出来る人間と出来ない人間に分かれ
これらのメモの仕方の違いによって、
勝者と敗者は分かれる、と言っているのです。
題名 - 出来る人間と出来ない人間に分かれ
出来る人間
ある投稿。
社会人であれば、メモ書き程度で済むものを、
記憶しようなんてこと、絶対に致しません。
本に書かれていることであって、
しかも、頭に入れる価値のないものだと思えるのものも、絶対に記憶しないのです。
しかし、学校では、真に生徒に必要で有るかどうかなんてこと、
問うたりはしません。
先生方は、決まったとおりの分量の知識を覚えさせること、
このことを妄信して、そのことに猛進するのに大忙しだったのです。
先生方が、「メモ有り記憶法」で作り出したものと言えば、
百科事典のような頭でっかちの人間に他ならなかったのです。
ただ、情報を頭に詰め込んだだけの、百科事典のような人間などという、
失礼な言い方は止めにして、膨大な量の情報を詰め込んだその労苦に報い、
そして、その行動をもっと高く評価してあげれば、
彼らは、情報と知識と知恵を獲得した勝者である、と言うことも出来ます。
良く言えば勝者、皮肉って言えば百科事典。
さて、彼らが獲得したものは、一体何であったか。
裸のままの何も加工されていないデータは、単に「情報」と呼び、
それらが関連して、一体的に纏まっているいるものを、「知識」と呼びます。
情報や知識を、どのような組み合わせで頭から取り出し、
そして、どのようにコーディネートするのかを、「知恵」と呼びます。
彼らが、獲得したものは、これらの「情報」や「知識」や「知恵」であり、
これらを獲得した人間を、世の中では、頭の良い人間、応用力の有る人間、
出来る人間、頭の切れる人間などと呼ぶのです。
題名 - 出来る人間と出来ない人間に分かれ
出来る人間
人によれば、できる人間は、
メモの仕方が違うと言います。
「情報」と「知識」と「知恵」を獲得した事実に加えて、
その獲得の過程にも、凡夫との差が出ると言うのです。
同じことをメモしても、
頭の切れる人間は、要所々、ポイント々を押さえている。
これらのメモの仕方の違いによって、
勝者と敗者は分かれる、と言っているのです。
メモの仕方で、出来る人間と出来ない人間に分かれる。
確かに、そう言う人も居ますが、本当にそうだろうか?
情報や知識、知恵やメモの仕方などのノウハウを獲得したところで、
それを何処で生かすのかが重要ではないのだろうか。
己の立つ位置を決め、そこで情報や知識、知恵やノウハウを駆使することが、
真のできる人間ではないのだろうか。
立つ位置さえ間違わなければ、情報や知識、知恵やノウハウは、頭に入っていようと、
紙に書かれていようと、どちらでも良いのではないだろうか。
本意ではない会社で、嫌いな仕事をするのに、情報や知識、知恵やノウハウが
大切などと言われたところで、そんなものどちらでも良いのではないだろうか。
そんなものを大事そうに言うのは、
大抵、自分の現在地さえ把握できていない人間、と決まったものなのですが。
本当に我々がしなければならないのは、情報や知識、
知恵やノウハウを獲得することなんかじゃなくて、
それらの土台となっている「ものの考え方」というものを、
頭に叩き込むべきことではないだろうか。
それが出来なければ、自分の好みとする会社も、
自分の遣りたい仕事も、決まらないというものです。