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侮辱!爺さん婆さんの昔話を聞いてる方がよほど面白い!
侮辱!
昔話の方が面白い!
Q
地に足の着いてない理想を聞かされてるようであまり面白くはない。
爺さん婆さんの昔話を聞いてる方がよほど面白い。
A
ここで、『価値辞典』編集室がよくやる思考方法のひとつを、ご紹介します。
その人が、言ったことを何十回、何百回・・・何十万回と重ねてみます。
そうすれば、その人の人生そのものが見えて来ます。
「そんな、一言位で人間が分かる筈がない」と言われるかも知れませんが、それじゃー、面白くないと感じたものに対して、直接「爺さん婆さんの昔話を聞いてる方がよほど面白い」と言ってしまえる思考、それは一体どこから来たものなのですか。
言葉とは、思想をバックボーンとして思考したものが、口から飛出して来るものです。
その思考を何十回、何百回と繰り返せば、1日が形成され、そして、その1日を365回繰り返せば、1年が形成され、また、それを70回繰り返せば、その人の人生が形作られます。
自分は今までこのようにして生きて来た、そしてこれからも、そのように生きていくつもりだ、と言われるのであれば、それもまたひとつの人生ですが。
1日に、そうですね、数十や数百の他人の考え方に触れられることは可能でしょうか。
その中の、恐らく、大半が面白くないものだと感じられるのではないでしょうか。
「爺さん婆さんの昔話を聞いてる方がよほど面白い」という、あなた流の嫌味な表現を借りれば、「どうぞご勝手に、それら面白くないものへの反応を一生お続けください」となります。
このような表現は、対象を特定しない書き物としては存在し得ますが、面と向かって言う言葉ではないように思うのですが、如何でしょうか。
と、ここで問うたところで、そのような生き方を続けることには変わりがないのでしょうか。
インターネットの利用者として、その創始以来の本当に素朴な疑問ですが、ネット上は、顔も名前も分からない、だから失礼なことも平気で言えてしまうのでしょうか、どういう積もりなのでしょうか、お伺いしたいものです。
ご意見やご感想を募集してはいますが、あなたが誰のものよりも大切にしている自分の人生と、同じものを持った人間が、運営しているホームページであることに、お気付きください。
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