く後付の綺麗な言葉に他ありません。
正解は、「公務員とは支配者であり搾取者である」となるのです。
これだけは是非マスターして下さいね。
公務員などは放っておけば良いということ。
変に公務員へ関心を持ってしまったら、自らの命を削って納めた税金が、無駄使いされるのを目の当たりにすることになり、腹が立つだけなのです。
税金なんて、公務員にくれてやる。
そう思えば、どんな使われ方をしたって、構わないじゃないですか。
支配者側と支配される側です。
また、何処の国にだって支配者が居て公務員が居るのです。
当たり前じゃないですか。
まったく気にする事はありません。
我々はどのようにしても、支配されることからは、逃れられません。
ということは、税金を取られることからは、逃れられないということ。
他人が他人のお金を使うのだから、無駄は避けられないということ。
他人のお金を、自分のお金と同じように大事に使え、と言う方が無茶というもの、現実的ではありません。
ということは、無駄に使われるお金に文句を言っても、貴重な人生の時間を無駄使いすることになるだけなのです。
ということは、結局、お金は支配者にくれてやって、自分は己の幸せな人生に集中すれば良いだけ、と分かるのです。
公務員とは何者か?
公務員は、支配者なんだから、住民になんかサービスしない。
当たり前のことです。捉え違いをすれば、大損間違い無しですよ。
と来たら、自分にとって無視すれば良い存在であり、係わらなければ良い存在であり、信じなければ良い存在である、と遂に理解出来たか。
なのに、マスコミをご覧なさい。
ニュースのほとんどが国、都道府県、市町村が「あーした、こーした」と描き綴っているのです。
無視すればよいものを、長々と。
こんなんじゃー、ニュースや新聞をまともに見ていたら、胃に穴が開くこと請け合い。
マスコミに踊る、国民の信頼を裏切ったとかの書きぶり・・・
支配者と被支配者、搾取者と被搾取者の関係は、文字通りの関係で、信頼ではないのに。
法律を律儀に守っているのは、公務員ぐらいだろうか。
自分たちの飯の種ですものね。
公務員に、○○法を所管せよ、との仕事を与えれば見事に遣ってみせます。
個人的には、形式的で建前だけだと思うことはあっても、○○法を守り続けます。
また、△△法を所管せよ、と言ったところで同じこと。
難なく遣ってのけます。
国民年金保険料も難なく払ってくださいね。
お願いしますよ。
と言わなくても払い続けるのです。
公務員の、そもそもの仕事自体は、誰でも遣れる仕事でしょうか。
しかし、遣りたいことがある人間にとっては、こんなバカらしい仕事無いことでしょう。
支配者間で、税金を分けることが目的ですから、端からどうでも良いバカらしい仕事しか用意されていないのですから。
後付で創った仕事です。
元より、法律を国民に守らせることにも、意味は無いでしょう。
ルールは守れだとか、法治国家だからとか。
そんなものは、後からもっともらしく付け足しただけです。
統治することの、後付の言い訳なのです。
統治の先付けの理由は、何度も出ておりますが、自分たちが楽をするため。
楽をするため、搾取をするために、統治をしているのです。
統治側の搾取が目的なのですから、だから、法律を守ること自体は、誰にとっても意味は無かった訳です。
ねっ、法律を守るって、考えたらこういうことなのです。
これに対して、「○○法はおかしい、守れるか!」などと言ってみても始まりません。
そんなこと言ってしまっては、統治することを止めろと言っていることになるからです。
再確認下さい。世界中で統治されていない国が、何処にありましょう。
それならば、統治者を無視することとして、自分の人生を謳歌することに専念致しましょう。
そうするか、または、統治者側である公務員になるのはどうでしょう。
「国民に、○○法を守らせる」などという、バカげた仕事ですが、宜しければ。
怖いことに、バカげた仕事は、法律の数程存在しますから、無限なのです。
公務員とは、利潤を追求しない人間。
公務員とは、正義を行う人間。
公務員とは、日本を動かしている人間。
公務員とは、日本を背負っている人間。
と、このようなことを言っている人間が居るとしたら、いや実際は居るのでしょうが、これら勘違いの信念を誤って持って、遣り甲斐を持って働けてしまえれば、それは、一見不幸なことのようではありますが、幸せといってしまえば幸せなのです。
公務員とは、決まったとおりにしか働けない人間。
公務員とは、決まったとおりにしか判断出来ない人間。
公務員とは、決まったことを決まったとおりにする人間。
そう、公務員の価値観とは、「決まったことを決まったとおりにする」ことなのです。
「決まったことを決まったとおりにする」という仕事が、無限にあるのです。
決まったことを決まったとおりにする公務員の実体は、ここで明かしていますように、「統治者・支配者・搾取者」です。
※
法律を守ることは、当たり前のことです。
法律を守るなとは、決して言っておりませんので念のため。
読者高木貞治(ペンネーム) さんからのご意見(2004/07/16(金) 22:38:29)
(書き込んだらどこに書き込まれたのかよく分からなかったので再投稿です。重複してごめんなさい)
