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絶対価値・相対価値! - 提供「価値辞典」

絶対軸保有者にとっては、お金は己独特の絶対軸に基づいて生きて行くのに必要な分量だけあれば十分であって、大切なのはそんなものではなくて人生の最大のテーマの自らの絶対価値である「自分らしいかどうか、幸せであるかどうか」ということなのだ。

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絶対価値・相対価値


絶対価値 相対価値


あなたの給料、例えば、手取り25万円はですね、あなたにとって、一体幾らの価値が有るのですか?

何ともマア、奇妙な質問も有ったものです。




25万円の給料を貰っているのですから、当然にその価値も25万円で有る筈なのに。

同じ25万円でありながら、自分にとっては、10万円の価値しかないとか、人が違えば50万円の価値にもなる等の、マジックのような話、そんな話があるものか。

と、誰もがそう思うところです。




世間一般に比べて、自分の貰っている給料は、一体どの辺に位地するのだろうか。

果たして、多いのだろうか、少ないのだろうか。




お金の絶対量の比較、そういうことなら、このように、まだ話もすっきりしていて理解も出来るというものです。




通常は、このようなお金そのものの価値、即ち、額面上の価値を以って、お金の価値を語るところなのでしょう。

このようなもの、周りがどのように変わろうと変化しないもの、それを絶対価値と呼んでみることと致しましょう。




そう、お金は、持ち主によって価値を変えるなんてことを致しませんから、まさしく絶対価値なのです。




ではさて、この絶対価値の、一体どこに価値があるのでしょう?

持ち主によって価値を変えませんから、価値を増やすには、その量を増やすしかありません。

量が多いことイコール、価値が有る訳です。




「さあ、みんなで一斉にお金の量を比べましょう」と世の中で話が決まったとなれば、人間というものは忽ちの内にお金の量の獲得競争を始め出し、そして、それと重ね合わせるかの如く、幸せの量も一緒に秤に掛け始めます。

お金の量イコール幸せの量である、との答えを導き出して・・・




貰っている給料を他人のものと比べて、「少ないから幸せも中の下だろう」とか、「少し多いから幸せも中の上だろう」等と、幸せの座標位置を察知して行きます。




他人と比較して、そこで初めて、自らの幸せの度合いも決めるのです。

裏返しに言えば、他人と比較しなければ、自らの幸せの度合いも決められない、となりますが。




同じ25万円を貰っている者同士を比較して、両者に違いなど有る訳が無く、あなたの25万円と私の25万円、彼の25万円と彼女の25万円などなど、持ち主をどのように変えようとも、お金の絶対的な価値に違いの有り様がありません。




しかし、「その25万円が多いと感じるか少ないと感じるか、その25万円で幸せと感じるか不幸せと感じるか」等を、問うた場合は話が違って来ます。

25万円は25万円である、という絶対的な価値は、多いとか少ないとかの、他人との比較の対象物へと、また、その25万円で幸せか幸せでないかなどの、個別の価値に左右される相対物へと、なり得るのです。




量を比較することを止め、個人特有のモノサシに照らしながら、手取り25万円なるもののお金の相対的価値を測るとなれば、「我慢に我慢を重ねて貰った25万円には、やはり25万円という額面上の価値しかない」とか、「好きな仕事をさせて貰っている場合の25万円には、額面だけでは測り切れない価値が存在する」などとなるのです。




サラリーマンのように、好きでもない仕事を我慢して遣っている内は、25万円の価値は、お金の絶対的な価値である25万円でしかありません。

嫌いなことをして25万円を稼いでいるのですから、当然に、後に残るものはお金だけなのです。




この瞬間に、「何故働くか?」と不意に問われれば、問われた者は哀しそうな目をして、そして、「お金のために働いている」と答えることでしょう。

恐らく彼は、何が何やらまったく訳が分からず、必死でもがいている状態なのです。

一刻も早く、絶対軸を見付け出して、有意義に生き活きと働きたかったのに、気が付いてみれば、お金のために我慢しているだけなのですから。




「25万円=50万円の価値にもなる」とか「25万円=10万円の価値しかない」などは、自分のような凡夫(ぼんぷ=凡人)には理解し難いイメージでありますので、「自分の人生にとって、25万円も有れば十分であるとか、25万円では足らない」等と、単純に考えることと致します。




