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ジェンダーフリーと男女平等の行き過ぎ!(意見のかたまり2)

ジェンダーフリーと男女平等の行き過ぎ!(意見のかたまり2)「ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的」にも見えません。

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ジェンダーフリーと男女平等の行き過ぎ!(意見のかたまり2)


ジェンダーフリーとは何?

男女平等とは何か?


意見


差出人:しまっち
送信日時:2004/07/22(木) 14:43:09


toybox2004様

>可能であれば、(1)は別の名前を付けて運動すべきです>(1)のジェンダーフリー論者

この記述は明らかに言葉の命名について語っていますよね?よって(1)ではなく(2)をたとえばジェンダーレスとまったく新しいより広い意味を持たせた言い方に変えることもできるという意味です。よって中身が取り替え可能などとは決して言っていません。

>ジェンダーフリーに(2)の思想が含まれている限り、私はジェンダーフリーの活動を支持いたしませんし、(2)に反対するのであれば、支持するべきではないと考えます。




ということは(1)は(2)に含まれていて利用される可能性があるから今ある区別の中にたとえ不合理なものが含まれていても不利益を被っている者は我慢しろということになりますよね。

どんな意見でも極論的に考えれば暴論となる。たとえば、ジェンダーフリーに反対するという意見を持つ者は社会の一部にある差別を改変することを許さず被差別者を依然差別しようとしている、と極論することもできるわけです。しかし当然反対している人もそんなことは決して言っていないわけで、そんな極論と一緒にするなと言うでしょう。




もし一見似ていれば全てを極論と同一視して否定するということであれば自分の意見も当然ディフォルメされ極論化されてしまうわけでこれではどんな意見も右翼的なものとみなされてしまいます。物事をYESとNOの二択しかないと考えるのは非常に短絡的です。結局その違いを区別するのが言葉であり、言葉を無視して二つの意見を同じことだと切り捨てて否定するというのではなく両者の違いの理解し同意できない意見にのみ反対すべきです。




ですから利用されそうならば言葉を使って両者の間に明確な線を引けばいい。それすら不可能と言うのであれば即ち言葉・法律は何の意味も為さないことになるでしょう。

>しかし、「ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的」にも見えません。




toybox2004 様が示したHPにもい掲載されているように参画基本法2条に
「男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。」と書いてあります。

「自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され」というのは多数派であっても少数派であっても個人である限り選択の自由を保証することそのままの記述であり、「社会を形成する」とは社会的制度を整えるというそのままの意味ではありませんか。




>私は基本法が誤りであるという話はしておりません。
失礼しました。toybox2004 様が意見補足資料として挙げられていたHP(http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/feminism6.html)では
参画基本法の曖昧さのみならず、むしろ記載内容・方針自体が誤っていると捉え積極的に否定・撤廃を求める立場をとっており必ずしも厳密化・修正という意味では反対してはいなかったのでtoybox2004 様も同様の意味で反対しておられると思ってしまいました。





意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 12:13:43


しまっち様

(1)ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的とする活動のこと。(しかし生物的性差以外の差を認めないということではない)
(2)ジェンダーフリーとは男女間の生体構造以外の一切の区別を社会からなくすことを目的とする活動のこと。

この二つの思想を比べた場合(2)は(1)を含んだものです。したがって、しまっち様のおっしゃられるような、取り替え可能な問題ではありません。(1)に賛成すれば、(2)の論者は賛同者が増えたとほくそえむわけですし、それを政治的に利用することが可能になります。




国防軍の例も、ジェンダーフリーの運動に無理矢理あてはめるのであれば、
(1)自衛のための戦力を持つことを目的として活動すること。ただし侵略のための戦力ではない。

(2)侵略のための戦力を持つことを目的として活動すること。
そして、この二つが戦力保持運動などと名付けられていれば、(2)は(1)を包含するため、(2)の論者からすれば(1)だろうが(2)だろうが戦力保持に賛成する論者は大歓迎ということになります。

故に、ジェンダーフリーに(2)の思想が含まれている限り、私はジェンダーフリーの活動を支持いたしませんし、(2)に反対するのであれば、支持するべきではないと考えます。