『公務員とは何者か?〜支配者達のマッチポンプ統治〜』について一言意見させていただきます。
私の親類にも公務員というか官僚がおりまして、ちょっと色々と思うことがあったからです。
公務員を搾取階級と見做した議論が展開されていますが、これは正しい側面もありつつも、やはり基本的には違うのではないかな……と思いました。
取り敢えず私が疑問に思った点は3点あります。
まずは「徴税」制度を官による民の支配の典型と見做している点です。
「年貢を納めていた時代」からの類推で現在の公務員制度を俯瞰する議論は面白いのですが、ここにはやはり注釈が必要だろうと思うのです。
というのは、例えば諸外国を考えると、確かに王政や帝国による搾取が行われていた時代にはKachijiten様のおっしゃる通りだと思いますが、そのあとに民衆による革命(例えばフランス革命)が起こり、それにより民主主義という仕組みが作られたわけです。
それなので、官を一方的に搾取階級と見做すのは、歴史的にみて、それほど妥当とは思えません。
明らかに、革命後に作られた政権は、(不十分な形ではあったにせよ)民衆の蜂起によって作られた政権なのですから。そして面白いのは、このような革命があったにしても、やはり「徴税」というような仕組みは維持されてきたということです。
つまり民衆の蜂起によって作られた政権ですら、やはり「徴税」という仕組みなくしては国家は成り立たないということが(暗黙のうちに)諒解されていたということです。
但し、日本は民主主義を形式的に輸入した国であり、民衆の蜂起による政権転覆を経ずに済んだ国なので、上の議論が一概に成り立つと主張するつもりはありません。
次には政府が統治する側の人間と一方的に言うのではなく、政府という形がbenefitをもたらす面もあるということです。
これは上で述べたような民衆の蜂起による政権ですら「政府」というものが形作られている以上、何がしかのメリットがあったというわけです。
経済学的には「市場の失敗」の回避が政府の役割として挙げられます。
例えば警察消防や図書館などの公共財。
このようなものは市場経済「だけ」に任せていては殆ど供給されないでしょう(極僅かな富裕層がSECOMや綜合警備保障に登録して警察機能を享受したり、富裕層がボランティアで図書館を建てたりする例もあることはあるでしょうけど)。
このように外部経済が大きい「公共財」は市場経済だけに任せていては十分に供給されません。
このようなものを供給する主体として政府というものが存在します。
また例えば電力会社などのインフラ産業(経済学的には限界費用逓減産業)がいきなり電力料金を5倍にしてきたらどうでしょう?
多くの人は泣き寝入りして5倍の額を払わざるを得ないでしょう。
そして電気料金が5倍になったからと言って、電気使用量を1/5には出来ないでしょう。
このようにインフラ産業などの自由競争が働かない独占産業(経済学的には自然独占産業)は放っておくと必要より高い料金を請求してしまうということが経済学的に証明されます。
このようなとき、政府が適正な料金に規制することは経済にとってはむしろ良いのです。
このように政府の必要性というのはいつの時代にもあります。
小さな政府を初めて提唱したアダム=スミスも夜警国家論と言って、最低限の国家機能は必要と認めていました。
この意味で公務員を一概に税金を搾取する側と見るのは誤りです。
(国民の余計なことを国家が介入しないほうが言いという古典派の考え方ですら、国家つまり公務員の存在を完全に否定はしていません。国家つまり公務員の存在すら否定しているのは社会主義の一つである無国家論くらいでは?)
勿論、Kachijiten様のおっしゃるように、消費予算をなるべく大きくするようなバイアスが公務員に掛かるのは紛れもない事実です。
マッチポンプは面白い例えだと思いました。
これは経済学的には「政府の失敗」というのになりますね。
マッチポンプの例として不必要な法律を作って仕事を増やしたりする話とか、報告会の話とか、公務員の方がご覧になったら機嫌を悪くしそうですが、政府の失敗として起こってもおかしくない現象だと思います。
それならば公務員なんて必要な仕事と不要な仕事とどちらもやっているならば、人数を削減して必要な仕事だけやるようにすれば良いとおっしゃるかたもいるでしょうが、これが難しいんですよね。
何しろ、国民にとって不要な仕事でも、彼らにとっては非常に重要な仕事かも知れず、仕事に忙殺されて公務員が過労死してしまいます。
不要な仕事の削減は、Kachijiten様が重々ご承知の通り、難しい問題だと思います。
最後に、これははっきり言えるのは、殆どの公務員だって被搾取階級ということです。
本当に搾取する側だったら仕事する必要すらありませんが、例えば官僚などは、メーカー並の賃金で、毎日午前様になるまでくたくたになるまで仕事しています。
そして彼らも別に搾取するつもりで仕事しているわけでなく、上から与えられた範疇(←これがクセモノです)の中で良かれと思って仕事しているはずです。
本当に搾取する側の人がいるとしたら、それは「公務員」と象徴されるような人ではなく、もっともっと上層部の見えないところにいる人なのではないでしょうか?
