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むかつくうざいしね悪意は生まれる? - 提供「価値辞典」

先天的な悪人は存在するのか?「むかつく」「うざい」「しね」悪意はなぜうまれるのか。話もせずに暴力をふるう人。そうすることが自分を認めてもらえる手段だと思っている人。「むかつく」「うざい」「しね」基本的に悪意とはどうして生まれてしまうのでしょうか?

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むかつく!うざい!しね!悪意は生まれる? - 提供「価値辞典」


むかつく! うざい! しね!


とっかかり

差出人:じじい
送信日時:2004/10/31(日) 16:58:21


「むかつく」「うざい」「しね」
悪意は、なぜうまれるのか・・・・。

「むかつく」「うざい」「しね」・・・・、基本的に悪意とはどうして生まれてしまうのでしょうか?

相手のミスや行動に対して敵意を持つ人間は、何を根拠に攻撃性を相手に向けて、さらには攻撃に移してしまう。

先天的に悪の人間が存在してしまうんでょうか?
それとも後天的のその周囲における環境うんぬんで、人間の善悪が発生してしまうのでしょうか?



自分にとって必要ない、もしくは不利益な存在は、すべて相対的に悪で、そう信じている自分自身は善で。

正しいと思う自分のすることは、たとえ相手に不利益なことであっても正しいから行なうのですか?

だからいじめも戦争も暴力もそれを正しいと思う人間が行なうときは、その行為は、客観的に見ても不愉快なものであっても、正しくあり、善であり。

なんについて善悪の境界線があるのか、最近あいまいです。



自分にはない、基本的に力で何でも解決するタイプの方からの意見が聞きたいです。

自分は、すべての物事は、互いに譲歩することによりほとんどいさかいなく解決が計れるのでは?

そ思っています。
「むかつく」「うざい」「しね」どうして生まれてしまうのでしょうか?



意見

投稿者:祐也
投稿日:2006/02/05(Sun) 22:43
題名:無題


くみさん>ぁvv『妹の世話ゎ全部ぁたしに押し付けてくる!』的ぢゃないですか??
うざい。
 解ります... 俺わ 妹になれなれしくされるのが嫌です。



意見

投稿者:くみ
投稿日:2005/10/28(Fri) 18:20
題名:妹うざぃ!!!


ほんとぉ、ありえんほど、うざくってぇぇぇ。。。。。。

うざい。まじでぇ、いなぃ方がぁいぃ!!!!!!!!

かなり、きもぃしぃ!!!!!!!!!!!!!

いなくなってほしいくらぃ!!!!!!!

消えろぅぅぅ!!

もうぉ、出ってけぇッテ感じぃ。。。。。(怒)



意見

投稿者:綾乃
投稿日:2005/08/05(Fri) 23:22
題名:無題


うざい。
むかつく。
先輩。

あんなに信じてたのに。
あんなに憧れてたのに。

裏切るなんてひどいよね。
なんであたしなの?
ほかにもいるじゃん。

あたし知ってるんだから。
裏メール回ってくるもん。

ねぇ、やだよ。
あたし、やだ。

先輩なんて嫌い。



意見

差出人:フーン
送信日時:2005/02/09(水) 12:00:04


フーンです。

もう長いことこの問題について考えるのを止めてましたので、何だったか直ぐには思い出せませんでしたが、へーさんにお答えさせていただきましょう。

>フーンさんへ
>>あいつと俺とは同じなのに、俺以上に、何かを知っている。けしからん
>えっ、他人が自分以上に知っている事があって当然なのでは?

そんな事で「けしからん」なんて気分になるんですか?
逆に自分にだって他人に勝れる部分がある訳だから、その部分を伸ばすだけで十分他人から認めてもらえますし…。



あなたは他人に嫉妬なんか抱いたことがないようですね。

まあそれはともかく、どちらかというと、あなたのおっしゃることは嫉妬心の克服法ですね。

私はあなた同様に自分の心の中に潜む嫉妬心を克服すべきものとは考えますが、その存在を否定するつもりはありません。

そして、その嫉妬心を克服できない、しようとしない、する気がない人間もいることを知っています。

感情的な人間なら、嫉妬心に身を委ねて、荒れ狂うでしょう。
そういう人間もいるんですよ。



自分と同レベルと思っていた他人が自分の知らない何かを知っている時というのは、機会均等が確保されているなら知る訳のないことを知っているということであり、「それはけしからん」という感情がわき起こるのは当然と思いますがね。

