自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

ニュースの見方もう見なくてもいい

世の中に阿(おもね)ろ、媚びを売れ、

世間に己の身の丈を合わせて生きて行け。

題名 - ニュースの見方もう見なくてもいい
ニュースの見方


中学生の時、社会の先生からNHKの夜9時のニュースを毎日見るように

と言われたことを、何度も何度も思い出す。



彼は、世の中の動きを知らなければ、即ちそれは「ダメ」なんだ、

と、そのように言ってたように思います。



さて、それから私は成長して大人となった。

何も知らなかった中学生の時とは、今は違う。



ウソを教えられても、それをひたすら正義だと信じ、絶対にはずしてはいけない有り難い真っ当な道を、

何の疑いもなく歩き通した昔とは訳が違うのだ。



今なら、彼が何を言わんとしていたのか、よく分かる。



結局は・・・大幅に省略いたしますが、世の中に阿(おもね)ろ、媚びを売れ、

世間に己の身の丈を合わせて生きて行け、ということだったのです。



そして、そう言わざるを得なかった理由もよく分かる。

世の中の流れに乗って生きて行け、そしてそれこそが人生なんだ、



と、そう信じていたからなんでしょう。

いや、それ以外の人生を知らなかったのかも知れない。



先生、あんたそう言うけれどサ、テレビや新聞が言ってることなんて結局、

大したことないじゃないの。



景気だとか企業の業績だとかM&Aだとか、まるでそれらが世の中の中心で起こっている出来事であって、

そして、それらを知らなければ大変な非常識であるかのように言うけれどサ、結局のところはサ、

世の中の動きを敏感に察知して、お金儲けをしろ、ってことを言ってるんでしょ。



経済欄や株式市況欄なんてもんはサ、結局の結局は、

お金を儲ける一助としろ、っていうことなんでしょ。



でもサ先生、その根本原理さえ押さえることができれば、

明日からは、経済欄や株式市況欄を見る必要はないんだよね。



多少はサ、景気動向や企業業績、株価などがせせこましく動いたところでサ、

お金儲けをしろ、ってな主張には変わりがないんでしょ。



だからサ、我らは、テレビや新聞を気にせずに、

超長期的に自分流に稼ぎ出せばいいんじゃないの。



中国やインドやベトナムなどに10年ぐらいの超長期スパンで

投資しておけばいいんじゃないの。



(これは例えばの話ですヨ。当然ながら、投資の責任は投資した本人に有るのです。残念。)




そうすればサ、一切、テレビや新聞を見る必要ないじゃん。

本日のテレビや新聞を見忘れてもサ、

どうせお金を儲けろって言っていることは分かり切ったことだよネ。




その代わり、根本原理を知らない人は、毎日毎日テレビや新聞を見て、

情報に踊らされてサ、お金儲けにせこせことすればいいじゃない。



刻々と移り変わる経済情勢を刻々と追いかけ回して、

そして、墓までも持って行けばいいじゃない。



超長期の自分流投資を決め込んだ我らは、

みなさんが右に振られたり左に振られたりしている間にサ、自分の人生を大いに楽しもうじゃないの。



交通事故やいじめ殺人などの不幸なニュースも見る必要は無いですね。

結局、世の中は、最終的には己の命という究極の自己責任を取らされるんです、



ということを、いろんな不幸な事件や事故を通して、我らに教えてくれてるんでしょ。

だったら、サー、我らはそこから何を読み取りましょ。



中学校の先生ならば、「かわいそうに」と思う心を醸成することが大事なんだ、ということでしょうか。

我らは、そういう気持ちを、そこから感じ取って、

今後の制度改正などに活かすべきなんだワ、というところで精一杯でしょうか。



でも我らは、もう一歩踏み込んで考えてみませんか。

どのように生きたって、人殺しは我らと同じ天を仰(あお)ぐのです。



そして、彼らを遠ざけて生きていくのも限度が有りです。

ならば、ある程度の準備が出来たら、それ以上は諦めてしまって、究極のsatsu人者対策をしようじゃないの。



我らは、理不尽なsatsu人者に、いつkoroされるか分かりません。

今日の夜かもしれません。

明日の朝かもしれません。



そして、そんなことを心配してもきりがありません。

ならば、ならばですよ、我らはいつkoroされたっていいように、



今日一日を充実させて生きて行きませんか、悔いが残らないように。

この瞬間に嫌いなことをするんじゃなくて、好きなことで今を埋め尽くそうじゃありませんか。



政治欄なんてものも見なくていいです。

政治家なんかに我が人生を預けていたら、不幸になるのは必然です。



政治家なんかは、ほっといて、

我らは自分勝手に自らの幸せに邁進すればいいのです。



それが嫌な憂国の士は、政治欄を見て、国家に文句をつけ、政治家を罵倒し、官僚を怒鳴りつけ、

借金の多さに驚愕し、税金が上がることに嫌悪し、年金が無くなることに、悪寒と嘔吐を覚えればいいのです。



スポーツ欄なんかも見る必要はございません。

て、そんなに構えて決め付けなくてもいいのですが、

要は、今、嫌いなことをやっているから鬱憤(うっぷん)が溜まり、ストレスで一杯なんでしょ。



だから、スポーツ欄のような娯楽を見る必要があるんでしょ。

だったらですよ、今この瞬間を楽しむことが出来れば、

スポーツ欄なんかを見て、気を紛らす必要なんてないんじゃないですか。



趣味の欄も同じです。

今が辛いから、週末は趣味にでも逃げなきゃやってられないんでしょ。



週日に溜まったストレスを週末に吐き出し、また週日にストレスを溜め込むんでしょ。

って、それじゃー、どこまで行ってもゼロの大行進じゃないですか。



それよりか、今を楽しめばどうよ。

そうすれば、現状維持型の趣味なんてもんは必要ないでしょ。



これ程言っても、なお、どうしてもテレビや新聞を見たいと言われるのなら、

分かりました、じゃー、ニュースを思いっきり見てください。



とくに数字を気に止めて見てください。

そして、その数字に思いっきり踊らされてくださいよ。



会社がどのような方向に進むべきなのか、どのような商品を開発すべきなのか、なんてこともよくよく考えてください。

膨大な数字を反映させた会議の資料なんかを作るのもいいでしょう。



数字は、きらびやかに文字を飾り立ててるだけに過ぎませんが、でもそれらに思いっきり拘(こだわ)ってみてください。

一体、何が書いてあるのかは、それら不必要な数字を取り除いてみれば、

スッキリとして見えて来るものなのですが、そんなこと気にする必要はないでしょう。




大切なことは、考え方の方向性であって、どうでもいい数字なんかじゃないんですが、

でも、数字を追い回す人生も、これまた人生です。



ニュースに触れてみて、じゃー自分はどのように行動すべきなのか、

なんてことも感じ取る必要はないでしょう。

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