なんて大きくてりっぱな歯車なんだ
みなさん、しょせん我らは歯車のひとつに如かず、なんだ。
あなたも歯車なら、大人も歯車、もちろん教師も歯車だ。
題名 - なんて大きくてりっぱな歯車なんだ!
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社会の歯車!なんて大きくてりっぱな歯車なんだ!
社会の歯車!
学生さんは、「大人はみんなズルく、特に教師はアホ過ぎる」と、のたまう。
「こんなに汚く住みにくい社会にしたのはあんた達だろう。」
「こんなんじゃ、我ら学生はとてもじゃないけど夢も希望も持てやしない、
やる気も起こりゃしない」と、ほとんど人生を投げかけてる。
私は他人から考え方のヒントを貰うことを止めてきた。
教師を人生の師として仰ぐことを止めてきた。
それは、或る教師から或る教師へと、教えを乞う先を変えたところで、
何の解決にもならないことが身にしみて分かったからだ。
あの教師もこの教師も、結局のところは、単なるひとつの歯車に過ぎない。
我らと同じ人生の迷い人であって、犠牲者の一人に過ぎない。
親の言うことにも、なるべく抵抗し拒否してきた。
世間の要求する型にもはまらないできた。
それでいて、ヒントの要求先を、他へ転嫁するようなズルはしなかった。
思考の本来の持ち主である、自分自身へと取り戻したのだ。
すべてのことは、自分自身で考える。
思考回路を成人させて、独立独歩できるようにした。
このように精一杯抗(あらが)ったにもかかわらず、
私はこうして社会の歯車のひとつに如(し)かず。
我らは、例え甘えた存在である学生であったとしても、等しく、
世間より突出することを嫌い、他人の目を避け、目立たぬように生きたい。
自分なりの価値観を持つ努力はせず、自己では判断せず、
他人に己の進路を決めさせておいて、それでいて、
他人からの介入は不本意であるとのパフォーマンスを大袈裟にし、
また、そういう不憫な自分にも陶酔しながら、「私の人生をいじくるんじゃない」と、権利だけはりっぱに主張する。
かように、大人はずるいけど、もちろん、学生さんも同罪だ。
大人もあなたと同じく、世間の隅っこの方で目立たぬように、静かに、楽をして人生を送りたいだけなんだ。
あなたが、「大人はアホ過ぎる」と言っている次の瞬間には、あなたも直ぐに大人となりて、
学生さんから「あんたは小ずるいアホな大人だ」と侮蔑されることになる。
今は、学生だから、大人をバカ呼ばわりしてれば許されるけど、でも今この瞬間にバカな人は、
明日もバカな訳で、明日もバカな人は明後日もバカには変わりないんです。
題名 - なんて大きくてりっぱな歯車なんだ
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今日バカな大人は、未来でもバカなように、
結局は、今日バカな学生さんは、未来に大人になってもバカということになる。
大人も我らと同じバカなんだ、だから、我らはそんな環境には係わりなく賢くならなければならないと、
今そう思ってる学生さんだけが、将来バカな人間に迷わされることなく、自立した人生が送られるんだろう。
だから、ここは大人も子供も関係ない。
世の中は、あなたもずるけりゃ、他人もずるいと言うことだ。
みんな、小ずるいと言うことだ。
題名 - なんて大きくてりっぱな歯車なんだ
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みなさん、しょせん我らは歯車のひとつに如かず、なんだ。
あなたも歯車なら、大人も歯車、もちろん教師も歯車だ。
恥ずかしながら、いや、恥ずかしがることもないが、これは当り前のことだ。
我らは、ひとりも漏れずに、立派な歯車となりて、それで何とか飯を食って命をつないで来てるんだ。
恥ずかしがることなんて何もない。
大人を責めることは、君ら学生自身を責めることに等しい行為だ。