>>問題を抱えた人間というものが、困ったり、苦しんだりする様を見てみたいという、純粋にサディスティックな好奇心

>フーンさんのこの意見は怖いですね。自分の利点を集めようと思えば幾らでも集められるはずなのに、何にもしないで人の事に注目して発散している様で。



まだるっこしい言い方は好きではないので、失礼ながら申しますが、あなたは今いったい何について議論しているのですか?

悪意の源泉についてでしょう?



それなのに、ご自分は善意の人であるなんてこと言ってどうするんですか?
悪を考えるということは、もともと「恐い話」でしょう。

ご自分はどうか知りませんが、世の中にはそういうこともあるのでは?
と少しで良いですから、ご想像していただけませんかね?

我が内なる悪も見つめられないようでは、今時の中学生もつとまりませんよ。
善を行うためには悪を知らなければならないのです。
「悪を知らずして善を行うは善に非ず」です。

たいていの人は皆、あなたと違って、イノセントではありませんからね。
また、この考えはさほど目新しいものでもないと思いますがね。



意見

差出人:へぇー
送信日時:2005/01/31(月) 05:27:06


フーンさんへ

>あいつと俺とは同じなのに、俺以上に、何かを知っている。けしからん

えっ、他人が自分以上に知っている事があって当然なのでは?
そんな事で「けしからん」なんて気分になるんですか?

逆に自分にだって他人に勝れる部分がある訳だから、その部分を伸ばすだけで十分他人から認めてもらえますし…。



>問題を抱えた人間というものが、困ったり、苦しんだりする様を見てみたいという、
>純粋にサディスティックな好奇心

嫌いだとか、頭にくるというのはありますが、基本的に「ご遠慮願いたい」だけで、人が困ったり、苦しんだりする様なんて別に見たいとは思えませんね。

どちらかと言えば上手に上昇していける人達一緒に刺激しあえればいいかと。



確かに人それぞれですから、上手くいかない場合もあるでしょうけど、その時はその人が後ろ向きになるのを防ごうと思うのでは。

そうでなければ、すぐに相手の前から退散しますね。
どういった意図でおっしゃられたか分かりませんが、フーンさんのこの意見は怖いですね。

自分の利点を集めようと思えば幾らでも集められるはずなのに、何にもしないで人の事に注目して発散している様で。



意見

差出人:フーン
送信日時:2005/01/21(金) 15:09:46


<個人的な考えさんへ。私に宛てられたご返事とも思えませんが。悪意の源泉についての議論から離れたくありませんので、反論になっているか分かりませんが>
そうかな?

このケースは、似たもの同士が互いに持っている似た持ち物を巡っての争いと思う。

争いの原因は、同じレベルものを持つのは、自分一人で良いと思うからじゃないかな?

つまり、独占欲、権力欲の萌芽。
これを暴力で満足させるか、対話で満足させるか、何度も言うように、それは単に手法の問題。

他人と横並びで程度で満足する人やそんな場合なら、仲良くして、喧嘩にならない。

そして、いずれにせよ、こういう程度では、たとえ喧嘩をしても、悪意に満ちた手管を弄したりはしない。



悪意というのは、そういう独占欲や権力欲などの排他的な欲望そのものに源泉があるのではない。
(排他的欲望自体は善でも悪でもない。それを否定するのは共産主義だけだろう。)

