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国破れて山河あり!
問題提起としては大変勉強になる!勉強になった!

国破れて山河あり!問題提起としては大変勉強になる!いや勉強になった!我々が自己の無責任を棚に上げ他力本願で居続ける限り、その権化である為政者は、その場しのぎのばら撒きをする他無い。従って国破れて山河ありは現実のものとなるのだろう。

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国破れて山河あり!
問題提起としては大変勉強になる!勉強になった!


国破れて山河あり!


Q


はじめまして。

「国破れて山河あり」読ませていただきました、率直なところ、ここでおっしゃってることは内容的にも納得する部分は多くあり、なかなか鋭い指摘があるようにも感じました。



しかし、指摘止まりというか、結局具体的なビジョンは何一つ思い浮かべることが出来ませんでした。

堂々巡って元に戻るような、そんな感覚です、これは僕が理解力に乏しいからですかね。

問題提起としての側面は大変勉強になったと思っています、解は出てきませんでしたけど。 



A


突然ですが、「プライベートバンキング」なるものをご存知でしょうか。

並んでいる言葉の通り、個人が預金をして利息が付くという銀行のことなのですが、銀行は銀行でも、普通の銀行とはちょっと違います。



利息と言っても高利回りであって、しかもそれに節税効果を加え、また何よりも最大の特徴とするところは、政治リスクや戦乱のリスク、国家破綻などからの財産保全に有ります。

ここから少し、プライベートバンキングから話題を派生させ、世の中がどのようになっているかを、把握して行くことに致しましょう。



現在の日本の借金は約1,000兆円有ると言われており、「お前は既に死んでいる」との言葉がピッタリ来る有り様です。

これを本気で返そうとするのなら、穏やかで気の長い方法としては、消費税16%の導入が考えられます。



日本という体は、現状を維持するために毎年80兆円を必要とし、不足分を補うために30兆円超の借金を必要とするのです。

景気絶頂のバブルの頃でさえ、60兆円しか集められなかったのですから、弛(たる)みきった脂肪を大胆に削ぎ落とすか、それとも20%、いやもっと高率の消費税を導入する必要が有るのだろう、と言えるのかもしれません。



現在の為政者は、「既に死んでいる」という状態を招いても、なお、何の決断もしていないのですから、小さな政府の実現や大増税などを期待しても、無理というものなのでしょう。

我周りの人々に尋ねてみても、一様に「期待出来ない」との答えが返って来る訳です。



我々が、自己の無責任を棚に上げ、他力本願で居続ける限り、その権化である為政者は、その場しのぎのばら撒きをする他無く、我々が個別の利益を為政者に執り成して貰う限りは、為政者も口利きを仕事とせざるを得ないのです。



為政者は、まるで己を見るかのような、映し鏡と言え、「卵と鶏、どちらが先か?」とは、うまく言ったもので、為政者が口利きをするから、我々はそれに頼るのか、それとも我々が要求をするから、為政者が口利きをするのか、果たしてどちらが先なのでしょうか。



ともかく、「不景気は、為政者の責任だ」と、日本全国から苦情、陳情の嵐が吹き荒れ、為政者の方も、「景気が良くなれば、税収は増え、財政再建は可能だ」との、苦情、陳情を沈めるためだけの対症療法的理念を掲げ、1990年代には、何と100兆円もの財政を出動させたのです。

効果の程は皆様よくご存知の通り。



まるで、お金をばら撒き、誰かの懐を暖めることが目的であったのかのような、そして、何に使われたかなんていうのは、どうでも良かったかのようです。

お金の使途先も皆様よくご存知の通り。

100兆円の財政出動で儲けた人々は、その内の一体幾らを、プライベートバンキングにて、海外へ逃避させたことなのでしょうか。



強引な借金返済の方法としては、国債を大量に日銀へ引き取らせ、その代わりに日本銀行券を大増刷させて、ハイパーインフレを引き起こし、借金を相対的に目減りさせることが考えられます。