また、しまっち様は、「思想が暴走するかしないかはチェック機能を万全に確保するかという問題であり混同すべきではない。」とおっしゃっていますが、男女共同参画社会基本法に関するチェック機能がありません。しまっち様もおっしゃられているとおり、「(1)である基本法を(2)であると曲解して妙な押し付けを行っている自治体」が存在することから明らかです。

国の施策についてです。確かに男女共同参画社会基本法において、生物的性差以外の差を否定するようなものが前面に出ているようには見えません。しかし、「ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的」にも見えません。




>問題は(1)である基本法を(2)であると曲解して妙な押し付けを行っている自治体でありその施策を修正すれば足りる。基本法が誤りとするのは論理の飛躍である。

さて、私は基本法が誤りであるという話はしておりません。法律は常に恣意的な解釈が可能であり、しまっち様もおっしゃられるとおり、「内容の厳密性という面で改善が必要である」であります。また、また、現実にこの曖昧さによって自治体や教育の分野で誤った施策が行われているのであれば、現状の基本法はその理念や記述において不十分であると考え、反対する次第です。





意見


差出人:しまっち
送信日時:2004/07/22(木) 07:22:23


>toybox2004

たしかに誤解を避けるべく二意を明確に区分する必要はあるかと思います。しかし、だからと言って一方に反対であればジェンダーフリーに反対すべしという意見には同意しかねます。その根拠として挙げていらっしゃるのは次の二点にあると思われます。

1.(2)の人にとってジェンダーフリーとはあくまでも(2)の意味であり、賛成することは結果的に(2)の思想を後押ししてしまう
2.(2)として国策に取り入れられた以上ジェンダーフリーとは(2)の意味で捉えるべきである

しかしこの根拠は次の点から妥当とは言えません。




1.同様に(1)の人にとってもジェンダーフリーはあくまでも(1)の意味であり、(2)の意味で捉える人は(2)を支持する人と(2)に反対する人だけである。また(1)の思想を推進することとそこからさらに(2)の思想を容認することとは似て非なるものである。たとえば他国からの侵略を防ぐ意味で自衛能力を持つ国防軍を持つ事と自国の軍隊を使って侵略戦争を行う事とは目的がまったく異なる。思想が暴走するかしないかはチェック機能を万全に確保するかという問題であり混同すべきではない。




2.政府案から(2)の思想は読み取れないことはtoybox2004様も認めていらっしゃる通りであり、そのことから国策として組み入れられているのはむしろ現段階では(1)であると考えるのが自然である。よって、「ジェンダーフリー=ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的とする活動のこと。」と捉えるべきと考えます。よって以下の

>可能であれば、(1)は別の名前を付けて運動すべきです>(1)のジェンダーフリー論者
は(1)と(2)とはそっくり入れ替わる結果となります。




>しめじ様
ジェンダー=性的束縛です。ですから「ジェンダーを束縛としない性意識」とは正確には「ジェンダーから解放された性意識」とは何か、ということでしょう。
そのうえでジェンダーから解放された性意識について述べると、具体的には「男ならばこうあるべきだと自分や周囲にその枠内に入る事を暗に求めることなく、多くの男はそうであるからその傾向として男らしいという言葉はあるけれどその枠内に入らない人もいるのが自然だしそれも男の多様な性質の一つである」と考える意識のことであると思います。





意見


差出人:しまっち
送信日時:2004/07/22(木) 08:42:50


>toybox2004
>私は、(2)の思想・運動そのものを否定しています。そして、可能性が少しでもあるなら、反ジェンダーフリー運動を行う根拠たり得ます。
(2)そのものに反対すべきであり(1)にまで反対することは葉が枯れているなら木も死んでいるとすることと同義である。
>法律など恣意的に解釈すればどうとでもなりますから、男女共同参画社会基本法も反対します。




法律の曖昧さは技術的な問題であり厳密な規程を追加することで解決できる。曖昧⇒撤廃とはならない。またそれでも法律の存在自体否定することは法治国家を否定し社会は無法・無秩序化させることに繋がる。
>いくら政府施策は(1)だといっても、現実は(2)の思想を元に、妙な押しつけが行われているんです。