悪意とは、それが満たされない状態にある時、それを満たしているように見える他者に対して覚える”嫉妬”にこそ、その源泉があるのだ。

大方のものは自分の身の程を知っており、滅多に悪意を具体化したりしないが、最近は、並はずれたアホがいるからね。

自分の悪意をストレートに具体化したらどういう結果になるか?
このイメージが思い描けないんだね。



そういうアホ達は、自分が天才だとか偉い人間だとか誇大妄想に陥っていたり、にもかかわらず不当に虐げられているとか被害妄想に陥っていたりする。

妄想を爆発エネルギーに転換しているのだ。
こういうのには、瞋恚(しんい)の炎(ほむら)というのかな?”嫉妬”が渦巻いており、悪意がある。

しかし、現実感覚を見失っている者達の中には、そんな説明可能な者ばかりではない。

悪意は全然ないのに、普通の人間からすれば、悪意に満ちているように見える者もある。



気持ちの悪い犯罪者だ。
蛇に睨まれた蛙のように、そういう者には底知れない恐ろしさを感じるはずだ。

そして、彼らの深く暗い悪意を感じる。
が、それは違うのだ。

それは気持ちの悪い犯罪者ではなく、こちらが相手にそういう悪意があるように思い込んでいるだけの話なのだ。



相手が理解できていないのはこちらの方なのだ。
例えば、あなたはどれだけイスラム原理主義者のことを理解できている?

私が彼らに無知だから言うのではないが。
少年犯罪者や通り魔や幼児性愛者のことも同じ。
ブッシュも同じだ。

一見、彼らが理解できない者を排除する行為に悪意を感じるのは、彼らに悪意があるからでなはく、あなた自身が彼らを理解できず、そう思うからに過ぎない。

彼らは必ずしも対象が理解できていないとは限らず、また対象に悪意を抱いているとも限らないのだ。



もちろん、実際に”嫉妬”、”復讐心”、”宗教的信念”とかに基づき、悪意を抱いている場合もあろう。

”うざい”と言って、少女が誰かを殺したって、”うざい”は表現力の問題であり、詳しく説明したくないからかもしれない。

少女の行為に何を感じようと、それはあなたがそう思うだけで、真実は分からない。

変に、すぐ暴力に訴える人=悪意に満ちあふれている人=他者を理解できない人とか思うのは、偏見じゃないのかな?



意見

差出人:個人的な考え
送信日時:2005/01/13(木) 10:41:44


「悪意」という言い方をするとわからないですが、「悪意」ではなく、「自尊心の戦い」だったとしたら?

例えば、小さな子供2人が、自分のお気に入りのガンダムを持っていたとします。
それは、周りからは見分けがつかないほどそっくりだったとします。



でも、2人は喧嘩を始めます。どうしてだと思いますか?

お互いが、「自分の」持っているガンダムの方がすばらしいと認めてほしいから。
自分のガンダムをほめられることが、「自分が認められた」。

と感じることだからです。
ガンダムを通して、自分を満足させるための戦いをするのです。



人間は人から認めてもらえることが一番の欲求だといいます。
話もせずに、暴力をふるう人。

そうすることが、自分を認めてもらえる手段だと思っている人。
きっと、暴力を振るわなくても、ちゃんと見てくれる人がいれば、そうはならなかったでしょう。



戦争にしても、宗教にしても、自分達の主張を守るため。
すなわち、自分を守るための戦いなのです。

だから、一方的に悪いとか、そう簡単に解決できないのです。
勝ち負けが出た時点で、一方の自尊心を満足させ、一方は傷つけることになるのですから。



あなたは、子供の頃、きちんと両親に自分の話を聞いてもらって、自分を認めてもらって、愛情を受けて育ってきたのですね。

もし、あなたの両親が、あなたのことをほったらかして、思い通りにいかないと怒鳴る親だったらどうなってたと思いますか?

あなたは聞いてくれない親に、聞いてくれ!と。
暴力をふるってたかもしれないですよね。

そして、それが成功したとしたら?



意見

差出人:フーン
送信日時:2005/01/03(月) 00:09:20


>ベースとして依って立つものが同じ者同士の場合に、自分と異なる行動をとる者に向けられる悪意というものも、"嫉妬"と捕らえてよいのでしょうか。

 まず、似たもの同士が違った行動を取るというのは、現状認識の点で両者に差があるということであり、相手の行動が理解できないというのは、自分が劣っているからと考えた方が良い。



