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ゆとり教育世代!生きる力はあるのか?ゆとり教育世代に?
ゆとり教育世代
ゆとり教育を受けた世代をゆとり教育世代という。
いや、マスコミはゆとり世代と呼んでいるみたいである。
ゆとり教育とは平成14年度の学習指導要領による教育をいい。
このゆとり教育を受けた世代のことをゆとり世代というのである。
だいたいマスコミはいろいろと言っているから何年生まれを指すのか所説はあるけれど、1987年から1994年生まれ周辺をいうらしい。
教育とは「生きる力の養成なり」と、在り来たりで当たり障りのない結論になってしまった、とまで言ってしまえば文部科学省に悪いでしょうか。
実はこれは総合学習、ゆとり教育で盛んに言われている「自ら学び自ら考えるなどの生きる力の育成」に他なりません。
そもそも、総合教育、ゆとり教育なるものが、如何なるものなのか。
知ろうとも思わなかったし、知りたくもなかったけれど、知識偏重教育や詰め込み教育を是正するために、新たに「ゆとり」という考え方を導入し、自らが取り組みたいことを見付け、自らがそれを学び考え、自らが判断し解決する。
それが生きる力となる。
その「生きる力の育成」というのが、総合学習やゆとり教育であると聞けば、興味が出るには至らないまでも、「おおっ」と思わず口を突いて出そうな感じとなってしまう。
そして、「マジか」、「文部科学省も、遂に本気になったか」と続いて出てしまいそうな。
「生きる力の育成」という言葉には、それ程の、インパクトを感じてしまいます。
だって、今までは受験用の勉強しか教えてこなかったのだから快挙なのです。
さて、ゆとり教育世代を育てる「生きる力の養成」とは何か。
(Who誰が)教師が。
(What何を)生徒を。
(Whenいつ)義務教育及び高校教育期間中に。
(Whereどこで)小中高校で。
(Whyなぜ)知識偏重教育、詰め込み教育の是正のため。
(Howどのように)総合学習、ゆとり教育を通して行う。
ゆとり教育世代に必要な「生きる力」とは何か。
(Who誰が)自分が。
(What何を)自分の人生を。
(Whenいつ)将来。
(Whereどこで)もちろん、学校という閉鎖社会で生きることなんかを要求していないのでしょう。社会に出て生きて行くことを意味します。
(Whyなぜ)社会に通用する人間になるため。
(Howどのように)総合学習、ゆとり教育を通して、自分の意見を持ち、それを表現できることを意味します。
無目的に時流に流されて生きていくことや、何の価値軸も持たずに生きていくことを求めていないと思いたいのですが、生き方や価値軸に対しては、何ら教える術を持ち得ていないようです。
では、生きる力が育成出来たかどうかは、即ち、教育者達の成功というものは、具体的に何をもって達成されることになるのでしょうか。
また、自分に生きる力が付いたかどうかは、知り得るものであり、測り得るものなのでしょうか。
教育の第一義は、知識を授けることですから、知識を満足する程度にまで憶えさせることが出来れば、それで成功なのでしょうか。
総合学習、ゆとり教育において、作り出された自由な時間を利用して、「人間とは、勉強しなければならないものである」ということを、気付かせることが出来れば成功なのでしょうか。
それとも、「学ぶことは面白い」と感じて貰えれば、それで良いのでしょうか。
詰め込み教育を止め、と言っても、別に詰め込みを全て止める訳ではないのだけれども、若干の総合学習やゆとり教育の力を借りて、もっと具体的に表現して、例えば、我が町のゴミ問題なぞを取り上げてみたとしましょう。
その問題を深く掘り下げれば掘り下げて行くほど、自分の町だけを綺麗にしようとしても、当然の事ながら、大気や川、海は繋がっているので、無理であることが分かり。
問題を根本的に解決するためには、日本全国を綺麗にしなければならないことも分かる筈で。
更に、日本だけでは問題は解決せず、世界全体を考えなければならないことに気が付くのです。
また、綺麗にするとは、何処かにゴミを捨てなければならないことであり、そして、捨てられた場所は汚染されることになる、などにも考えが及ぶものです。
「もっと良い方法はないか」、そして「それは自分ひとりでは解決出来ない」、「今の自分では知識不足、役不足である」などを知る羽目になるのです。
そうこうしている内に、「もっと勉強しなければならないこと」や、「このような身近な事柄から考えると、勉強も案外面白い」などにも気付いたりするのです。
ゆとり教育世代をこのような境地に到達させることが出来れば、一応教育者としての成功と言えるのでしょうか。
