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落胆と偏見と嫌な感じと侮辱と不愉快とは何か?

落胆と偏見と嫌な感じと侮辱と不愉快とは何か?見ず知らずの最低限の礼を必要とする文であれば日本語の苦手な私でもこう書きます。「どうせ、そんなやつは存在しない」といったような雰囲気を文章に残しているかのように感じられるので私は不愉快でした。

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落胆と偏見と嫌な感じと侮辱と不愉快とは何か?


落胆と偏見と嫌な感じ!
侮辱と不愉快!


Q


簡単心理テスト「あなたは幸せですか」について
投稿者:○△□ 投稿日:2005/04/25(Mon) 23:29


最後を見たくて「幸せ」を選び続けて、落胆する一文にたどり着きました。

>二度三度聞かれて、「実は、自分のやりたいことが実現できていない」と思ったところで「幸せ」と答えたのであれば、もちろん自分の吐いた言葉と行動、そして人生には自分で責任を持つのでしょう。

この文章には、多少の編集者の偏見が見える。
なんか嫌な感じだ。
書いた方ももう一度読んでみてくださいな。




私なら二度三度繰り返し尋ねられて、「実は、自分がやりたいことが実現できていない」と自答した上で「幸せ」と答えられたのならば、もちろん自分の唱えた言葉、している行動について、全体で見るなら自分の人生について責任を持っていらっしゃるのでしょう。

と書く。




特に侮蔑を感じるのは「吐いた」の一語。

見ず知らずの最低限の礼を必要とする文であれば、日本語の苦手な私でもこう書きます。

上記の一文には、「どうせ、そんなやつは存在しない」といったような雰囲気を文章に残していられるかのように感じられるので、私は不愉快でした。




A


石原慎太郎東京都知事が、2001年11月発売の女性週刊誌のインタビューや会議などにおいて、知人の大学院教授の発言を引用し、「文明がもたらした最も悪(あ)しきものはババア・・・女性が生殖能力を失っても生きているってのは無駄で罪・・・」などと話したそうで。




「これは黙っちゃいられない、女性蔑視だ」と、怒りに立ち上がった131人の女性達、石原慎太郎東京都知事の発言で精神的苦痛を受けたとして、発言の撤回と謝罪と1人当たり11万円の損害賠償を求めて、訴訟を起こしたのでした。

石原慎太郎東京都知事の発言は、原告の名誉を棄損し、女性への暴力や差別も助長すると、原告側は主張。

或る大学院教授の発言の紹介であり、特定の個人を対象にしていない、と都知事側は弁明。




かくしてこの判決は、2005年2月24日、東京地裁で言い渡されたのでした。

「女性の存在価値を生殖能力のみに着目して評価する発言は、憲法や男女共同参画社会基本法などの基本理念である、個人の尊重や法の下の平等とは相いれない」、「不適切な表現で、女性の多くが不愉快な感情を抱いた」と批判推測しながらも、「原告個々人の名誉を棄損しておらず、深刻な精神的苦痛を与えるまでの内容ではない」として請求を棄却。

不用意ではあったが、不特定多数を対象としており、個々人の権利や利益への影響は薄いとしたのです。




┏━━┓
質門┃:あなたの発言から、落胆と偏見と嫌な感じと侮辱と不愉快を感じた。
┗━━┛
┏━┓

┗━┛
:不特定多数を対象とした発言なので、落胆と偏見と嫌な感じと侮辱と不愉快を感じる謂われはありません。




と、・・・さて、




ホームページ宛に次のようなご意見を頂いております。




--質問------------------------------------------------------------

簡単心理テスト「あなたは幸せですか」について
投稿者:○△□ 投稿日:2005/04/25(Mon) 23:29


最後を見たくて「幸せ」を選び続けて、落胆する一文にたどり着きました。

>二度三度聞かれて、「実は、自分のやりたいことが実現できていない」と思ったところで「幸せ」と答えたのであれば、もちろん自分の吐いた言葉と行動、そして人生には自分で責任を持つのでしょう。

