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スポーツセックス主義者のスポーツセックス理論!
スポーツセックス理論
職場のいじめでうつ病になったという方の話をつい最近聞いた。
いじめのために会社を辞めたんだって。
へー、っと思っていたら、考えてみたら私もいじめで病み会社を辞めたようなものだった。
ほんと世の中には、血も涙もない酷い人間がいるものです。
って、言葉にしたら大したことがないように感じてしまうけど、現にいじめられた方は病気になって大変苦しんでいるのです。
って、私はいったい誰に何を言ってるのだろう。
いじめっ子にこんなことを言っても、豚に真珠でしたね。
さて偶然に、ネットで「スポーツセックス推進委員会」なるものを発見した。
ホームページを開こうとしたらウイルスバスターがブロックしたので、まだ見れてはいないんだけど。
でもどうやら、セックスをスポーツのように軽く扱う学生やOLが増えてきているというのが背景のようだ。
セックスは、隠微なもの、捨て去るもの、捨てるほどの価値なきもの、と様々と変遷した後に、ついに汗の似合う爽やかなスポーツとなってしまったのだ。
さて、そのスポーツセックス主義者のスポーツセックス理論なるものはどのようなものだろうか。
ということに考察を加えてみた。
試しに、あなたも自分がスポーツセックス主義者かどうかを己に問うてみれば面白いことになるんじゃないだろうか。
まず最初に、あなたはセックスをスポーツのように楽しめるかどうかである。
続けて、セックスをスポーツのように軽く扱えるかどうかである。
しぜん、セックスの約束はスポーツの約束のように大変ゆるいものとなる。
だからたとえ、セックスの約束を破ったところで大した罪悪感も湧かないし、そもそもが大したことでもなくなる。
ただスポーツの約束を忘れてしまったってことだけである。
また、いつか、どこかで、やりましょうよ、みたいな感じで、何のけれんみもないのだ。
そしてスポーツセックスの大戦相手は仲の良いクラスメートでもかまわない。
いや、スポーツセックスの相手はたとえばただの友達でもかまわない。
いつかどこかで気軽にスポーツセックスが楽しめる相手であれば誰でも構わない。
スポーツが好きな相手であれば誰でもいいわけである。
余程嫌いな相手でもないかぎり、スポーツは楽しめるもの。
だって、セックスの場で好きだという感情が湧いてくるのなら、スポーツセックスはりっぱに成立するのだから。
スポーツは楽しいもの。
スポーツセックスも楽しいものでなくてはならない。
スポーツはどちらかと言えば好きな人とやるものである。
だからスポーツセックスもどちらかと言えば好きであって一緒にやって楽しいというのが成立条件になる。
それさえ満たしていれば、誰だって構わない、ということだ。
さて、あなたは誰とでもセックスができるだろうか?
YES、なら間違いなく、あなたはスポーツセックス論者である。
たとえば、何カ月も会っていない相手に対しても、会った瞬間に好きだという感情が湧いてきて何の躊躇もなくセックスになだれ込むことができるというのであれば、それでも、あなたはりっぱなスポーツセックス主義者といえます。
いや、もっと長く、たとえ何年会っていなくても、その場で急激に好きだという感情が湧いてきて、スポーツセックスも楽しめるというのであれば、あなたは一人前のスポーツセックス論者といえるです。
そう、映画「サヨナライツカ」のように。
今まで恋人として何の努力もせず、相手への思いやりや労わりもなかった、そんな二人が、偶然に会った瞬間から、昔のように、そう25年前のように、セックスに興ずることができるというサヨナライツカ。
これこそが、ザッ、スポーツセックスであろう。
もし、「いや違う、そうじゃない、それはスポーツセックスじゃなくて真実の愛である」と言われるのなら、じゃーこの二人は25年もの間、どういう関係だったというのでしょうか。
まったく会ってもいないのに恋人だというおつもりですか。
友達のセックスじゃなくて恋人のセックスだと、どうしても言い張るのでしたら、それじゃー恋人とはどのようなものですか、と言いたくなります。
さて、どうですか?
ずっと会っていないのに恋人だと言えますか?
じゃー年5回しか会っていない場合はどうですか?
恋人と言えますか?
そうでしょ。
年5回なんて努力も配慮もない関係は友達でしかない。
あなたは、こんな状態でセックスができますか?
「できます、現にセックスの約束もしているし」と言われる貴方、あなたは呆れるほどのスポーツセックス選手です。
・・・
「でも、何カ月も会っないのに、好きなんだよね」と、まだ付け加えるそこの貴方。
恋人のように頻繁にあってもいないのに、たまに会って好きだという感情が湧いてくるあなた、あなたはスポーツセックスのプロかもしれません。
スポーツセックス理論が骨身にまで沁み入っていて、深層心理の部分で何の躊躇もなく自然にふるまえているのかもしれません。
もし万が一、あなたがスポーツセックス選手でないといわれるのであれば、ではあなたはスポーツセックスの目的意外にいったい何をなされたのですか。
デートをする努力はされましたか。
年に数回程度なんていう、相手を小バカにしたものじゃなくて。
コミュニケーションをとろうとされましたか?
仕事が忙しいなんてことで、相手を愚弄しませんでしたか?
体調が悪いなんてことで、誤魔化しませんでしたか?
実は、仕事も病気も関係ありません。
ただ単に、あなたの愛情が減っただけです。
自分の責任なのに、仕事や病気のせいにしているだけです。
愛情が減って恋人じゃなくなったけど、友達のようになったけど。
でも、セックスだけは出来てしまえる。
そういう人間なだけです、あなたが。
あっ、そうそう。
再確認ですけど、年に数回会ってるなんてものは恋人とは言わないですよね。
これって恋人としては屈辱的な扱いですものね。
年に数回で恋人ですよ、というのはさすがにないですよね。
ということで、恋人は恋人であるための努力や配慮が当然に必要なのです。
なのにあなたは、ただ、セックスだけに特化した愛情ゲームを恋だと主張する。
スポーツセックスというゲームに興ずる二人を、恋人だと言っているに過ぎない。
面倒な人間関係を一切排除した、スポーツセックスだけを恋愛だと言っているのです。
とは論駁してみたものの、スポーツセックス選手に真っ当な人間関係を求めてみたところで無駄でしたか。
スポーツセックス理論に、純愛や真実の愛をぶつけてみたところで、何の意味もなさないか。
って、私は誰に何を言ってるのだろうか。
スポーツセックス主義者にこんなことを言ったところで豚に真珠なのにね。
スポーツセックス主義者はセックスをスポーツのように楽しむのみ。
だから人間を物のように扱えるのです。
だって人格も無視し個性も尊重しない非情なスポーツセックス選手なんだもの。
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