と、またまた、在り来たりで当たり障りのない結論付けをしてみましたが、今までの教育のように、一流大学、そして一流企業へ入るために勉強する、等という価値観を持たせるよりは、「生きる力」へ断然近付いたような感じがします。
と、確かに、そのように感じたりはするのですが、「生きる力」を持たせようとすること自体に関して、どうも個人として生きることを図ろうとしているのではなくて、社会人としてや、常識人として生きること、即ち、小さく纏まることを勧めているように思えてなりません。
ゴミ問題に続き、次から次へと、世の中の有りとあらゆるものを検討して行けば、自分は有りとあらゆることを知り得ていない無知であり、だから勉強する必要があるのだ、という結論になってしまうに決まっているからです。
社会人、常識人は、社会のことを知らなければならない、だから、社会人、常識人になるためには、勉強する必要があるのだ、という答えまで自然と導かれる寸法だからです。
有りとあらゆることを勉強して行く内には、知ることの面白さも分かり、更に運が良ければ、好きなこと、興味のあることも見付かり。
更に更に、その方面の勉強も面白くなる、ということなども、そりゃー可能性としては、何でもかんでも勉強するのですから、大きくなるのは当然と言えば当然のことです。
せっかく、ゆとり教育世代を育てる「生きる力の育成」という、良い線行っている結論が出せたのですから、ここは、『「自分らしく」生きる力の育成』と、もう一歩踏み込んでみようではありませんか。
さて、ゆとり教育世代が自分らしく生きるためには、何が必要でしょうか。
ただただ、学習することの面白さ、喜びを知ったというだけでは、少し物足りません。
自分だけの意味合いを付加出来なければ、物足りません。
学習する内に、好きな分野を見付け出し、それに携わることができる職業に就くための勉強もし。
そして、見事成就出来たというのなら、確かに「自分らしく生きている」、「自分だけの意味合いを付加出来た」と言えないことも無いのですが、多くの場合は、学習することの面白さは見出せても、好きなことを見出すことは出来ないものなのです。
どうでしょうか。
学習することの面白さは分かっても、好きなことを見付けられないのでは、到底自分らしい勉強をして来たとは言えないのではないでしょうか。
纏めてしまえば、ゆとり教育世代と言えども「自分らしく生きる力」を付けるにためは、まず、自分らしく勉強をする必要があると言えませんか。
このような言葉、今まで聞いたことがありませんが。
学校の先生曰く、ゆとり教育世代に向かって「自分らしく勉強をしろ」。
今までなら、こんな言葉有り得ません。
もっと曰く、「自分らしく勉強しろ。そして、自分にぴったりと合った好きなものを見付けてしまえ」。
うーん、こんなの有る筈がない。
物事は一瞬で決まります。
今していることに、意味を見出していないのであれば、気分はめっきり滅入り、そして落胆疲弊し、良くない思い出ばかりが思い出されて来て、お先真っ暗になることでしょう。
今していることの意味を見出した場合は、気分は益々快調、今まで辿って来た道程も、すばらしいものと見え、眼前に伸びる道筋は光り輝き、何もかもバラ色になることでしょう。
要するに、今現在遣っていることが、どうなのかによって、過去も未来も変わって来るのです。
全く同じ過去であっても、現在をどのように生きているかで変わるものなのです。
すべては一瞬で決まる。
現在の、今一瞬を如何に生きているかで、過去と未来の生き方を含めた、すべての物事が決まってしまうのです。
さて、ゆとり教育世代にそれを踏まえてもらって、自分らしく勉強をするためには、何が必要でしょうか。
・・・
それは、今現在自分は何故勉強するのかを問うことではないでしょうか。
ゆとり教育世代が文字通りのゆとり教育世代となったかどうか。
自分に生きる力が付いたかどうかは、これを問うたかどうか、そして、答えを得ることが出来たかどうかに、掛かってきます。
学校の先生曰く、「あなたは何故勉強するのですか」。
今までなら、このようなこと絶対に有り得ませんね。
「お前達が、勉強しなければ生きて行けない社会を作り出し、そして勉強しろと命令し、無理矢理学校に連れて来ているから、仕方なく勉強しているのだ。なのに、何という質問をするのだ」。
という声も聞えて来そうな問い掛けでした。
さあ、ゆとり教育世代よ。
本当の自分に立ち返れ。
本当のゆとり教育世代たるところを世間に見せて驚かせてやれ。
ゆとり教育世代がいかに人生にゆとりがあるかを見せつけてやれ。
【ゆとり教育世代!生きる力はあるのか?ゆとり教育世代に関連】
教育とは何か?教育目標↓教育方針↓教育目的↓教育計画!
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