この文章には、多少の編集者の偏見が見える。
なんか嫌な感じだ。
書いた方ももう一度読んでみてくださいな。




私なら二度三度繰り返し尋ねられて、「実は、自分がやりたいことが実現できていない」と自答した上で「幸せ」と答えられたのならば、もちろん自分の唱えた言葉、している行動について、全体で見るなら自分の人生について責任を持っていらっしゃるのでしょう。

と書く。

特に侮蔑を感じるのは「吐いた」の一語。

見ず知らずの最低限の礼を必要とする文であれば、日本語の苦手な私でもこう書きます。上記の一文には、「どうせ、そんなやつは存在しない」といったような雰囲気を文章に残していられるかのように感じられるので、私は不愉快でした。


------------------------------------------------------------質問終--




因みに、簡単心理テスト「あなたは幸せですか」は以下のアドレスです。

⇒ http://www.kachijiten.com/questionnaire/enquete004/




この問いに対して、すかさず以下のように答えさせて頂きました。

まあ、この際は、何を問われたとしても同じことなのですが、要は、「自分が吐いた言葉の責任は自分でとるものだ」ということを言っている訳です。

「吐いた」という言葉が気に入らないのであれば、不特定多数を表す「自分」の行為であることをご理解頂きたい。




┏━━━━━━━┓
┃価値辞典の表現┃:
┗━━━━━━━┛

「実は、自分のやりたいことが実現できていない」と思ったところで「幸せ」と答えたのであれば、もちろん自分の吐いた言葉と行動、そして人生には自分で責任を持つのでしょう。




┏━━━━━━━━━━━┓
┃あなたに修正頂いた表現   ┃:
┗━━━━━━━━━━━┛

「実は、自分がやりたいことが実現できていない」と自答した上で「幸せ」と答えられたのならば、もちろん自分の唱えた言葉、している行動について、全体で見るなら自分の人生について責任を持っていらっしゃるのでしょう。




「吐いた」という言葉を削って、「礼儀」も十分に考慮して修正してくださりましたが、なんかインパクトに欠ける文章になってしまったように感じます。

また、「吐いた」という言葉自体、不特定多数の目を釘付けにする、抜群の効力を含んでいると思うのですが、いや、でも、これは当方の感性ですね。

それならば、ここは、日本語のプロ同士が選んで使っている言葉ということで、両者の表現をお互い認め合うことと致しませんか。




そんなことよりも、この文章は、当方の生き様を文字という形にしたものなのだから、自分で修正できるというもの。

もっとはっきりと言ってしまえば、この文章(生き様)は、当方だけのもの。
他人の手を借りずとも、自分の生き方の修正ぐらい自分で出来るのです。




なんかストレート過ぎる表現のようですが、他人の生き様に乗っかってきて、他人の文章を修正するよりも、ご自身の生き様であるご自身の文章を、修正するべきではと申し上げたい。

何事もオブラートで包み、本音を隠そうとする世間で、ただ一人ズバッと言っておりますが、そもそもの「引っ掛かり」である「自分」という表現。

これは決して、特定の個人を指している言葉ではありません。
それをご理解頂きたい。




--答----------------------------------------------------------------


貴重なご意見ありがとうございます。心から御礼申し上げます。

さて、ここからは自分自身のことを書きますので、ご承知おき下さい。

当サイトにあるすべての文章の底流を流れる、「嫌いなことをする自分から好きなことをする自分へと変化しようじゃないか」という本質。




これは自分自身の考える際のモノサシであり、行動規範でもありますので、それを一貫して通させて頂いております。

人間は変化しようとする際、何らかの大きなエネルギーを必要とするものです。
それが、自分の場合は、怒りのエネルギーであったということ。




怒りのエネルギーという負のエネルギーを激しく爆発させ、「好きなこと」というプラスの方面への、推進エネルギーへと変換して来たのです。

しかも、それは一過性で個別的やっつけ仕事ではなくて、普遍的で継続的なものでなければなりません。

要するに、受験勉強やゴルフの練習のように、繰り返し体に覚え込ませて推進しなければ意味がないのです。たばこを吸う習慣を身に付けてきたように、また、たばこを止めた習慣を身に付けてきた時のように、毎日繰り返す必要があるのです。