 相手は自分が知らないことを知っているのだ。
 だから、自分とは違った理解できない行動を取る。

 逆に、違った行動を取る相手の行動が手に取るように理解できれば、自分の方が相手より、現状認識という点で、より正確に把握できているということになる。



 こういうことが、誰でも瞬間的に分かるから、似たもの同士で、理解できない違った行動を取る相手には、”嫉妬”を覚え、悪意が生まれるのだ。

 あいつと俺とは同じなのに、俺以上に、何かを知っている。
けしからん、と。

 異質なもの同士の場合は、”嫉妬”というのは考えにくいが、似たもの同士の場合は、”嫉妬”以外に何があるのか、逆に、これまた考えにくいと思うね。

 考えられるとしたら、純粋な悪意だが、それは対象に対する悪意ではなく、言ってみれば、好奇心のようなもの。



 例えば、あることに触れられることを格別嫌っている子に、それをあえて触れてみたら、どんな反応を示すだろうか?とただそれだけで、触れてみたりしたことないかな?

 特にその子が嫌いでもないのに、むしろ好きな方なのに、浅はかな性格だからか、それほど良い人間でないからかもしれないけど、問題を抱えた人間というものが、困ったり、苦しんだりする様を見てみたいという、純粋にサディスティックな好奇心。



 つい、そんなことをやってしまって、一生、痛恨の極みで、悶々としてしまう、そんな体験ってないかな?

 ないとしたら、へぇーさんは、良い人ですね。

 何かに気を取られていて、こちらの存在に気がついていない猫を思い切り蹴飛ばしたら、どんなだろう?という誘惑に抗しきれず、蹴飛ばしたりする。

 こんなこともしたことない?ないんだろうな。

 この気持ちは、猫と人間という異質な者同士ではあるが、動物同士という点では似たもの同士であり、かつ純粋な悪意と思うね。



 まあ、とっかかりの意図は、そういうところには、全然なくて、凶悪犯罪を犯すような人達や異質なものに不寛容な人間の理解不能な心の動きに何でそうなるのか?

ということなんだろうが。

 理解できないものを排除するところに悪意が生まれるというのは、誤解と思う。
 排除された方が、排除する方に悪意があるように思うだけだ。

 理解すればするほど悪意が生まれることもあるし、理解の有無は関係ない。

 理解できないとこっちは思っても、相手は十分こっちのことを理解しているかもしれないよ。

 むしろ、理解できないのは、こっちの能力の問題だ。
 それと、それが分からないのは、こっちが幸せだからだろう。



意見

差出人:へぇー
送信日時:2005/01/01(土) 21:10:46


フーン さん
確かにそうですねぇ、"嫉妬"からくる悪意、分かる気がします。

 ただ、あまりに簡単に説明してくださったので、あなたがおっしゃったことの意味を完全には捕らえられなかったのですが、例えば、宗教や常識といった、ベースとして依って立つものが同じ者同士の場合に、自分と異なる行動をとる者に向けられる悪意というものも、"嫉妬"と捕らえてよいのでしょうか。

それとも別な何か要因があるのでしょうか。



意見

差出人:フーン
送信日時:2004/12/21(火) 22:49:24


面白い問題だが、抽象的議論も良いけど、もってまわった言い回しは止めて、もっと単純に具体的に行こう。

ズバリ、悪意の源泉は、単に”嫉妬”じゃないかな?
サリエリがモーツァルトに対して感じたように。

相手の才能を理解すればするほど嫉妬心が燃え上がり、憎悪が高まり、悪意が心に満ちて来る。



あれはお話の上ことだが、確かに人生の真理というものが含まれている。
当然そういう関係なら、話し合っても無駄というもので、力による解決しかない。

だから、毒殺。
悪意の有無とその人の性向が暴力型か対話型かということは、何の関係も無いのでは?



だって、問題の質によっては、どちらの型も最適解決法になる資格があるからね。
それはあくまで手法の問題であって、どちらに悪意が生まれやすいなどというものではない。

誤解は対話型の方が少ないだろうが、時間がかかるという欠点、特性がある。



では、”嫉妬”以外に、他に悪意の源泉というものがあるのか?
具体的に考えてみよう。

例えば、変質者(のような者)には、悪意はあると言えるだろうか?