問題は(1)である基本法を(2)であると曲解して妙な押し付けを行っている自治体でありその施策を修正すれば足りる。基本法が誤りとするのは論理の飛躍である。




次に件のHP(http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/feminism6.html)
であるが基本法=フェミニストの意見が全面的に反映されている、という偏った前提をとっており客観性を欠いている。たとえば基本法の総則についてであるが、
>男女が、社会の対等な構成員として、自らの意思によって社会のあらゆる分野における活動に参画する機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ、かつ、共に責任を担うべき社会を形成することをいう。




という文の「男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ」の部分を利益を均等に分配すべし(must)と共産主義的に捉えているが、これは「機会が確保され、もって男女が均等に政治的、経済的、社会的及び文化的利益を享受することができ」と前段で機会均等が謳われていることからも「機会の均等によって利益も均等に享受することもできる(can)⇔今まではできなかった(cannot)」の意味で捉えるのが自然である。但し、この文の持つ曖昧さという点では内容の厳密性という面で改善が必要であることに異論はない。




意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 06:05:32


あーる様

多分、私への回答と思われるところに対して意見をさせていただきます。ただし、「自分の想像や個人的体験から出発したような意見には価値がありません」には同意できません。確かに妄想を論拠にするのは愚かしいことですが、およそほとんどの意見は個人的体験から出発していると思うからです。個人的体験から出発したような意見を述べられないようであれば、先達の思想の引用しかできなくなります。しかし、また、その先人達も彼らの境遇(つまり体験であったり環境、人生そのもの)において、思索しその結果を主張しているわけです。




また、勉強不足をさらしてしまいますが、チャンブリ族(マーガレット・ミードによる)に関わる話は、ジェンダーフリー議論の中では有名なのですね。しかし現在では、ミードが主張するチャンブリ族の性質もまた誤りであることが、デボラ・ゲワーツ(Deborah Gewertz)の1974年から75年にかけてのの再調査によって明らかにされています。また、ミード自身も男女の社会的な性別役割が逆転した実例があるといっているのではない、ということを自ら認めていますので、あーる様が「男性が仕事、女性が家庭、などというのは、世界の一部の地域にしか通用しません」ということの論拠にはなりえません。




また、「一部の地域」というのも、他に実例がないのであれば、かなり誤解を招く文かと思います。実際には、今のところ男女逆転社会は見つかっていない、が事実。したがって、「こうしたことは、西洋的な近代社会が当然のものとして受け入れてきたものが、社会的に相対的なものでしかなかったことを意味しています」という主張はその根拠を失いました。

また同時に、「ジェンダーは性の違いから、社会(共同体)を形成するにあたって自然発生的に出来たものであり、そしてそれが文化なのである」という考えに対する反証も無くなったわけです。




ということは、さらに「2004/07/16(金) 03:47:27」のあーる様の発言における、以後の家族共同体云々の主張はその根拠を失ったと考えてよろしいでしょうか。同様の発言は、「2004/07/21(水) 02:50:19」の「近代とは、ここでは…」の段落にもありますね。これは、「ジェンダーは性の違いから、社会(共同体)を形成するにあたって自然発生的に出来たものであり」を否定する根拠が無い限り、これらの主張も根拠がなくなります。結局の所、人為的な物とそうでない(自然発生的にできた)物を区別するのは不可能なんです。あーる様もおっしゃってますよね。

> 実際上、境界線上では人為的な性差と生物学的な性差を
> 区別することは難しいと思います。
> だから、現実的には個別的に対処していくしかないでしょう。

したがいまして、私は、ジェンダーは自然発生的にできたものであり、それを否定するジェンダーフリー思想・運動には、やはり*反対*します。




高齢少子化について少々。ジェンダーフリーがこれを解決するとおっしゃられておりますが、反証をあげさせていただきます。すでにご研究されているかもしれませんが、一つはスウェーデンです。ネタ本は、武田龍夫『福祉国家の闘い』(中公新書)ですが、自殺の急増・強姦事件が日本の20倍以上、強盗は100倍以上・10万人あたりの平均犯罪数は、日本の7倍という状況で、これらの背景にあるのが【家庭の崩壊】であるとしています。引用になりますが、「スウェーデンでは結婚は契約の一つだ」「離婚は日常茶飯事」で「二組に一組」が離婚し、夫婦のあいだには「思いやりとか譲歩とか協力とか尊敬といった感情は、まずない。だから夫婦関係は猛烈なストレスとなる。」だから「男と女の利己的自我の血みどろの戦いが、ストリンドベルイ文学の主題の一つとなった」。