何度も何度も繰り返し体に覚え込ませ、頭に叩き込むために、文章化をし、常に目に晒し、己を発奮させてきたのです。




そして、文章には、何らかの巧みなスイッチを仕組んで、見ればすぐに緊張し、興奮し紅潮し、急激に怒りが込み上げてくるようにしたのです。

その巧みなスイッチが、体をカッと熱くさせる言葉であったり、自分自身を強烈に批判する言葉であったり、カッーと怒りを覚えさせる言葉であったり、また、それらを幾つも並べ立て、繰り返すことであったのです。

そこに、熱意と情熱も込めることができれば、効果は覿面(てきめん)です。




建前で繕った綺麗な言葉で、平板におとなしく書く方法もあったのでしょうが、ここで選んだ表現方法が、自分自身を痛烈に批判することであったり、激しく侮辱して発憤させる方法だったのです。

迫力が感じられない表現では、自分自身をも説得できず、ある行動へと駆り立てる力にも欠けるというものですから。

ジョン=レノンはイマジンを歌うに際して、「ファンのためには歌っていない、自分自身のために歌っている」と語りました。

アントニオ猪木氏もまた、「ファンのためには戦っていない、自分自身のために戦っている」と語っています。




自分を偉大な彼らと同列に描くのはおこがましい限りですが、誰も褒めてくれないので自画自賛することとして、自分もまた自分自身のために書くのです。

実際、自分の為し遂げようとしている事業(これもまた大袈裟な表現ですみません)なんて、自分以外に評価する者なんて居ないのですから。

いろいろと茶茶(ちゃちゃ)を入れてくる(これもまた失礼な表現かもしれません)人は、どこにも居るものですが、飽く迄も自分の人生です。

自分で適正に評価する以外ないのです。

他人の評価に乗っかって、のらりくらりと生きて行く方法もありましょうが、これは会社という他人の作ったルールの上に乗っかって、のらりくらりと生きて行くようなもの。




さて話を元に戻しまして、自分自身を含めて、読む者すべてが自分自身に置き換えられるような狙いも込めて、使っている「自分」という人称代名詞。

後に続く文章は、とげとげしさを多少は削りつつ、認容できる範囲の表現方法としているつもりです。

「つもり」と言いますのは、自分の個性の発露である文章を、他人の基準で書く必要は元よりなく、従いまして、社会規範の最低限は守りつつ、加えることの、自家製の人間尊重の判断基準を以ってして、表現させて貰っているとの意味合いからです。




侮辱されたように思うからと言って、いちいち(これもまた失礼と思われるかもしれません)文章を修正していたら、当サイトはことごとく、この世の中から消え去ってしまうのです。

自分のことを書いたようにカモフラージュし、印象を和らげる反面、実は読むものすべてに熱意を伝わらせるような、迫力を持った一人称の代名詞を用いた表現方法。(自画自賛です)

これを責められたら、当方、すごく困ります。




かといって、歩みを止めて死ぬ訳にもまいりませんので、続けて個性を思ったまま表現させて貰うしかありません。でも、思ったまま書いている内には、失礼な表現もしてしまいます。そして、それは自分では見落としがちです。

己の価値基準を通させて頂く、というのが基本姿勢ではありますが、今回は、面倒臭いにもかかわらず、丁寧に教えてくださった労苦に報(むく)いるために、当該一文を削除することと致しました。

「大変申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます。」




追伸

当方も日本語は苦手ですが、成人ともなれば20年は日本語を使っている訳ですし、これはもう日本語のプロと表現しても良いのでは。

表現が拙(つたな)いだとか、語彙(ごい)力に欠けるだとか、描写に劣るとかで、己の個性の発露を制限してはいけません。

プロはプロらしく、堂々と胸を張り個性を出して生きていけば良いし、プロはプロの仕事を尊重してあげなければなりません。自信過剰の当方も、ついついしてしまいがちですが、日本語が苦手だなんて謙遜してみても、白々(しらじら)しいだけなのです。