このような事態になれば、我々の資産も限りなく、紙屑へと近付いて行くことになります。

日本への信用も無くなり、金利は上昇し、円は大幅に安くなるでしょう。



物騒な方法としては、1,400兆円の個人金融資産を、預金封鎖によって強制的に国庫に収容し、借金を棒引きすることが考えられます。

これには、新円発行と通貨単位の切り下げが、セットで加えられることも有るでしょう。

かつて日本では、預金封鎖が2回実施され、戦後の1946年2月に実施された2回目の預金封鎖では、限りなく紙屑へと近付いた国民の命綱は、強引に押さえ込まれることになったのです。



何も決断せずに問題を先送りし、自分達だけは生き残ろうとする輩が、果たして預金封鎖なんて大胆なこと決断出来るのだろうか、と思ったりもするのですが、過去の日本やアルゼンチンなどを見てみると、可能性は大いに有ると言わざるを得ません。

物騒なものとしては、1,400兆円に対して100%の資産税を課し、個人金融資産をそっくりそのまま没収してしまう方法も考えられます。



もし個人的に預金封鎖を避けようとするのなら、外資系銀行、しかも日本の法の網が掛からない、日本法人でないものを選ぶ必要があるでしょう。

ドル建て預金でも良いけれど、アメリカの財政状況を考えれば、ユーロにも分散しておく必要もありそうです。

金や優良不動産、または、ドルやユーロを箪笥(たんす)預金することも考えられるでしょう。



しかも、外為法の改正で、資金の送金を制限されることも考えられますので、危なくなる遥か前に、これらの行動を完了しておく必要があるのです。

プライベートバンキングの盛況振りや、それに参加が許された、数億円もの資産を持つ人々の行動からすると、預金封鎖への対策は既に完了している、ということが言え、それは同時に、日本の財政破綻や信用破綻への備えを終えた、そして何時でも逃げ切ることが出来る体勢である、と見ることが出来るのです。

日本への愛着や帰属感は無く、共同体意識など微塵も残っていない、と読み取れるのです。



資産家の動きは、昔より、政変や戦乱のリスクを回避して来た、ユダヤ人や中国人(華僑)を見るかの如くです。

その特徴は、

  • 英語や中国語が使える。
  • 世界の幾つかの国に、親類や友人が居る。
  • 世界の幾つかの国に、不動産や生活拠点を持っている。
  • 留学経験や海外での教育を受け、外国で働く能力を備えている。
  • 世界の幾つかの銀行に口座を持ち、財産を保全していたり、無くても経済的な拠点を確保している。


    となります。



別に、海外へ脱出しなくても、時勢に流されて居れば、それはそれで、きっと、それなりの生活が用意されている訳で、成るように成るのでしょう。

そうであるのなら、「どうなるか分からないものなんか、放っておけ」、という考え方も有り得ます。

「放っておけ」という考え方と、資産家やユダヤ人、華僑に共通する考え方の違いは、「自分の人生は周りがどうにかしてくれる」というのと、「自分の人生は自分でなんとかする」に有り、前者には、頼れる国という存在は不可欠であるけれど、後者には、必要ではなく、何ら縛られるものでもないのです。



と、まあ、世の中の動きは、このようなものでしょうか。
もうひとつ付け加えますと、年金は当てにはならない。

日本の年金制度は、賦課方式と申しまして、現在受給している人々のお金を、若い世代が支払う仕組みになっています。

若い世代は、掛け金を己のために積み立てている訳では無いのです。

己が年を取った時には、その時代の若い世代が支払ったお金を貰って、命をつなぐ訳なのです。



日本の出生率は、1.3人ですから、1人の子供が2人の親の年金を負担するということをイメージすれば、日本の年金制度の行く末が、苦しそうで如何にも無理っぽいと感じて来ます。

結婚ともなれば、2人の子供がそれぞれの両親(4人)の、年金を負担するような感じ。

ちょっと大袈裟に、如何にも無理っぽいものを想像させてしまいましたが、将来年金が当てにならないのが本当であるならば、我等両親の生活費は、誰が捻出すれば良いと言うのでしょうか。