http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/femi11.html
http://krd.roshy.human.nagoya-u.ac.jp/~rep2001/inamori/inamori4.html
ちなみにスウェーデンは、出生率は下がり続けています。
http://www1.ipss.go.jp/tohkei/Data/Popular/04-05.htm
それよりもなによりも、犯罪増加などロクなことになっていません。

さて、
> 教育が今まではびこってきたために、そうでない生き方が否定されてきたのも事実
> キャラクタライズされることによって、それ以外の行動が抑制される、すなわち、自由が奪われる

と、女性(男性)は抑圧されている、というようなことを何回かおっしゃっていますが、本当に書かれているように、きっぱり「否定されてきた」「自由が奪われてきた」のでしょうか。卑近な例で申し訳ないのですが、女性経営者も近くにいますし、役職者、または医療の世界や教育の世界で男性と同様に働いている女性が
身近にいる私にとっては、上のような見方には賛成できないのです。能力さえあれば性別にかかわらず同じように働けるというのを目の当たりにしているのですよ。




意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 06:40:44


しまっち様

> 勿論今後(2)の方向へ行く可能性も否定できませんが、たとえ誤った考えを
> 持つ人がその中に一部いたとしても出てきた結論に問題が無ければ結論を否定
> する根拠にはなりえません。
私は、(2)の思想・運動そのものを否定しています。そして、可能性が少しでもあるなら、反ジェンダーフリー運動を行う根拠たり得ます。また、法律など恣意的に解釈すればどうとでもなりますから、男女共同参画社会基本法も反対します。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/rindou/feminism6.html




実際、自治体や教育の現場では(2)の思想を元におかしなことがいろいろと行われているわけです。例えば「広報誌とかジェンダーフリーチェックリストなんてものがあるんですが、明らかに偏ってる、というより論理的に破綻してるんです。「母の日にエプロンをお母さんに贈る」のは「ジェンダーに敏感じゃない」とかってあるんです。」(原文ママ)など探せばいくらでもでてきます。しまっち様がいくら政府施策は(1)だといっても、現実は(2)の思想を元に、妙な押しつけが行われているんです。これは、反対するに足る根拠だと思います。




意見


差出人:しまっち
送信日時:2004/07/22(木) 05:52:49


>しめじ様
freeについて説明不足でした。ここでのfreeの意味は、「(限定的に)修正や撤廃する」ということそのものに掛かっているのではなく、(限定的に)修正や撤廃することによって「結果として区別とは違う差別から解放されること」に掛かっていると考えられます。

次に常識についてですが常識とは時代時代によって常に変動します。江戸時代に和服を着るのが常識であったように現代では洋服を着るのが日本では常識です。よって絶対ではありえません。しかし、自由や権利は常識とはまったく異なります。人間は生まれた時から自由や権利を持っていてそれは日本人であろうとイスラム圏の人間であろうとまったく変わりません。まさか日本人だけが権利を持っていてイスラム圏の人達には権利はないとは言いませんよね?概念が浸透するしないはまさにその世界の常識のレベルの話なのです。そして常識が絶対でない以上その社会の人達がおかしいと思えば常識を変えれば良く、思わなければ変えなければいい。常識が無根拠であるのはしめじ様がご指摘なさったとおりです。




 また権利は常識よりも優先されます。例えば人を殺してはいけないということが倫理や常識で規制されているとすると、もし倫理や常識が時代に因って変化したとすると理論的には人を殺してもいいことになる可能性を持つ事になります。しかし自分がこの世の中で生きることができるという権利を持つと同様に他人も生きる権利を持つという事実は変えることができません。世の中の最低限のルールである法律は権利という事実によって裏付けられていることからもそれは窺えます。
 したがって権利によって常識を変えようとする者に反対するのなら権利によって反論すべきであり、今までの常識でこうなっているからとか他国で過去に失敗しているからという理由では根拠としては不十分です。




