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適当な時期に生命の終わり!なぜ人は長生きを願う?
適当な時期に生命の終わり!
なぜ人は長生きを願う?
とっかかり
差出人:優柔不断
送信日時:2004/11/28(日)
21:15:25
なぜひとは長生きを願うのかなぁ。
適当な時期に生命の終わりがあってもいいと思うのだが..... |
意見
差出人:風
送信日時:2005/06/20(月) 00:06:52
聖書による者は永久に倒れることなし。内村鑑三
あなたがたがわたしにつながっており、
わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、
望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。ヨハネ
15:7
日々多くの言葉に触れ続けるうちに
聖書がわかるようになりました。
毎日読んでも飽きないですよ〜!
意見
差出人:へぇー
送信日時:2005/02/02(水) 05:30:03
理由として私がすぐに思いつくのは
1.死ぬのが怖いから
2.未だ見ていない世界をよいものであると思うから
3.現在自分が手にしている物を失いたくないから。(現状が永遠に続くと思っているから)
なーんて所でしょうかね。私は3>1>>>>>>>>>>>>2の順で実感できますね。
2に関しては現在の状況が良いか又は、現在においてかなり確実に自分の将来を保障できる
モノが存在すれば、つまり、3を前提としてならありえますね。
何の根拠も得られないのに2の理由で長生きを願うというのは私には実感できませんね。今この時点で、「生きよう・この世で何かを成していこう」と思うのだって、ある程度期待できる根拠があるからですしね。
単に将来に期待するというのは、ひたすら義務だけ遂行して権利を要求しないものですし。
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意見
差出人:じじい
送信日時:2005/01/26(水) 22:07:03
今は亡き司馬遼太郎曰く、「坂本竜馬は、いつ死んでもおかしくないように心がけた」。いまのとこできてはおりませんが、こんな風に生きれたらいつ死んでも心地よいかなと思います。
お金だ、芸術だ、経済だ、上層だ、中層、下層だと、他人事ながらむなしさを覚えます。はかなき世の美しきかなです。
細く長くても太く短くてもその逆でもいいじゃないですか?私はいつも「吾唯足知」です。
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意見
差出人:
送信日時:2005/01/25(火) 18:58:08
300年さんはホームレスになる危険性の無いお方ですね。
それだけ自信が持てるのはよい事なのかも知れません。社会の下層階級が減っていくと3Kをやる人間がいなくなるので困る人たちもいるでしょう。
だから公にすることは困る。でも残念ながら私目はあなたや会社の上司、同僚に信用してもらわなくてもよい立場です。
たかだか数時間のTV番組でわかることは、日本社会の主流に入っていない者に対する冷たい仕打ちです。
しかし300年さんはいつまで自分が社会の主流でいられると思いますか。
余裕のなくなった日本社会はこれからどんどんリストラをしていくことになります。
あなたが犠牲者になる日が来ないことを祈ります。
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意見
差出人:フーン
送信日時:2005/01/25(火) 14:28:35
ある人が言った。
(この話をすると、私の正体がバレてしまうかもしれないけど)
「世の中、お金が余って命が足りないのも困るけど、命が余ってお金が足りないのも困るよね」と。
確かに、人間、適当なところでお終いに出来たらいいんだが。 でもまあ、他人にあれこれ言われたくはないよね。こういう問題は。
あいつ、まだ生きてる・・・・ほっといてくれ!勝手だろ!と言いたい。
私にだって、それなりの楽しみはある。
もっとも、自分の命に値する生き方ができなくなれば、自ら命を絶つというのも見識かもしれない。
しかし、そういう生き方が普段から出来ているか? That
is question.
でも、単純に、あなた、結末を見たくないですかね?
ただただ、そういう思いで、生きているようなもんだな、俺なんか。
エンディングが終わった後で、突然、ショート・ストーリーが流れ出す趣向の映画もあるがね。
(「フロム・ダスク・ティル・ドーン3」のこと。)
実際、こういうのがあると思うと、なかなか死ねませんよね。
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意見
差出人:300年くらい生きても足りない
送信日時:2005/01/25(火) 00:55:56
遠い何処かの貧しい国の貧しい子供に「将来、何に成りたいの?」と聞くと「生きたい。」と答えたそうです。貴方は負担や重税程度で生を望まないのですか?私には貴方の不幸は”死ねる言い訳”に見えます。
世の中は凄いですよ。芸術、文学、経済・・・そのどれを取っても全てを知るには100年使っても足りませんし家族・友人・収入・社会的地位がどれほど在っても5年で十分です。
私は生きたいと思う事は「何かをしたい」と願う事だと思います。例え世の中全てから”みじめな人生”と蔑まされても、その憧れが在れば生を願う事が出来ます。
又、出来れば。
貴方の主張は公の場での発言控えた方が良いと思います。
『不幸な人間は生きるべきでは無い』と言っている様なモノで、同じ用法を用いれば「たがだか数時間程度のTV番組で人の50年を簡単に否定する惨めな考えを持つ人生を送る事が判っていたら、もっと早く手を打つ事が出来たのでは無いのでしょうか?」と言う事も出来ますね。
尚、私はこう言った場でこの様な軽率とも取れる発言を行う人間は信用しません。万が一、会社の上司や同僚と言った交流関係がそれなりに必要な場に私と同じ考えを持った人が居た場合、貴方の社会的信用を失う恐れがあります。
以上、大変失礼な文でしたが大変興味深い内容でしたので書き込みをさせて戴きました、この文章が貴方やコレを見ていただいた方に何らかの有益な情報であれば幸いと思います。
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意見
差出人:ばれたかー
送信日時:2005/01/24(月) 23:42:22
長生きして幸せな人と、長生きして不幸な人っていると思う。
家族がいて、友達がいて、そこそこの収入があって、それなりの社会的地位を持っている人は長生きしたいだろう。秦の始皇帝だって不老長寿を願っていた。
逆に何も持っていない人は長生きしたいのだろうか。
負債や重税に苦しむ人は長生きしたいのだろうか。
病気で苦しい思いをしている人はどうか。
前TVでオヤジが早死にした男の人生を放映していた。
母親は食うために働くので精一杯で、子供のことまで手が回らなかったらしい。
そいつは社会から置き去りにされ、ろくな仕事にも就けず、50になるまで母親の年金で食っていた。
そしてある日、酒瓶を抱えたままそいつは死んでいった。
ほとんど自殺だろう。
50になるまで、こんなみじめな人生を送る事になることがわかっていたら、もっと早く手を打つことが出来たのではないか。
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