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ひとり映画シネマレビュー 最後の忠臣蔵
2010年12月21(火)鑑賞
最後の忠臣蔵
映画 「最後の忠臣蔵」を観ました。
元禄14年3月14日(1701年4月21日)、赤穂藩主浅野長矩(あさのながのり)が江戸城松之大廊下で吉良義央(きらよしひさ)に刃傷に及ぶ事件が起こる。
浅野長矩は即日切腹、赤穂藩は改易となる。
主君の無念を晴らすため、元禄15年12月14日(1703年1月30日)、大石内蔵助(おおいしくらのすけ)以下赤穂浪士四十七士は吉良邸討ち入りを果たし本懐を遂げる。
映画「最後の忠臣蔵」(さいごのちゅうしんぐら)とは、池宮彰一郎(いけみや しょういちろう)さん、1923年生まれ東京都出身の忠臣蔵後日譚を描いた小説を原作とした映画である。
※譚(たん)とは話。だから後日譚とはその後の物語となる。
元禄赤穂事件から16年が経過。
討ち入った赤穂浪士の中で唯ひとりの生き残りである寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)は大石内蔵助の命を受け浪士の遺族を援助せんがために諸国を旅することになる。
最後の遺族を捜し当てたその帰り、討ち入り直前に逐電したかつての盟友、瀬尾孫左衛門(せおまござえもん)と遭遇する。
ちなみに逐電(ちくでん)とは、稲妻を追うという意味から、遁走、出奔、要するに逃げ出という意味になる。
いやーーーー、泣けた。
赤穂浪士の討ち入り後日譚という歴史好きにはなんともそそられる内容だったけど、まさか泣けるとは思わなかった。
長い長い一筋の涙が頬を伝ったよ。
誰も見ていないから、拭く必要はない。
だから頬を伝う涙の感触を十二分に堪能することができたよ。
お陰で、いやーーー、心が清らかになった。
ということで、当然にいい映画である。
でもたぶんテレビで見ると泣けないだろう。迫力に欠けて。
とにかく映画館で見ることができてよかったよ。
キャスト
赤穂浪士四十七士の唯ひとりの生き残りである寺坂吉右衛門(てらさかきちえもん)役は、佐藤浩市(さとうこういち)さん、1960年生まれ東京都新宿区出身。
父親は俳優の三國連太郎さん。
寺坂吉右衛門は幼い頃に吉田忠左衛門(よしだちゅうざえもん)の家に奉公し、後に赤穂藩の足軽。
討ち入りへの参加を熱心に懇願したことが大石内蔵助に認められる。
吉良邸討ち入りでは裏門隊であったが討ち入り後に姿を消す。
理由は不明。
従ってなぜ寺坂吉右衛門がいなくなったのかという諸説が生まれる。
(1) 討ち入り直前に逐電。
(2) 大石内蔵助の命を受けて離脱。
(3) 足軽がいたとなっては公儀に憚れる。
延享4年(1747年)病没。享年83歳。
他の赤穂浪士は全員死んでいるのになぜ寺坂吉右衛門が生き残ったかというと、大目付仙石久尚(せんごくひさなお)が追手をかけなかったからである。
仙石久尚は大石内蔵助が自首した大目付。
瀬尾孫左衛門(せお まござえもん)役は役所広司(やくしょこうじ)さん、1956年生まれ長崎県諫早市出身。
瀬尾孫左衛門(生没年不詳)は、大石内蔵助の家臣だから浅野長矩からすれば又家臣であり本来ならば盟約には加われないが懇願の末参加することとなる。
しかし、吉良邸討ち入り直前の12月12日に逐電する。
元禄16年(1703年)2月26日、大石内蔵助の妻理玖が瀬尾孫左衛門宛に手紙を送っていることが分かっているので、単なる逃亡ではないとする説がある。
大石内蔵助の隠し子、可音(かお)役は、桜庭ななみ(さくらばななみ)さん、1992年生まれ鹿児島県出身。
京都の豪商、茶屋四郎次郎の息子、茶屋修一郎役は 山本耕史(やまもとこうじ)さん、1976年生まれ東京都新宿区出身。
1993年、ドラマ「ひとつ屋根の下」の柏木文也役。
茶屋四郎次郎(ちゃやしろうじろう)笈田ヨシ(おいだよし)さん、1933年生まれ兵庫県神戸市出身。
歴史の教科書で見た時、四郎なのか、次郎なのかよく分からないという意味でインパクトのあった名前である。
茶屋家当主が茶屋四郎次郎を襲名していたようである。
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