>toybox2004様
記号表記の件、すいません。知りませんでした。それとあーる様の「ジェンダーフリーは、一旦はジェンダーを失くすことを考えます。」という意見についてですがこの一旦はというのがポイントで、その後に「個人が各々で自ら、社会的、文化的性差を身に着けるなら、それはそれで構わない。」という記述が、一旦全て無くした上で何百年もかけて0から作り直すという意味で書かれているのであれば(2)の過激な部類にはいると思います。

しかし、それが既存の社会的性差(ジェンダー)の持つ強制力(=男はこうでなければならない、女はこうあるべきだ等々)だけをなくし枠組みは維持しつつ(=多くの男はこうする傾向がある、多くの女はこうする場合が多いが必ずしもそうではない等々)個人に選ぶ理由を与える、その結果として多くの人がやはり既存の枠組みを選ぶのは構わないし新しい枠組みを作るのも厭わないという意味であれば過激な部類には属さないと思います。つまり、既存の概念を多くの人はそれを選ぶであろうという目安程度に捉え、「外圧がゼロの状態」で選べるようにすると言う意味であれば過激な部類にはあたらないと思います。




また政府の施策についてですが
>表面上は(1)のように見えるかも知れませんが との記述から逆説的に最終的な政府発表からは(2)の要素は直接的には窺えない事がいえます。toybox2004様が(2)と考える根拠の件の教授の発言ですが基本法制定前の発言で最終発表案に直接の問題点が見て取れない以上十分に反映されているとは言いがたいと思います。勿論今後(2)の方向へ行く可能性も否定できませんが、たとえ誤った考えを持つ人がその中に一部いたとしても出てきた結論に問題が無ければ結論を否定する根拠にはなりえません。

異論を唱えるのであれば(2)のようにジェンダーフリーを捉え推進する人達や(2)の特徴が明確に現れた政府案が発表された場合であって少なくとも現在の政府は(1)の意味でジェンダーフリーを用いていると読み取れる以上、政府案を(2)と曲解し実際は(1)である政府案全体を否定するのは誤りであると考えます。




意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 05:07:36

しめじ様

>(1)ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的とする活動のこと。
>(2)ジェンダーフリーとは男女間の生体構造以外の一切の区別を社会からなくすことを目的とする活動のこと。

老婆心ながら、ジェンダーフリーという言葉に二つの意味があるのであり、なおかつ、その一つがしめじ様に受け入れがたい物であれば「ジェンダーフリー」思想・運動には反対すべきかと思います。なぜなら、(2)を目的とする人たちは、しめじ様が(1)のジェンダーフリーに賛成していようとも、彼らからすればジェンダーフリーはあくまでも(2)であり、結局の所、その運動を後押しすることになってしまうからです。
可能であれば、(1)は別の名前を付けて運動すべきです>(1)のジェンダーフリー論者

(2)のジェンダーフリーをジェンダーレスなどに名前を変えるというのも一つの選択肢ですが、国策として組み込まれてしまった以上、「ジェンダーフリー=ジェンダーフリーとは男女間の生体構造以外の一切の区別を社会からなくすことを目的とする活動のこと」と捉えるべきかと思います。




意見


差出人:しめじ
送信日時:2004/07/22(木) 03:45:31


>しまっち様
 確かにそうです。曖昧な知識を根拠に論を進めても、破綻した結論をもつだけです。
 が、えぇと説明不足もあります。freeという単語はもちろん色んな意味があって、私はジェンダーフリーのフリーを「障害のない」「固定していない」という意味で使っているものと思っていたということです。
 あと、(限定的に)修正や撤廃するという意味はfreeには無いと思うんですが、どうでしょう。英語は専門じゃないんでなんともいえないのですが。(なので、これは質問です)
 (2)のジェンダーフリーという考えなら、私は賛成です。そもそも、ジェンダーを無くす、という極端な考えに反対でしたので。