たかが「お金」のことを、絶対価値とか相対価値とか、難しい言葉を使って表現しなくても、単純に多いか少ないかでいいじゃないか、とは正論ですが、その多いか少ないかによって、人々の人生が左右され、生き死にが決定されて行くのですから、ここは一発整理しておくことに限るのです。




チャールズチャップリンの映画「ライムライト」での有名な台詞。




「誰にだって生きる苦労がある」

「気にすることはない」




「人生を恐れてはいけない」

「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金だ」




「戦うんだ」

「人生そのもののためにだ!」




嫌いな仕事を我慢するサラリーマンが、25万円貰いました。

嫌いな仕事には、勇気や想像力は必要ありません。




このサラリーマンの人生をチャールズチャップリン風に言ってしまえば、「人生に必要なものは、我慢と、ほんの少しのお金だ」となります。




“勇気”や“想像力”は、己だけが持つ独特の絶対的価値観です。

“勇気”や“想像力”を、他人のものと比較してみても始まりませんし、比較のしようもありませんので、相対価値とは言い難いのです。




対するお金は、物質そのものの絶対価値ではなく、比較対照するものである相対価値であると捉えることに致しましょう。

ここで、先程のチャールズチャップリンの台詞をちょっと弄(いじ)ってみます。




「人生に必要なものは+【絶対価値】と+ほんの少しのお金だ」

更に、もうちょっと弄って変化させます。

「人生に必要なものは+【絶対価値】と+ほんの少しの【相対価値】だ」




絶対軸保有者にとっては、お金は、己独特の絶対軸に基づいて生きて行くのに、必要な分量だけあれば十分な存在であって、大切なのはそんなものではなく、人生の最大のテーマとするところの、自らの絶対価値である「自分らしいかどうか、幸せであるかどうか」ということなのです。




「人生に必要なものは、勇気と想像力と、ほんの少しのお金だ」風の人生に於いての、お金には、まったくと言って良いほど価値は無く、しいて言えば、「食べて行かれれば良い」という程度の意味合いでしかございません。




これ程までに矮小な価値のお金は、完全に無視してしまって、意識の外へ追い払ってしまうことに致しましょう。

そして、先の台詞をちょっと弄って、「人生に必要なものは+【相対軸】だ」と言い切ってしまうのです。




人との比較の上で生きて行くモノサシであり、相対軸の代表格であるお金を、頭に止め置くこと自体は、非常に危険です。

一度しかない人生を、他人のものと比較しながら、こせこせと暮らして行くはめに陥り兼ねませんからね。

それよりは、気宇壮大(きうそうだい)に気持ちを大きく持って行こうじゃないですか。




「勇気や想像力、自分らしさ、好きなことをする、生き活きとする」などは、他人のものと比較する必要が無いものだから、これらは絶対軸に基づいた絶対価値に当たります。

我々がもし、絶対軸の行使ばっかりで生きて行かれたら、これ即ち最高じゃないですか。




さて、あなたは相対軸保有者ですか、絶対軸保有者ですか?

あなたが相対軸保有者ならば、「人生に必要なものは+【相対軸】だ」となり、これは即ち、「人生に必要なものは+【お金】だ」となってしまうのです。

「トホホ!!」




あなたが絶対軸保有者ならば、「人生に必要なものは+【絶対軸】だ」となり、これ即ち、「人生に必要なものは+【勇気】だ」、「人生に必要なものは+【想像力】だ」、「人生に必要なものは+【自分らしさ】だ」、「人生に必要なものは+【好きなことをすること】だ」、「人生に必要なものは+【生き活きとすること】だ」となるのですよ。


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