宗派:高野山真言宗
本尊:千手観世音菩薩
創建年:・弘仁年間(810年〜824年)
開基:空海(弘法大師)
正式名:得度山 灌頂院 切幡寺
札所:四国八十八カ所霊場第十番札所
本尊真言:おん ばさら たらま きりく
御詠歌:欲心を ただ一筋に 切幡寺 後の世までの 障りとぞなる
住所:徳島県阿波市市場町切幡129番地
駐車場:30台 境内まで徒歩10分
宿坊:なし
鉄道:徳島線鴨島駅下車6.3km
自動車道:徳島自動車道土成ICから約7.9km
9番 法輪寺 ⇒3.8km⇒
10番 切幡寺 ⇒9.3km⇒
11番 藤井寺
見所
切幡寺大塔
本堂からは離れているために、明治42年(1909)の火災を免れた国指定重要文化財切幡寺大塔。
須弥壇奥の来迎壁には狩野山楽(1559年〜1635年)とされる絵が描かれている。
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四国八十八箇所霊場第十番札所 得度山 灌頂院 切幡寺
第10番札所
とくどざん かんじょういん きりはたじ
得度山 灌頂院 切幡寺
四国八十八箇所霊場第十番札所である切幡寺(きりはたじ)は徳島県阿波市市場町にある高野山真言宗の千手観世音菩薩を本尊とする寺院である。
正式名は得度山(とくどざん)灌頂院(かんじょういん)切幡寺(きりはたじ)。
寺伝によれば、修行中の空海(弘法大師)が、機織の娘にほころびた衣を繕うための布を求めたところ、娘は織りかけの布を惜しげもなく切り取って差し出してくれた。
空海(弘法大師)はお礼に娘の願いを聞けば、娘の父母の供養のために千手観世音菩薩を彫ってほしいとのこと。
そこで千手観世音菩薩像を刻んで、娘に灌頂を授けたところ娘は千手観世音菩薩の姿に変わったという。
本堂に空海(弘法大師)の彫った千手観世音菩薩と、機織り娘が即身成仏した千手観世音菩薩(「はたきり観音像」本堂右奥)を本尊として安置し開基に至る。
山号や寺号は機織娘の伝説からの由来である。
国指定重要文化財
「切幡寺大塔」は慶長12年(1607)豊臣秀頼が大坂・住吉大社神宮寺再興時に東西二基の塔を建立したが、明治初期、神仏判然令により神宮寺が廃寺となった為、切幡寺がその「西塔」を買い受け、明治6年から15年(1873〜1882)にかけて現在地に移築した。
西塔の完成年代は定かではないものの実肘木(さねひじき)や須弥壇(しゅみだん)等に桃山時代の特色が見られる。
昭和50年6月23日には現存する唯一の二重方形塔婆で移築による改造も少ないことから、国の重要文化財に指定された。
本堂
山門(仁王門)から333段の石段を上がると本堂がある。
「 国指定重要文化財 切幡寺大塔
この大塔は元、徳川家康の勧めに依り豊臣秀吉の増進菩提のため慶長十二年(1607)豊臣秀頼が大坂・住吉大社神宮寺に建立したものである。
明治初頭、同寺が神仏判然令により廃寺となったため明治六年(1874)当山第四十五世住職天祐(てんゆう)上人が買い受け、ここに解体移築したが同上人の時代には初重部のみ仕上がり、続いて智堪(ちたん)上人が二重部を仕上げ、完成に十年を要した。
その特徴は五間四面にして、初重と二重との間が方形をなす大塔である。今日この形式の遺構は本邦唯一であり、国指定重要文化財たる所以である。
総高二十四・一六八米
指定 昭和五十年六月二十三日 」
国指定重要文化財 切幡寺大塔
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