己で貯めるか、年老いても、なお自らで稼ぎ出すか、それとも、子供に面倒を見て貰うか、その位しか思い付きません。

参考までに、厚生労働省は、2025年の若い世代の負担率を、給与の4分の1と試算しています。

日本の少子高齢化を考えれば、掛け金は増え、支給額は減るしかない、というのも納得するしか無いのでしょう。

その他に、当てにならないものには、老人医療もありそうです。



さて、資産も何も無い我々に、取り得る行動は、如何なるものが残されているのでしょうか。

杜甫は「春望」にて、「国破れて山河あり・・・」と謳い、国が滅びても、山や川は昔のまま残っており、やがて草や木も深々と生い茂る、ことを描いています。

過去2度の預金封鎖を経験しても、なお日本人は顕在ですので、再び国が滅びても、生きて行かれる場所だけは残されることを表しているようです。

お金も、働く場所も、何も無いけれど、再び生きて行くことだけは出来る。

これは、国が破れれば残るものは山河のみ、後のすべては失われることとなる、とも表現することが出来ます。



「具体的なビジョンは何一つ思い浮かべることが出来ませんでした」、「解は出てきませんでしたけど」と言っていれば、「国破れて山河あり」を、現実に見る羽目になる可能性が、高いように思えます。

生きて行かれる場所だけは有るけれども、そこは、誰にも頼ることの出来ない、自己責任の世界であって、「安定した生活」や「安定した収入」などは存在せず、「適当に働けば適当な収入が得られる」ことも無いのです。



この世の中は、答えを出さなくても生きて行かれそうな気もして、いや実際に、答えを出さないままこの世を去る人は数多(あまた)存在するのですが、誰にも頼ることの出来なかった、明治の黎明期や戦後の混乱期を見れば、答えを出している方が良さそうに思うのですが、如何でしょうか。

バブル崩壊後、まさにそういう状況のようなのですが、混乱すれば混乱する程、頼れるものは徐々に減って行き、最後に残されるのは己だけだ、と言えるのでしょう。



「国破れて山河あり」に遭遇してしまわないように、ユダヤ人や華僑の知恵を借りる手も有りです。

只単に、「みんなが英語を習っているから私もする」なんて、意志薄弱な思い付きだけでは、数ヶ国に友達や知人を作ったり、親戚を脱出させておくような芸当は、到底真似出来るものではありません。



数ヶ国に、財産を保全しておくことも、金持ちの成せる業としても、なお、生活拠点や経済的基盤を作ることや、働くことが出来る能力を涵養しておくことも、やはり無理なことのようです。

そこには、明確なビジョンと共に、何世代にも渡った戦略が必要となって来るようです。



  • 自分、子供、孫の3世代で完成させる。
  • 英語は、脳が言語の別を識別してしまう以前の、0歳から1歳の時分から教え込む。
    (英語の習得の方法は、他にも色々と考えられます。)
  • 子供、孫には広く海外を見せ、国という共同体の呪縛から解き放たれた、思考を養わせる。



そして、ここが最も重要ですが、「何故そうするのか」についての、明確なビジョンを伝える必要が有ることです。



歴史を紐解いて、ユダヤ人や華僑が身を寄せた国々から、どのような仕打ちを受けて来たかを考えれば、恐らく、ビジョンの中心には、「国なんか信用するな」というのが、鎮座することになるのでしょう。

一生懸命蓄えた財産が、国破れる毎に没収されたり紙屑になるのでは、堪ったものではありません。

自分から始まる家系の長期ビジョンを、「国なんか信用しない、自分の人生は、自分で切り拓く、そのためには、子、孫の代迄には海外で生きて行かれるようにしておく」と定めるのも、自然の流れのようです。



長期ビジョンの無い家系では、政治家の子は政治家、医者の子は医者というように、ベクトルの向きには関係なく、親の真似事をしてしまいます。

そこには、「何故、そうするか」なんて問い掛けは、存在しないのです。

「何故そうするのか」とか、「どのように生きるか」などの、長期ビジョンを打ち立て、明確に子供に伝えていくことは、親の務めと申しましょうか、家系の先駆けの責務というものではないでしょうか。



