自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

思考の進化とか!もう一段上の人間

みんなが健康で暮らせ、

平穏無事に人生を終えることのみを、ひたすら望みたい。

題名 - 思考の進化とか!もう一段上の人間
思考の進化


ある投稿。



ある日突然、会社が倒産したとします。

しかし、予想に反して、自らはあまり非難されません。



ある程度大きな会社に勤めていたのだから、

それは、個人では予測不可能であって、



予測できたとしても対応不可能な出来事であり、

不慮の事故に遭遇したようなもの、



運が悪いとしか言いようが無く、原因は時勢や景気、

はたまた国の政策が悪いからだろうと、



返って同情され、慰められ、再就職頑張れ、

と励まされるのです。



そりゃー、ショックなことはショックのようですが、

家族を路頭に迷わせた責任を、家族自体はあまり問わないのです。



しかし、リストラの場合は、これとは少し話が違ってきます。

引き続き働くことが出来る世間の人と比べれば、倒産は、



大きな変化には違いありませんが、会社丸ごとの道連れと言いますか、

まだ一連の運命を辿る仲間が居ます。



仲間と同じく、徒党を組め、多数に所属でき、

群衆に紛れるという、安心感がまだあるのです。



危ないと囁かれていても、最後まで会社にぶら下がり続け、

多くの人と同じ人間であり続けることを望み、



例えそれが破滅の道であったとしても、問題を先送りし、

より多くの人と同じ道を辿っている方が、安心できるのです。



一方、リストラの場合は、謂わば、無能な人間の証明、

社会的な死の宣告と申しましょうか、



何故あなたが失格者扱いをされなければならないのかを、

家族から責め立てられます。



遠い昔の学生時代の、学年にひとり出るか出ないかの落第者の姿が、

妻の脳裏を過ぎり、



恥ずかしさと敗北感と劣等感で頬を紅潮させた次の瞬間には、

悲嘆と不安と怒りで顔を歪めます。

題名 - 思考の進化とか!もう一段上の人間
もう一段上の人間


「会社倒産などという変化が起きるのではなく、

我が家族には何の変化も無く、



みんなが健康で暮らせ、平穏無事に人生を終えることのみを、

ひたすら望みたい。」



このように、会社にさえ、潰れることなく永久に存続して欲しいと願っている人間を、

説き伏せることは至難の業と言えるでしょう。



そんな家族達の、カチカチに固まってしまっている脳みそに、

倒産やリストラのような受動的にではなく、



転職のように能動的に変化することを受け入れさせるには、



結局、出世とお金を求めてモーレツに突き進んできたのは何故か、

それは己及び家族の幸せのためであったこと、そのことを家族に思い出させ、



知らなくば知って貰い、そして次に、遣りたいことを遣るのも何故か、

これもまた、己及び家族の幸せのためであることを、

時間を掛けて切々と訴える必要があります。



家族と幸せを共有し、また、各々それぞれが単独で幸せでありたいのであれば、

この難関を突破しないことには始まりません。



堅苦しい物言いですが、変化をしようと思い立ち、

思考の進化を遂げた人間の周りには、



えてして相談をする人間がひとりも居合わせないというものです。



例えば、あなたが何か新しいことをしようと思い立った時、新しいことにチャレンジせず、

従って経験もしていない人間に相談をするでしょうか。



相談をすれば、恐らく、たちまちの内に否定されてしまって、

やる気を削がれ潰されてしまうことでしょう。



逆に、例えば、経験済みの人に、転職の相談をしたとします。

無論最終的な判断は己でするしか無いのですが、転職者は、経験談に交えながら、



アドバイスや留意点などを的確に盛り込み、何より、「そう思うのなら遣ろうじゃないか」と、

後ろ向きではなく、前向きな言葉を添えて、応援し、助けてくれるのです。



そうような良好な人間関係に遭遇するためには、

家族や周りの人間に相談するよりは、



既に経験済みという、もう一段上の人間に、

自らも階段を上って、相談しなければならないのです。



ここでは、「思考の進化」とか「もう一段上の人間」などの言葉を使ってしまいましたが、

それは、変化しない人間より、変化する人間の方がレベルが上などの意味では無くて、



考え方が変わり、日常から非日常を志向した、

との意味合いからのもので、申し上げるまでも無く、



変化しようがしまいが、

人間の生き方に上下なんて在りません。

前のページ < > 次のページ