>あーる様
 レッテルとは主観的な考えを一方的に押しつける時に使われる言葉ですが、ジェンダーとはレッテルになり得るでしょうか?社会がジェンダーを形成するんですよね?ならば、ジェンダーは共通認識ということになります。平たく言えば常識ということでしょう?常識的に考えて、男はこういうものだろう、女はこういうものだろう、とするのがジェンダーですよね。これは一方的なものなのでしょうか。むしろ、ひどく日常的に行われている作業の一つだと思いますが。

 私個人の考えでは、そもそも「常識」や「道徳・倫理」というものは全くの無根拠であると考えています。論理的に考えていっても、最終的な根拠は「だって、皆そうだろ?」という何とも曖昧な根拠に落ちつくからです。故に、根拠の無いことを他人に強要する「常識」などの考えには、正直うんざりしている面もあります。




 しかし、その「だって、皆そうだろ?」という共通する考えを持つ事は、重要だということも分かっています。常識が無ければ、いつも物事を厳密に考え非常に論理的に相手に伝えなければ、相手は理解してくれないという面倒な状況になると思うので。

>しまっち様
 なので、もちろん日本でイスラム教信者の女性のように振舞えと、日本の女性に強要する事は、女性の自由や権利を奪うものとして納得しかねます。しかし、これは当然「自由」とか「権利」といった概念が浸透している日本であるから、というのが理由です。
 イスラム教信者の女性にとっては、「だって、皆そうだろ?」ってことですからね。大学でも結構みかけます。真夏なのに布で肌を隠している人を。




意見


差出人:しめじ
送信日時:2004/07/22(木) 04:09:41


 あ、あと、ジェンダーを束縛としない性意識とは何なのでしょうか?
これには、大変興味があります。

社会的、文化的背景を持たずに性意識が生まれるかどうか、というのは非常に価値ある思考だと思います。




意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 02:21:56


みなさんすごいですね

ところで
しまっち様は(1)ジェンダーフリーとは社会が「男性らしさ・女性らしさを選ばない少数派の人達」の存在を認めて個人に選択する自由を与え、社会的制度を整えることを目的とする活動のこと、と捉えるべきとおっしゃっています。
ところが、あーる様は、「ジェンダーフリーは、一旦はジェンダーを失くすことを考えます。」とおっしゃられてます。つまり「(2)ジェンダーフリーとは男女間の生体構造以外の一切の区別を社会からなくすことを目的とする活動のこと」しまっち様から見れば過激な部類に入るのでしょうか。

さて、政府の進めている施策はといいますと、
男女共同参画社会基本法の制定に先立つ「男女共同参画審議会」について大沢真理が、「ジェンダーの解消をめざすという案が取られた」(『上野千鶴子対談集 ラディカルに語れば』P26、平凡社)と述べています。ちなみに大沢真理は、男女共同参画審議会の委員の一人です。




つまり、このことから、表面上は(1)のように見えるかも知れませんが、目的はしまっち様のいうところの(2)かもしれないのです。その危険性を感じてジェンダーフリー思想に対して反対してるわけです。いずれにせよ、(2)を目的とする人がいる限り、ジェンダーフリー運動や思想には反対します。

そもそも(1)で良いのなら、従来の男女平等運動やら男女同権運動で良いはずです。エンゲルスの『家族・私有財産・国家の起源』第2章「家族」で述べられている共産主義の考え方にジェンダーフリーなどという名前をつけて運動する必要なぞないのではないかと思います。ジェンダーフリーとは和製英語ですが、同じような女性解放運動はソビエトやスエーデンで行われ、いずれも失敗しております。

まる1、まる2という記号は見ている環境によっては正しく表示できない可能性がありますので、ご考慮お願いします>しまっち様、各位




意見


差出人:toybox2004
送信日時:2004/07/22(木) 02:26:40


あーる様

ご返答ありがとうございます。じっくり読ませて頂いてから意見を述べさせて頂きます。




意見


差出人:しまっち
送信日時:2004/07/22(木) 01:44:33


>しめじ様
当然のことですが議論する大前提として自分が少なくとも自分が語ろうとするものについて正確に理解するのは最低限のルールです。よく知らないものについていくらああだこうだと言っても何の説得力もないですよね?まずちゃんと調べてください。そして前回も書いたことですが政府が推し進めようとしているのは@であってAではありません。

