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無矛盾律とは?矛盾とは?絶対的真理追及の自家撞着とは?
矛盾 無矛盾律 自家撞着
矛盾(むじゅん)とは、肯定しながら否定するという論理の破綻状態をいい、韓非が著した「韓非子(かんぴし)」からの故事成語である。
どんな盾も突き抜くという矛(ほこ)とどんな矛も防ぐという盾(たて)を同時に売っている商人が客から、「じゃーその矛でその盾を突いてみろ」と言われて絶句したという話である。
もし矛が盾を突き抜けば、どんな矛も防ぐ盾というのはウソとなる。 またもし矛が盾を突き抜けなければ、どんな盾も突き抜ける矛というのはウソとなる。
どちらを肯定してもどちらも否定されて論理に破綻が生じてしまう。
世の中には、無矛盾律(むむじゅんりつ)という論理学の法則もある。
無矛盾律を噛み砕いて言えば矛盾の無い法則ということになる。 かのアリストテレスはこう語ってる。 ある事物を肯定しつつ否定することはできないと。
つまりどういうことかと言えば、一神教を説く者がいる、同時に多神教を説く者がいる、でも世の絶対的真理はどちらかであるから、どちらも共に成立することはないということだ。
また、論理的な人間がいる、同時にその人間は感情的でもある、でも人間はどちらかであって両方を合わせ持つことはできない。
普段は論理的で時たま感情的なんて人間はあり得ないのだ。
相矛盾するものを合わせ持つと言ってるあたりからもう既に論理的でない。
そして、こんな矛盾を平気な顔で言う人間に限って、約束を守らなかったりする超わがままだったりするのである。
また、人生とは無駄そのものである、それに対する人生とは無「無駄」であるという価値観はともに成立することはない。
つまり、人間は無駄な時間が大事なのか、無駄の無い時間が大切なのか、どちらかになるということだ。
無「無駄」が大切であると符合した人は、じゃー何が無駄なのかを解明しなければならない。
そうじゃないと、価値観に齟齬を生じてしまうから。
仕事の時間が無駄だと符合すれば、仕事の時間を撲滅すればいい。
勉強をする時間が無駄だと符合すれば、勉強をする時間を撲滅すればいい。
友達と食事をする時間が無駄だと符合した場合はその時間を撲滅すればいいのである。
同じ人間の中に無駄と無「無駄」は同時に同居はできない。
このように無矛盾律は、絶対的真理の追及に役に立つ。
逆に真理探究を怠れば自家撞着に陥ることになるのである。
自家撞着(じかどうちゃく)とは、同じ人間の言動が矛盾するという自己矛盾のことである。
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