普遍的テーマを見付けられず!組織
新聞に書かれていることを、
存分に疑って頂いて結構です。
題名 - 普遍的テーマを見付けられず!組織
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「新聞やニュースは必要ない」、「新聞やニュースは必要ない」と連呼して来ましたが、
まったく必要ないかと言えば、そうでもなくて、行動に移した段階では必要となります。
己の芯となるものを見付け出し、ゴールを目指して突き進んでいる者にとっては、
その道中に新聞を読んで参考にすることもあるのです。
芯も無いのに、新聞だけあってもしょうがない訳で、正直に申し上げれば、
「そんなもの、何の参考にすれば宜しいのでしょう」という感じなのです。
なのに皆様は、芯も無いのに、新聞を読んでいる。
あなた方個々のこのような行動から、「人生とは何か」を帰納してみれば、
「新聞を読むことが、人生であって、それ自体が己の芯である」となるのです。
人生とは、新聞を読むことである。
己の芯は、新聞を読むことである。
フー、なんと、辛辣(しんらつ)。でも、皮肉って言えばこうなります。
芯も無いのに、新聞を読むなんて、無謀で無粋の極み、おこがましいって言う感じ。
考えてみれば、学生時代は、芯など備えている筈がなく、また、新聞にもそれほど興味を持っている訳もなく、
ましてや、新聞を読む理由なんてものを、探りたくもないのです。
社会に出てからも、やはり芯など持ち得ず、今現在、こうして新聞を読んでいる理由も、
誰かから、「新聞ぐらい読め」と言われたからに他ならないのです。
つらつら考えるに、やはり改革すべきところは、すべての出発点である学生時代か。
と、いつの間にか、それを改革することが、既定路線であったかのような展開になってきております。
さて皆様、NIE(エヌ・アイ・イー)なるものをご存知でしょうか。
NIEとは、Newspaper in Education の略称で、「教育現場で新聞を教材に」との学習運動のことだそうです。
「そんな言葉初めて知った。ごく最近生まれた言葉なの!?」
と思いきや、アメリカに1930年代から存在するそうです。
確かに、学校で新聞の読み方を教えられずに、社会に出ていきなり、「さあ、新聞を読みなさい」と来た時は、
世の中のすべてから突き放されたようで辛かったものです。
「なんだ、こいつ。新聞も読めないのか、非常識な。」
と、攻め立てられているようで、でも、先生からも、親からも、誰からも、新聞の読み方なんて教わってない訳で、
と、そう言い訳したかったけれど、もう大人なんだし、そうも行かなかったのです。
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「それとも何ですか、誰からも教えられずに、読め」と言うことですかね。
「新聞とは、所詮文字なので、読めるだろう」と言うことですかね。
それならば、なぜ国語なんて教科が存在しているのですか。
なぜNIEなんて学習運動が、巻き起こっているのですか、とは、なりませんか。
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そうでしょ。
いくら日本語で書いてあっても、教わらないと読めないでしょ。
だから、ここでNIEの登場なのでしょ。
証拠に、みんな新聞が読めていないじゃないですか。
あなたは読めているですって。
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確かに、読むだけなら読めるでしょう。
ただニュース(個別課題)をニュース(個別課題)として読むことを以って、
新聞が読めると言うのなら、そうであるならば、それは、それでも結構なのです。
そういう人には、もうこれ以上お話が無いというだけ。
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さて、NIEの現場では、当然のことながら、ニュースを読んだ結果得られる回答は、存在致しません。
まあ、そりゃそうでしょ。
ニュースなんて、見る人が違えば、感じる結果も180度違って来る訳で、
また、ニュースを書く人によっても、事実は違って来るでしょうし。
ある人は事実が書かれていると思い、ある人は事実は書かれていない感じる。
ある人は事実が右方向に向いていると思い、ある人は左方向だと感じる。当然そうなります。
新聞に書かれていることを、存分に疑って頂いて結構です。
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しかし、そんなのは、芯の無い人々が読むからのこと。
ニュースなんて、どの角度から見て描写して頂いても結構なのです。
180度違ったものになっていても、全然構いません。
こちとら、内容なんて追ってませんから。ニュースを読んで感じ取ったことから、普遍のテーマを探っているだけなのです。
「新聞に書いていることを疑え」じゃなくて、「新聞に書いていることから素直に感じ取れ」なのです。
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ニュースから普遍的テーマを読み取り、自分に適用して行動する。
これを芯に据(す)えるのです。
これが出来ない人は、右往左往するだけ。
普遍的テーマを見付けられず、組織から脱却出来ていない先生方が、果たしてこれを、右往左往せずに教えられるかどうか。