これは自分が正常者としてだが、お互い理解しにくい相手だし、仮に相互理解できても、友好的な関係が築けるのは、自分も似たような変質者である場合だけだろう。



しかし、それでも、変質者にも”嫉妬”に根ざした悪意はあるだろう。
死刑になった宅間守のように。

宅間守の”悪意”を考えてみればよく分かる。
彼の悪意の源泉は、成功者への”嫉妬”以外の何物でもない。

それ以外何かあるかな?
思いつかないが。



世の中には、彼の発言が分かる不幸な人間と分からない幸せな人間がいるが、だからといって、どうってことはない。

結果は同じだ。
もちろん、さっさと死刑。
彼は、被害者やその遺族達のことを彼ら自身以上に十分理解していた。

もっとも、被害者については、被害者の”可能性としての未来”だが。
これが、他者を理解することによっては、決して悪意が消えたりはしないという証拠だ。

パレスチナやイラクで起きている憎悪の連鎖もまた理解すればなくなるというものではない。

あそこでも相互理解は何の役にも立たない。



イスラム世界は、服従か死かを早く見極めた者のみにこそ生き残るチャンスがある世界だ。

どちらも嫌で、そこで勝ち抜く力がないなら、深入りしない方が良い。
そこは我々の想像を絶する世界で、さすがに単なる”嫉妬”が憎悪の源泉だとも思えない。

それは”嫉妬”ではなくて、”宗教”だろう。我々の悩む個人的な問題ではない。
”嫉妬”以外に悪意の源泉があるとすれば、ホント、”宗教”しかないね。



次に、殺人淫楽症のような変質者のその変質的行為自体に悪意はあるだろうか?

多分、ないんじゃないかな?
ねじ曲がった愛情とか歓びとかはあるかもしれないが。

では、”純粋な悪意”はどうか?
これは難しい。
人間性への理解の深さが問われる問題だ。

この場合、源泉は、”嫉妬”でもないだろう。
だが、あまりにも一般的でなさすぎる。
で、却下。

このとおり、悪意の源泉として”嫉妬”以外とりたてて思い当たらないので、やっぱり、”嫉妬”じゃないかな?



他者の美しさや才能、幸運や成功などを”嫉妬”するときに、”悪意”は目覚める。
自分には、永遠に得られないものであり、とうてい起きようもないこととなれば、あるいはいっそのこと”終わり”にしたくなるという心理も理解できなくはないだろう?

お粗末だったかな?



意見

差出人:ナナシ
送信日時:2004/12/04(土) 06:11:23


異なる人間を理解することの努力を他人に求めるなら、他の人の安心の為に、同調する努力も求められて当然だと思うのですがどうでしょう?



意見

差出人:GON
送信日時:2004/11/28(日) 14:11:02


じじいさん、返答ありがとうございます。

「僕は君じゃない。」
人間どうし完全に理解し合うことは不可能です、ですが理解しようと「努力」することはできます。

自分と同じ人間はこの世に一人としていません。
すごく当たり前のことを言っていますが、(悪意は何故生まれるのか?)を考えるにあたりすごく重要なキーワードだと思います。

先に書いた「安心できない」は、この「努力」をしないことを指しています。



<<その人を侮蔑するような言い方をすれば低俗な人間ですら、野性むき出しの本能のまま生きているような人でもやはり同じように反省と修正はするものなのでしょうか?

私としては、それはやはり「異なる人間」で受け入れることは不可能に近いのですが・・・



不可能に“近い”だけであって、受け入れることは可能です。

低俗と言ってもあなたにとっての低俗であって本当に低俗なのかは分かりません、じじいさんが低俗だと思う人間は、私に言わせればただの「不安症」の人間です。

他人を評するなんて烏滸がましいことはできませんが、できるだけ大きくて長い、いろんな種類の物差しで人と接していこうと常々思っています。



こうすることによって、あんまり腹の立つことも減りました。
(良いのかどうかは分からない・・・)

「万人が残す、万丈の轍は、万の尺度をもってこれを計る」      おそまつ

ちょっと本題からはずれたかな・・・・では。



意見

差出人:じじい
送信日時:2004/11/22(月) 21:55:10


ナナシサンへご返答ありがとうございました。

結局は自分基準が改編されることはないってことですかね?自分もそういう部分がありますので、理解できます。

でも、前から歩いてくる人間すら邪魔で、嫌悪と威嚇をもってにらみつけているような、その人を侮蔑するような言い方をすれば低俗な人間ですら、野性むき出しの本能のまま生きているような人でもやはり同じように反省と修正はするものなのでしょうか?



