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読書感想文・読書反応文! - 提供「価値辞典」
読書感想文!読書反応文
世の中の種々雑多な出来事を、本に見立ててみます。
その本に対して、自分なりの感想を持ち、そして、それを自分の人生に投影して、自らの今後の生き方に生かすのが読書感想文。
それに対して、出来事のひとつひとつ、本の一冊々にいちいち反応するのが、読書反応文と申します。
と、このような言葉が存在するかどうかは知りませんが、そう名付けてみました。
同じように、人間ひとりひとりの生き様も、一冊の本に見立ててみます。
その人の生き様に触れ、そこから感じ取れたものを自分の人生に生かすのが、読書感想文。
ひとりひとりの生き様に、いちいちと反応するのが、読書反応文。
思えば、小学校の時代より、長きに渡り書き続けてきた読書感想文なるものは、実のところは、読書反応文ではなかったか。
ある本を読み、そこに書いていることに反応し、「私もそう思った」とか「私は違うと思った」などの、読書反応文を書いてきてはいなかっただろうか。
ある人に出会い、触れ合ってみて、「私も同じ考え方である」とか「私は違った考え方である」などと、ただ同調したり反発してきただけではないだろうか。
偉人や賢人達の伝記を読む度に、「彼らは偉い、天才である。彼らは人並み外れた発想の持ち主であり、努力家である。彼らは特殊な存在で、選ばれし人間である。」と、感心、感嘆してこなかったか。
結局のところは、感嘆するだけで、そこからは何も読み取ることが出来ず、従って、自分の人生にも、何も生かすことが出来なかったのではないだろうか。
まったく見当外れだと、思われる意見の持ち主に出会えば、脳や体は、激しく拒否反応を示し、拒絶し、または攻撃せずには居られなくなり、そして、その人を全否定する反応行動などに出たりはしなかっただろうか。
何に出会っても、反応するだけ、これを死ぬまで繰り返す。
例えば、「年金制度は破綻寸前で、年金は貰えなくなるのではないか」という情報に触れた時、他人事のように、「さあ困った」とだけ読書反応文を書く。
後日、また同じような情報に触れた時、また、「さあ、困った」と反応文を書く。
そのまた後日、またまた同じような情報に触れ、またまた、「さあ、困った」と反応文を書く。
最後に、年金を貰う段になって、「あなたの年金はございません」との現実を目の前に突き付けられれば、まるで初めて聞かされたかのように目を丸くして、「さあ、困った」と反応文を書く。
年金が貰えなくなる恐れがあるのなら、老後のお金は自分で用意する必要があり、そして、世の中の大きな流れとしては、自己責任の時代に突入している。
また、自己責任ということは、政府も会社も自分の面倒を見てくれないことを意味し、そうであるならば、そんなものが無くても、生きて行かれるだけの己独自の価値軸を持たなければならない。
読書反応文ではなく、読書感想文を書くなら、こうなります。
読書反応文を幾ら書いても、我が人生に何の変化ももたらさない。
読書感想文を書かなければ、人生なんてものは変わらないのです。
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