ばら撒きをする為政者の子供は、海外に別荘を持っていたり、拠点を移していたり、海外留学をしていたりして、破綻の場合の逃げ切り準備を完了していること、一方、ばら撒かれる側には何の対策も無いことが、周囲を見渡せば容易に確認できるものです。

我々の為せる技としては、子供だけには、幾らお金が掛かろうとも、英語だけは教えておく。

長期ビジョンを実行に移す具体的プログラムとしては、まずは、これではないかと思うのです。



「子供、孫の世代で逃げ切り体勢を完了するのでは、日本破綻に間に合わない」
そう言われる方は、ペースをもっと早めても良いかもしれません。

法律が追い付けないスピードを求めて、インターネットバンキングを始めておく。

アメリカで子供を生んで、取り敢えず両方の国籍を取得しておき、そして、大人になった時点で子供に国を選択させる、なんて方法やら何やら、実行段階ではじっくりと考えれば良いことです。

2005年時点での法律では、22歳までに国籍を選択すれば良いようになっていますし、現に近場(ちかば)のアメリカである、ハワイで出産するなんて事例はごまんと有るのです。



「答えが出ない」、「答えが出せない」と言われる方は、彼らの手法を是非取り入れてみては如何でしょう。

もし良ければの話ですが。

  • 自分、子供、孫の3世代で完成させる。



こう思っただけで、長期の目標、生き方の方針みたいなものが出来たように思いませんか。

これは、己の方針だけにとどまらず、脈々と続く家系の方針と成り得るものです。

何か一本芯のようなものが出来、ある方向へベクトルが向いたような感じが致しませんか。

今後の行動と考え方は、このベクトルに沿うようなものを選んで行くようになります。



「国を憂い国家を再建したい」と大志を抱いた人が、それを方針にするのはまったくの自由なのですが、もしそうすれば、当然そのベクトルに沿った職業、例えば、政治家などを志向することになるのです。

何も考えず、方針なども立てない人は、何となく永遠に日本に居続けるような感覚、これに基づいた職業選びをすることになるのです。

彼らの、すべての行動や考え方は、「自分、子供、孫の3世代で完成させる」と方針立てた人の真逆、180度違ったものとなります。



「では、日本が大丈夫だったらどうする」
これは、実際に問われた言葉です。

「日本が大丈夫であった場合、何も準備をしていない人にとっては、日本だけしかない選択肢が消えなかったという意味であり、準備を完了している人にとっては、色々有る選択肢の中の、日本というひとつの選択肢が消えなかったという意味合いになります。」

と、答えたのを思い出します。



またまた突然ですが、読書感想文を書いた子供の頃を思い浮かべてください。

記憶があるかと思うのですが、そこには、「指摘止まり」とか「何の指針も得られなかった」とは書かなかったのではないでしょうか。

本を読んで、己が何を考えたかを、書き綴ったのではないでしょうか。



生き活きと自分の人生を謳歌している、野球選手やサッカー選手を見ても、「得られるものが無かった」とは、言わないのではないでしょうか。

仮に言ったとして、また、そうすることも全くの自由ではあるのだけれども、しかしそれは、見当外れのピントのズレた視点ではないだろうか、と思ったりするのです。



彼らに言わせれば、「読者や視聴者、または観客に、何かを与えるために遣っている訳ではなく、遣りたいから遣っているのであって、読者達が運良く自分から何かを得たとしても、それは偶然の副産物に過ぎない」となるのです。

彼らは、まず遣りたいことを遣っているだけであって、皆がたまたま何かを得たかどうかは、2次的に発生しているだけで、関係がないのです。



「何かを読んで、直ぐに答えが得られた」

そんなものが実際に存在するのなら、誰もが、もっと前に出会いたかった、と思うのではないでしょうか。

と、言っている内にも、彼らは着々と自分の人生を自分なりに表現して生きているのです。

我々は、彼らの生き様に触れているに過ぎないのであって、立場からすれば、与えられる立場ではなくて、何かをそこから何としてでも掴み取る立場にあるのではないでしょうか。



最後に、何処の国に居ようとも、遣りたいことが出来るのが最高ではないだろうか、というのを一言付け加えて終ります。


(2005.01.27作成)


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