自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

強制隔離政策で人権を侵害された!

偏見や差別はいまだに根強く、

生きているうちには故郷へは帰れないだろうと思う者もいる。

題名 - 強制隔離政策で人権を侵害された!
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私は病室へ通された。

そこは20畳敷の部屋で20人の患者が入れられている。



男20人で一部屋、女20人で一部屋となる。

両目がくぼんでない。



指がない。

足首がない。



鼻が落ちている。

口が変形している。



そんな人々がきっちりとひとり一畳に納まった共同生活の始まりである。

指定されたこの畳で一生を起き、一生を寝るのである。



この一畳が私のついのすみかなのだ。

療養所に入って、大分経ってから回診が行われた。



医師や看護師が合羽を着て、長靴にマスク、帽子と

完全防備で部屋に土足で入ってきて、ゴム手袋のまま診察するのである。



しかも患者500人に対して、職員100人、看護師30人と

明らかな人員不足ときている。



だから、軽症の患者は重い患者の世話や清掃などの仕事を

タバコ一個分の日給で半強制的にさせられたのだ。



刑務所には入ったことはないが、まるで刑務所の罪人のような扱いである。

20歳となれば、園内の中で結婚が許された。



結婚の条件は子どもが出来ないようにする断種手術である。

今も消えざるこの屈辱。



それを耐え忍んで結婚に至る。

20人部屋の12~13人が結婚しているだろうか。



結婚生活は通い婚。

夜10時を過ぎたら女性の部屋へ通うのである。



こうして20畳の部屋に男女合わせて33人が夫婦生活を営んだ。

これは人間がつむぎだす光景であろうか。

まるで動物のような、そう、まったくと言っていいほどに動物のような扱いである。


題名 - 強制隔離政策で人権を侵害された!
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平成10年、社会復帰支援策の不十分さや、

平成8年のらい予防法廃止時における国の謝罪に疑問を持った入所者13人が、



熊本地裁へ強制隔離政策で人権を侵害されたなどとして

ハンセン病国家賠償請求訴訟をおこした。



原告は徐々に数を増やし

裁判も東京、岡山へと拡大していった。



平成13年5月、原告側の主張がほとんど認められる判決が言い渡され、

国は控訴を断念し、熊本地裁判決は確定する。



平成13年6月、入所者等が被った精神的苦痛に対する補償金の支給、名誉の回復について

定めた「ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給等に関する法律」が施行されるに至る。



こうして、元ハンセン病患者のことを人間回復、

名誉回復を成し遂げたという意味から回復者と呼ぶようになる。

題名 - 強制隔離政策で人権を侵害された!
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現在の全国ハンセン病療養所では、職員配置も手厚く、

住環境も劇的に改善されたために、回復者は非常に穏やかな生活をしている。



回復者は重度の障害をもっているものの明るく前向きであり、

お互いにボランティア活動をして助け合うという精神や、

周囲の人々に感謝するという気持ちを持っている。



目も手も足もない人が、舌で点字を覚えて

教養を高めるという好奇心や向上心も持っている。



しかし、地域での偏見や差別はいまだに根強く、

生きているうちには故郷へは帰れないだろうと思う者もいる。



死んで灰になって風にのって故郷へ帰りたい、

だから灰は海にまいてほしいという者もいる。



60年目の一時里帰りでふる里の風を感じたという者。

回復者の平均年齢はすでに80歳。



今もなお全国には故郷に帰れぬ2700余名の回復者が療養所で生活を送るのだ。

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