大体公務員なんていったら人数が多すぎて、全員が搾取階級に回れるはずがありません。
もし搾取階級がいるとしたら、公務員は搾取階級の手足に過ぎないと思います。
手足なので、所詮公務員も搾取階級ではないというわけです。
あと公務員は基本的に無駄な仕事を創造するとの見解をお持ちのようですが、公務員は基本的に自分の仕事のテリトリー(と予算)を増やす方向にインセンティブが働く(それが勤務評価→昇進につながる)ことが多いので、間違っていないと思います。
長々と済みません。
自分の身内にも関わる話でしたので、ちょっと気になって書いてみました。
公務員も悪人ではなく、生身の人間なので、ちょっとお手柔らかに。
いつも楽しく読ませていただいてます。
これからも期待しております。
読者寺嶋眞一さんからのご意見(2004/10/23(土) 18:36:37)
無哲学・能天気のこと
哲学のないわが国に英米の哲学が持ち込まれるのは、一体どうしたわけか。
それは、歌詠みが英米の「今ある姿」として、その内容を気分・雰囲気としてこの国に導入するからである。この国には、哲学者の「あるべき姿」対、歌詠みの「今ある姿」の戦いがある。
「我思う、ゆえに我あり」(I think, therefore I am.) の「思う」は、英米人の「考える」であり日本人の「感じる」である。「だって、本当にそう思ったのだから仕方がないではないか」とは、感じに関する事柄である。
日の丸・君が代の問題について反対派と議論をするのは、哲学者が歌詠みに議論を仕掛けるようなものである。ようするに、歌詠みの説明によれば、日の丸・君が代を持ち出すことにより気分・雰囲気が悪くなるという感情論である。
’There is no accounting for tastes.’ (趣味に論拠なし) という諺がある。個人に関することがらは「あるべき姿」ではなく、英米流の議論により決着を計ることは出来ない。
理性のないものは、取り除くしかない。この英米流の判断は、日本人にとって銘記すべき極めて重要な事柄である。この国の有識者・知識人は、英語による考え方を理解しなければならない。
宮本政於の著書〈お役所の掟〉には、官僚絶対主義のことが出ている。以下は、著者(宮)と厚生省幹部(幹)との会話である。
宮「憲法に三権分立がうたわれているのは、権力が集中すると幣害がおきるから、との認識に基づいているのでしょう。今の日本のように、官僚組織にこれだけ権力が集中すると幣害もでてきますよね」、
幹「ただ、日本はこれまで現状の組織でうまく機能してきたのだ。それによく考えてみろ。いまの政治家たちに法律を作ることをまかせられると思うのか。そんなことをしたら日本がつぶれる」、
宮「日本の立法組織にそれほど造詣(ぞうけい)が深くないのですが、私も認めざるをえません」、
幹「そうだろう。『やくざ』とたいしてかわらないのもいるぞ」、
宮「私もテレビ中継を見て、これが日本を代表する国会議員か、と驚いたことがなん度かあります。とくに、アメリカとか英国とは違い、知性という部分から評価しようとすると、程遠い人たちが多いですね。でも中には優秀な人がいるんですがね」、
幹「政治は数だから。いくら優秀なのがひとりふたりいてもしようがない。ある程度の政治家たちしかいないとなれば、役人が日本をしょって立つ以外ないのだ」。
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読者SASA**さんからのメール(2004年5月30日 22:07)
おい、ふざけるんじゃないぞ!
読みたくなくて解除したのに、またくだらないことを言って送ってよこすな。
なにが公務員が社会の無駄だ!
年金を納めていない代議士がイラクのことをどーたらこーたらだ!
ふざけるな!
何かあればすぐに国のせい、官僚のせい、公務員のせい!
甘えすぎてはいないか?
複雑きわまりない今の世の中で、誰が立派なことばかりぬかす国民の
調整にはいずり回っているのか知っているのか?
自分の不平不満を、社会の一部の、しかも攻撃しやすいところに当たり散らすのは止めたらどうか?
冷静に考えてもらいたい。
非難、中傷だけでは物事は解決しないのだ。
それで満足しているのであればあなたは本当にお目出度い人だ。
とにかく一時でも購読した自分が馬鹿に見えて仕方がない。
返事はいらん。
人中に入り、自分を見つめ直すがよかろう。
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