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いじめ問題の現状解明&いじめ問題の現状分析!
いじめ問題の現状
いじめが無くならない訳は、先人達にいじめ問題の現状を解明する知恵が無く、いや、知恵が無くとは少々言い過ぎか。
でも、いじめ問題の現状解明をやろうと思えば出来た筈だ。
じゃー解明する意欲に欠け?乏しく?いやいや、解明しても一銭の得にもならなかったからなのか?
とにかく、いじめの現状を解明する必要はない、とそう結論付けたからなのでしょう。
とどのつまりは、いじめ撲滅には一切興味なんか無く、どうでも良かったのですね。
いじめ問題の現状がどうでも良かった割には、楽しいからと言って、他人をいじめころしたりするのですから、人間て本当に怖いわけです。
つくづく、今更ながらにそう思います。
この世の中は、大勢の人々が飲酒運転のためにころされているのに、そして、そういうことを知っているのに、飲酒運転を止めようとは思わない人々が、酒を飲んで平気で車を運転する。
こういう人々が、普通に我々の横に座って、普通に我々と同じお茶を飲んでたりしている。
本当に、本当に、楽しくいじめころされないように、また、何も考えてない酔っ払い運転手にひきころされないように、用心しましょう、という言葉しか見つからない。
「思考する脳みそは持っているのか?冷徹なイジメさつじん鬼よ」の如く、己の子供が同じ目に遭ったりなんかすれば、半狂乱化し、直情的にふくしゅうの鬼と化すのでしょう、きっと、たぶん、そうに違いありません。
ですけど、他人のことを自分の身に置き換えることができるような、そんな風に彼らは器用な人間じゃない。
幼稚過ぎて自分の子供がひきころされたら、なんてことを想像できる力量もない。
第一、そんなこと先読み出来るんなら、いじめが楽しいと感じたり、酒を飲んで車に乗れる訳など無いのです。
だって、先が読めるなら、もし自分が人をころしてしまったら、そしてもし、自分の子供がころされてしまったら、と想像が出来る訳で。
だから、普通はここは、楽しいなんかじゃない、「慙愧(ざんき)に堪え難し」じゃないですか、となるのである。
相手が泣き叫んでいるのに、楽しいからと言って、さらにいじめる、って感じで、じさつするまでいじめ抜くのです。
これって明らかにさつじんですよね。
酒を飲んで、己をいつでも人をころせる状態にしておいて、つまりは、ひとごろしの準備万端整った上で、自らの意思で凶器となる車に乗るのですから。
これも明らかにさつじんですよね。
いや、法的にさつじんじゃないんだ、と言われるならば、さつじんじゃなく「ひとごろし」と言い換えてしまいましょうか。
マア、目先3mmぐらいしか前が見えてない人々がするもんなんでしょう、イジメや飲酒運転なんてものは。
でも皆さんは目先3mm以上前が見える人達です。
とっくに、いじめ問題の現状や飲酒運転の構造を、誰かが、誰にでも分かるように解明してもよかったようなものなのですが。
そう、目先3mm以上前が見える多くの人々が、構造解明のためにチャレンジしてもよかったようなものなのですが。
解明されていないっていうことは、やっぱり、みんなも目先しか見えていなかったのか、それとも、みんなにとっては、どうすればいじめや飲酒運転が無くなるかなんてことは、どうでもいいことだったのか。
じゃー、誰もしないなら、不肖(ふしょう=才能の乏しい)私がやってみましょう的な発想で、以下、いじめと飲酒運転の構造解明です。
人間は、自立した人間と自立していない人間の2種類に分かれる。
自分の考え方を持った自立した人間と、何にも考えてない付和雷同するだけの自立していない人間。
そして、自立した人間は少数、自立していない人間は大多数です。
みんなに共通した認識としては、己独自の考え方を構築して生きるとはスマートで格好がよくて、憧れの的だということ。
こういうのが、あります。