 次に@の考えであるならばfreeという単語は使えないのではないかというご指摘についてですが世界には現在もさまざまな差別があります。たとえば人種差別や部落差別等は今でも色濃く残っている地域があります。




そういった数ある差別問題の中で性についての問題という意味でジェンダーという言葉は使われ、その中で一つ一つの具体例を検討し合理的理由を持つ区別は維持し男性・女性の可能性を狭めるような差別は修正もしくは撤廃すべきという意味でフリーという言葉は使われています。よってジェンダーフリーという言葉を使う事には何の問題もありません。

 おそらくしめじ様は「性を分ける壁をとっぱらう」=全ての壁を取り払うというAのイメージがジェンダーフリーであると思っていらっしゃるようですね。「性を分ける壁」はひとつではなく多数存在し、よいものは残し悪いものは見直そうというのがジェンダーフリーなのです。物事は10か0ではないのです。

 たとえば日本でもしイスラム圏の女性のように外出するときはベールで顔を覆わなければならないという慣習があったらどう考えますか?女性の表現の自由が不当に侵害されていると思いませんか?男性は学校に行くことができ女性は行けないとされていたら学問の自由が制約されているとは思いませんか?
 いまの事例は極端な事例でしたがそれと同様に今ある制度・慣習がそういった側面を持っていないかどうかを考えるのは大切なことなのです。




>ちーたん様
>駄文が並んでいるだけだと勘違いしていました。
人の意見に自分の感想を言うときも最低限のマナー・言い方はあります。書いた人はよくてもそれを見た人は決していい気持ちはしません。
>私は「異端」を差別するつもりは無いのですが、それを「正当化」するためにほかの物を攻撃するのであれば考えは別です。
いま問題なのは個人個人の気持ちではなく差別にあたるものが世の中に一部存在する事です。またジェンダーフリーの意味とは他のものを攻撃することではなく多様な考えを「社会が」制度として認める事です。
>とりあえず、ジェンダーフリーうんぬんより必要なのは「異端」を認める心と社会ではないのですか?

ジェンダーフリーとは『(性に関する)「異端」を認める心と社会』を求める思考そのもののことであり、それをちーたん様の発言にあてはめますと、
>『とりあえず、ジェンダーフリー(『(性に関する)「異端」を認める心と社会』を求める思考)うんぬんより必要なのは「異端」を認める心と社会ではないのですか?』
となり文章として矛盾してしまいます。
 これもやはりジェンダーフリーについてAの意味で捉えてしまい正確な理解を欠いたことから生じる発言と思われます。




意見


差出人:あーる
送信日時:2004/07/22(木) 00:52:11


最初に、誤解があるようですが、「新しい文化的な性意識」はジェンダーを束縛としない性意識を指しているのであって、性差を作ろう、とは言っていません。
解りにくい書き方だったなら申し訳ありません。

ジェンダーフリーは、一旦はジェンダーを失くすことを考えます。
その後で、個人が各々で自ら、社会的、文化的性差を身に着けるなら、それはそれで構わない。

けれど、現在、人々の集団のうちで暗黙のうちにせよ、ジェンダーを押し付けるような構造ができているので、それをやめよう、とします。
同時に、自ら社会的性差を選び取った人たちが、そうでない生き方をする人に対して、何らかの差別意識を持つことを、やめさせなければなりません。
ですから、そこで、ジェンダーフリーを教育として広めることが必要になるのです。

カテゴリーは、人間にとって、必要なものであるでしょう。
というよりも、サピア・ウォーフの仮説を考えれば、カテゴライズしなければ、思考そのものが停止してしまいます。

ところが、多くの場合、各々のカテゴリーに対して、様々なレッテルが張られます。
その上で、男女の性別によるカテゴリーはその基準自体が誤りだったと言うのではなく、そこに張られたジェンダーと言うレッテルが誤りだったと考えます。
























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