生き方の表現は、いろいろあって然(しか)るべきなのです。


--------------------------------------------------------------答終--




「大変申し訳ございませんでした。深くお詫び申し上げます」

と、利益のためなら、お客がどのように理不尽であろうと、決して怒らず、逆らわず、本音を見せず、終始建前で表面上を繕う対応をしてみせろ的謝辞。

これは、お客様は神様的発想をする企業の、対処法そっくりそのままです。

本音は、「人それぞれ、どのように生きようが自由だろ」というところにあるのですが、一本調子で押すことはせず、返って引いてみせるのです。

「さすが商売が分かっていらっしゃる、人間がでかい、度量が大きい」などと、偽りの実社会では評価されるところでしょうか。




でも、ここは価値辞典の価値辞典たる所以(ゆえん)である、本音の答を、更にお贈り致します。

ここからは、本音に拘(こだわ)る価値辞典だからこそ、成し得る所業だと思って下さい。

もう既に来ていると、言われる方もいらっしゃるかもしれませんが、本音を聞いてカチンと来るのも良し、本音を隠して綺麗事のみを並べ立てる企業よりは、よっぽどましであると思うのも良し。

更に、「我々とは何の因果もないのに、多大な時間と労力を掛けて得難い本音を聞かせてくれる、それでこそ得難い存在、価値辞典である」と、思ってくださるのも良し。

「一銭の得にもならないのに、奇特にも、なぜ本音を伝えようとするのか?」と、思って頂くのも、これまた良しなのです。




この世の中は、本音を綴(つづ)るより、建前で偽ってしまった方が楽に生きられます。

そんな世の中だから、いざ本音が聞きたいなと思ったところで、そんなもの存在しないのだ、となってしまうのでしょう。

本音を綴ったところで、お金になる訳もなく、文句を言われて面倒なだけなのだから。




『価値辞典』編集室も、かつて探した本音の集大成。

でも、そんなものこの世の中には存在しない。

ではと、無いなら自分で創ってしまえと、膨大な時間と労力を投入します。

ケチも付けられますが、その道中には、みなさまからの応援もあったりして、お陰様で、「こんなものが、中学生や高校生の時に読みたかったな」と、思えるものへと順調に仕上がってきているのです。




--答2--------------------------------------------------------------


こちらは、あなたに落胆することは決してありません。
いち個人としてりっぱに生きている人間に対して、落胆などしないのです。

あなたは、どのように振舞って頂いても結構。個人の生き方は尊重こそすれ、落胆など決してありません。

また元より、どのように振舞うかについて、当方の許可など得る必要もありません。




なのに、何故あなたは、当方が書いていることに落胆するのでしょうか。

例えば、あなたがホームページを開設して、言いたいことを書いたとしませんか。そこへ当方がお邪魔をさせて貰って、読んだとしませんか。そして、当方はそこに、不適切な表現を見付けたとしませんか。

でも、ここで、あなたに対して落胆などしないのです。




ホームページであなたが表現していることは、あなた自身の人生そのもの、生き様そのものであって、当方のものではないからです。

あなたの人生はあなただけのものであって、他人が落胆するような軽々しいものではありません。

元々、あなたも当方も、誰に遠慮することなく自由奔放に生きられる筈。もちろん、その生き方も千差万別、まったくの自由です。




当方は、このことを知っているから落胆しません。

こんなことは、実際にあなたがホームページを開設して、本当に自分の意見を載せ始めれば、簡単に実証されるものです。

「あなたに落胆した」との意見を、寄せる方が必ず現れるのです。




他人というのは、ほとんどの場合、自分の意に反して生きているものです。

そして、他人からすれば、自分の価値なんてものは、偏見以外のなにものでもないのです。

自分の価値軸を探し当てる行為、これ即ち、他人が偏見だと感じる思考を見付け出す作業だったのです。


------------------------------------------------------------答2終--




全般的に、「誰も褒めてくれないので自画自賛」というの言葉を省略させて頂きました。

























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