だから、その境地にまで達した人は憧れの対象であり、でも、それはまた同時に、猛烈な嫉妬の対象でもあります。
自分が持っていないものを持っている、こんなに憎らしくて、妬けるものはありません。
嫉妬の炎でメラメラと燃えさかる、ちんけな己は、余裕しゃくしゃくで器の大きな自立した人間を、イジメころさずにはおけないのです。
でも、他人に嫉妬するなんてことはかっこ悪いことです。
己が小さく見られてしまいます。
その上、嫉妬に駆られて相手をいじめるなんてことは、この上なく恥ずかしいことです。
ですから、楽しいからいじめるなんてことを、悪ぶって、うそぶきます。
でも、もしこれが、本当に楽しいからいじめてるのなら、その人は根っからの悪党と言わざるを得ません。
いや、悪党なんて可愛らしいものじゃない。
いじめ問題の現状構造解明なんて、可愛らしい次元の話じゃなくなります。
人間の顔をしているだけの、理屈抜きのさつじん鬼でしょう。
ころされないように近付くのは止(よ)した方がいい。
かと言って、いじめ問題の現状を解明したところで如何(いかん)とする、と言われてしまえば、やはり、いじめっ子には近付くな、ということには変わりはありません。
自立していない大多数の人間は、自立した少数の人間がスマートで格好が良くて仕方がない、嫉妬して仕方がない。
拠って立つべき考え方が何も無い者同士が、傷付かないように寄り添って、傷付いても傷を舐め合いながら細々と生きているのに、自立した人間と来たら、誰にも頼らずに一人で堂々と立っていられるのです。
こんなに、羨ましくて、いや、憎らしいことはありません。
こっちが一生懸命に、傷付かないよう、こそこそと陰に隠れて生きているのに、自立した人間と来たら、余裕をこいて世間の荒波と一人で戦っているのです。
同じ人間として、こんなことが許されましょうや。
許される訳がありません。
イジメころさずにおくものか。
このようにして、大多数の自立していない人間は、自立した少数の人間を嫉妬でいじめころします。
でももし、自立していない人間が少数派だったら、どうだろうか。
少数派がいかに嫉妬しようとも、いじめは成立しないんじゃないかな。
そうか、大多数だから、あんなに威張って偉そうに出来るんだ。
彼らが、一人だったら何も怖くないし、元より彼らは一人では何も出来ないんじゃないかな。
いじめることさえも出来ないんじゃないかな。
そうか、だったら、みんなが自立してしまえばいいんだ。
みんなが自立してしまえば、いじめなんてものは無くなるんだ。
次に、飲酒運転です。
飲酒運転の構造解明!?
!?!?!?!?!?!?
んー、構造解明なんてもんじゃない。
酒を飲んで車に乗ったところで、包丁を持って人へ突進しているようなものです。
酒を飲むという、確固たる自分の意思でもって酒を飲み(包丁を持ち)、自分は人をころすんだ、という明確な目的の元に車に乗るのです(人へ突進)。
違ってますか?
はてさて、これの何を解明すればいいと言うのでしょう。
飲酒運転者とは、明確な意思を持って人をころす者のことを言います。
人ごろしを止めたきゃ、酒を飲んだら車に乗らない、車に乗るなら酒を飲まない、です。
酒を飲んで車に乗った時点で、人知を超えたさつじん鬼となるのです。
と、少々暴言を吐いた感も致しますが、でも、いじめっ子はいじめられっ子の命のことなんて考えずにいじめてるのは、これ事実。
飲酒運転者は、酒を飲みに車で来ていることも、これ事実、帰りは酔って車を運転するのを承知の上で酒を飲んだのも、これ事実なのです。
しらふで乗っても凶器となり得る車に、酒に酔って乗ったのですよ。
ころす積もりは無かったは通用いたしません。
ねえ、ころす積もりだったんでしょ。
【いじめ問題の現状解明&いじめ問題の現状分析関連】
いじめっ子!いじめられっ子!みんな集まれ!
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