私としては、それはやはり「異なる人間」で受け入れることは不可能に近いのですが・・・

GONさんへあなたの意見はシンプルでとてもわかりやすく、自分にもそういった面があることを再認識させてくれます。

ありがとうございます。



意見

差出人:GON
送信日時:2004/11/21(日) 16:39:09


人間は安心を欲するので、「安心できない」すべてのものに、嫌悪感と抱き時に、攻撃するのだと思います。



意見

差出人:
送信日時:2004/11/15(月) 10:46:24


じじいさん、簡単にですが返答です。

>やはり、自分は”正しい”と思って攻撃をする人間には、自分を省みるという作業ができないものなんでしょうか?

自分が正しいと思った時点で省みることは自分の否定につながるのでしょうか?



うーん、省みてますよ多分。
ただ、自分が信じている価値基準の範囲内限定ですが。




つまり、正しいと信じている基準から自らが外れていないかどうかは常に気にして、そこから外れていれば自分の行動を反省して修正しようと努力するはずです。

ただし、自らが理想とし信ずるものはまず変えないですね。

攻撃するのは、相手が自分が理想としているものを犯そうとしていると感じる("考える"ではない)からだと思います。



意見

差出人:じじい
送信日時:2004/11/11(木) 21:19:09


 >攻撃者にとってあらゆる譲歩が、"自分の正しさの否定"となってしまう。

やはり、自分は”正しい”と思って攻撃をする人間には、自分を省みるという作業ができないものなんでしょうか?

自分が正しいと思った時点で省みることは自分の否定につながるのでしょうか



 >異なる人間同士が存在している以上、悪意はなくならないし、だからといって話し合いによって"譲れるところは譲る"といった理性的な対応は期待できない。

私自身は話し合いによって譲歩が可能なのは、同じ種類の人間同士だけだと考えている。

 「異なる人間」ですか?
人間というカテゴリーでは「同一の種」という判断は難しいでしょうか?

同じような理性と欲望とが混在するその割合で「異なる人間」は形成されてしまうのでしょうか?



 >私が思うに人間の行動には欲望がともなうものだと考えている。

つまり己が欲を満たさんがために対象者を攻撃する感情が生まれてしまうのだと思う。いわばそれが悪意だと思う。

 欲望は人間の根本ですが、理性もその表裏をなす根本的な要因ではないのでしょうか



masaさんのいう欲を満たさんとして他者を攻撃する感情は、理性を基に”正しい”という判断がなされた場合も生まれてしまうものでしょうか?

すると、”正しい”という基準は自分の欲望を基準に置いているという事でしょうか?
悪意もそれに伴うものなのでしょうか?

新たな質問の形式をとってしまったことお詫び申し上げます。

お二方の意見は自分の見解に新しいものを持つためのとてもよい参考となる意見であると考えております。

改めてありがとうございます。



意見

差出人:
送信日時:2004/11/09(火) 17:49:33


互いに譲歩できればよいが...。自分が正しいと思って攻撃している場合、攻撃者にとってあらゆる譲歩が、"自分の正しさの否定"となってしまう。

基本的には善とか正義等"正しい事"を振りかざして攻撃してくる人間は、"悪意"ではなく"当然"の事であるという意識であり、相手が全面的に"非"を認め、自分達と同じ基準によって成り立つ序列の中に組み込まれるまで、攻撃の手を緩める事はないと思う。



異なる人間同士が存在している以上、悪意はなくならないし、だからといって話し合いによって"譲れるところは譲る"といった理性的な対応は期待できない。

私自身は話し合いによって譲歩が可能なのは、同じ種類の人間同士だけだと考えている。



意見

差出人:masa
送信日時:2004/11/05(金) 15:34:29


私が思うに人間の行動には欲望がともなうものだと考えている。

つまり己が欲を満たさんがために対象者を攻撃する感情が生まれてしまうのだと思う。

いわばそれが悪意だと思う。


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