自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

メモしてはいけないメモ無し記憶術

世渡りの「世」が変われば、

メモの仕方も変わってくるのが必定。

題名 - メモしてはいけないメモ無し記憶術
メモ無し記憶術


ある投稿。



我々は、頭の良いとか、応用力の有るとかの以前に、

どのように物事を考えるかを確立し、頭に叩き込んでおくべきなのです。



もっと厳密に言えば、頭というよりは、

潜在意識に刷り込んでおかなければならないのです。



そもそも、ものの考え方なんていうものは、

頭で覚えれば身に付くというものではありません。



何度も何度も繰り返し繰り返し考え抜き、

自然と口から発せられる程に、身に染み込ませなければならないものです。

題名 - メモしてはいけないメモ無し記憶術
メモ無し記憶術


ある日突然、

「何故自分は働くのか?」という疑問が浮かんできたとします。



浮かんで来なければ、何ら疑問に思うことなく、

いつものように働くことが出来るのですから、



それはそれで結構なことなのですが、

浮かんできたのなら、これはもう仕方がございません。



疑問に思ったことをチャンスと捉えることとし、

ここはひとつ、とことんまで考え抜いて、


何故働くかについてのものの考え方を、

完全に確立することと致します。



第一、この疑問に対する考え方の獲得なしに、我が意に添った会社選びや、

仕事選びをしようとしても、到底無理というものです。



メモ無し記憶法においては、

「何故自分は働くのか?」という「とっかかり」でさえ、メモしてはいけません。



思い付いた時に、出来る限りの時間を投じて、

何故なのかを考え抜くようにするのです。



先送りは決してしない。

例え、答えが出ずに終わったとしても、それはそれとして放っておくのです。



ある日ふたたび、

「何故自分は働くのか?」という前回の疑問の続きを、思い出したとします。



この時は、二度目のチャンス到来です。

ここでも、時間を掛けて考え抜くように致します。



何らかの「答えらしきもの」が、

若干頭に浮かんできたとしても、やはり、メモは致しません。



例え、それが中途半端に終わったとしても、

それはそれで良しとするのです。



その後、二度と思い起こすことがなくても、

それはそれとして、縁が無かったものとして諦めるのです。



とにかく、メモすることを、

我慢して踏み止まる。



そのようなことを繰り返す過程で得たものというのは、

滅多なことでは忘れ去られるような、代物ではないのです。



メモ有り記憶法は、処世記憶術、メモ無し記憶法は、処私記憶術と、

それぞれを言い換えることが出来ます。



処世とは、世渡りのことであり、

処私とは、自分の立ち位地を確立すること。



手持ちのメモを、よーく見て頂ければ、

この世間で如何に生活をして行ったら良いかについて、



取り敢えず必要とされることのみが、

書きしるされているのではないでしょうか。



学校でのメモ、会社でのメモ、これら全てが、

世渡りのためだったのか、と分かってしまうのです。



世渡りの「世」が変われば、

メモの仕方も変わってくるのが必定。



会社からの、労働者への遠慮は無くなり、

労働者からの、会社への忠誠心が無くなったように、



ありとあらゆる構造の改革が行われている昨今では、

どのような変化にも揺らがない、

自らの立ち位地を確立することが肝要ではないでしょうか。

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