誰にでも等しく与えられている自分所有の時間を、量り売る職業で、体を壊せば収入がゼロとなる、体が資本の労働収入。
「時間=多い」
時間の概念を「量」と捉え、1時間当たり幾らで売るという契約を交わし、1日の3分の1から2分の1の時間を切り売りすることを表しています。
1日の時間の使い方が、他人に決められていることから、時間に管理されているとか、時間をコントロール出来ない等と、表現することも出来ます。
時間給を1月まとめて貰い、その収入は自分で決めることが出来ず、他人に決めて貰っています。
「個性の表現=少ない」
肉体や頭を、ただ単に働かせているということではなく、「個性(能力・技術)」を表現しているのかどうなのかを意味しており、ここでは、その量が少ないことを示します。
個性の表現をまったく必要とせず、必要とせずと言うよりは、むしろ、会社組織にとっては個性は邪魔なものです。
「いや、会社の中でも、みんな個性的に働いていますよ」、と言われる方もいらっしゃるかも知れませんが、そんなものは、会社では何の評価もされず、従って1円にもならないのです。
個性の無駄使い。無駄使いをするかどうかは個人の自由なので、出し所を間違っていると、ここでは言っておきましょう。
と、書いた直後に、出し所を間違うのも個人の自由である、と思われましたので、ここではやはり、1円にもならないという表現にしておきます。
そして一句。
「会社にて 個性を発揮 サラリーマン」
敵を知らず、己を知らない結果の、虚しさが漂っています。
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時間を切り売りするのは、サラリーマンと同じですが、更に高額の技術料が付加されるところが違う点でしょうか。これもやはり、体を壊せば収入がゼロとなる、体が資本の専門労働収入。
「時間=多い」
自分で自分の希望年俸を主張したり、自らで収入を決めることが出来ます。営業などの出来高払い制のサラリーマンは、年俸契約を交わした個人事業主と言えましょう。
世間から羨ましがられ、お金を多く貯め込んでいるであろう、高給取り弁護士や医師の場合は、拘束時間が長く、また、多忙を極めているところが難点であり、夢にまで見た散財をする暇さえ無いのです。
家族のために頑張れば頑張る程、家族と触れ合う時間が無くなるというジレンマに陥り、家族の幸せのためのお金儲けが、家族崩壊を招いた、ということにも。
「個性の表現=多い」
特殊で専門的な能力や技術を表現して、幾らです。
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自分が寝ている間も、権利が24時間働いてくれるため、自分の時間は、ほとんど必要としません。体を壊して寝込んだとしても、お金が自動的に入ってくる権利収入。
「時間=少ない」
土地や株、お金などが、自分の時間とは別に、24時間勝手に働いてくれます。
「個性の表現=少ない」
親から引き継いだ場合や、自ら獲得した場合など、土地や株、お金を、どのような経緯で取得したかは関係がありません。
とにかく、それらを持っていること。
そして、頭を使い手足を動かせば、お金が勝手に生み出され続けるのです。
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自分が寝ている間も、権利が24時間働いてくれます。時間は多少掛かるかもしれませんが、一度実績を作り上げてしまえば、そこからは、お金が生み出され続けます。体を壊して寝込んだとしても、お金が勝手に入ってくる印税収入。
「時間=少ない」
過去の実績が、自分の時間とは別に、24時間勝手に働いてくれます。
「個性の表現=多い」
一度作ってしまった実績から、お金が生まれ続けますが、作り上げるまでは、時間を掛けた特殊な能力や技術の表現が必要となります。
能力の持ち主は、別に自分で無くてもよく、既に亡くなっている作曲家の配偶者などの場合には、自身は働かずとも、年収何億なんて話もありますので、要は、権利を持っているかどうかが重要となってくるのです。
ただ、既に無くなった作曲家は、「時間=少ない・個性の表現=多い」という、配偶者は、「時間=少ない・個性の表現=少ない」という儲け方の違いは有りますが。
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