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人を助ける仕事!困っている人を助ける仕事に就きたい!
困っている人を助ける仕事
いじめがあったって、そんなことぐらいでいちいちしぬんじゃないと言わんばかりの、世知辛(せちがら)い世の中だから。
だから、どうせこの世に生まれてきたのなら、困っている人を助ける仕事をしてみたいと思うのだ。
困っている人は、何をしても不利に働くようないじめっ子が支配する奇妙な世界。
だから誰かが積極的にいじめられっ子の味方になってあげないと、とてもじゃないけどいじめられっ子は生きてはいけない。
しんだ人間がいじめだと遺言で主張したところで、そんなもの、しんだ人間が言っているだけであって、実際にいじめがあったかどうかなんてことは、学校や教育委員会に分かる訳が無いだろう。
と生き残ったいじめっ子に屁理屈をこねられれば、確かにし人のいじめられっ子にはもうそれ以上の理屈はないのです。
仮にいじめがあったことを認められたところで、し者が蘇(よみがえ)ってくる訳もなく、いじめた人間がさつ人罪に問われる訳もなく、いじめを止められなかった学校や教育委員会が裁かれる訳でも無いのです。
以後気を付けますとの言葉は、再度いじめが勃興するホイッスルかのような、そんな響きにさえも聞こえる。
ああ、いったい誰が困っている人を助ける仕事をしてくれるのか?
教師は逃げ腰。
学校は知らぬ顔。
ああ、正義はどこにある。
困っている人を助ける仕事は教師以外にだれが担うのか?
そもそも、なぜいじめは無くならないの?
という、その答えを探しても、行き着く先は、「人間が生きていく以上はいじめは無くならず」などとなってしまう。
ましてや、困っている人を助ける仕事である教諭が生徒をいじめてころすなんてこと、事ここに至っては、学校とは教育の場ではなく、さつりくの場なのか、なのです。
いやでも、これが正常なのか。
いじめて人をころそうとする人間が、そこかしこに、ごろごろとしているのが正常な世の中なのだから、こんなこと普通のことなのである。
我らは、それを遅まきながらに認識しなければならないのだ。
普通の人々が人ごろしをするなら、毎日毎日ころされないようにする必要ありってことになる。
困っている人を助ける仕事は誰が担うの?どころの騒ぎではない。
要するに、群れたがっている人間の中には入らないのが一番ってことなのか。
生徒も人ごろしなら、困っている人を助ける仕事の先生も人ごろしなのですから。
何の反省も存在しませんが、群れ成す人には近寄るなってことです。
ですから、「我が校にはいじめがありました」なんてことを認めて貰っても、今更意味を成しません。
だって、だってですよ。
社会でも、会社でも、学校でも、いじめてころそうとする人間がごろごろとしているのが普通なんでしょ。
それなのに、我らは何をとぼけて、いじめがあることを認めろ、なんて圧力を掛けているのでしょうか。
そんなの問題の解決にはなりゃしない。
認めてもらったところで、翌日にまた誰かがあやめられるだけなのだ。
建前に建前で返しても、偽りばかりで虚(むな)しいだけだ。
いじめが普通にあるのを知っているなら、いじめがあったかどうかなんてことを聞く必要はありません。
いじめが普通にあるのを知っているなら、いじめがありましたなんてことを認める必要も無い。
という具合に、イジメなんていう可愛らしい言葉がいけないように響いてしまう。
可愛らし過ぎて、普通のことになっちゃってますものね。
要するに、「イジメ」なんてものは、「いじめ」なんてものじゃないんです。
いじめなんかじゃなくて、さつ人なんですよ、さつ人、要するに。
要するには、いじめる側は人ごろし側の人間だったのです。
そんなんじゃなくて、その人の個性を認めて、「好きに、自由に生きろ」と元気付かせてあげる人、要するに、困った人を助ける仕事や職業の人間だったのです。
このホームページをよーくご覧頂きたい。
ここでは皆さまに、「人の言うことなんか聞くな。好きに生きろ」と言っている。
ころされそうになったら逃げろとも言ってます。
困った人を助ける仕事は誰も担えない。
だから逃げろです。
でも、世の中が、人ごろし側、人助け側の2種類に分かれるならば、このホームページは明らかに困った人を助ける仕事を担う側ですよね。
と、大いにうぬぼれておいて、他方、こういう人を助ける仕事を担うホームページに攻撃を加えて来る人間もいたりなんかするのです。
この世の中というものは。
このホームページのように、人が好きなことをしていても放ってはおけない、「直(ただ)ちにけちを付けてやっつけてやる」という人間が恐ろしいことに、本当にいたりするのです。
考え方や価値観が違ったら、「違うんだよ」とわざわざ伝えに来る人間がいたりするのです。
人はそれぞれ違うのが当たり前なのに、違うことを「違う」とわざわざ言いに来るのです。
そして、彼らは敢えてそう言い、相手をへこませて、自さつにまで追い込み、そして、それぐらいでしぬ人間の方が悪いんだと言う人間なのです。
彼らは、明らかに人ごろし側の人間です。
世の中は、そんな人間でいっぱいです。
だから遠慮なんかせずに、そんな人間は、人ごろし扱いをしてあげましょう。
自分では、一体何をしているのか、まったく分かっていないようですから。
さあ、「あなたは、人ごろし側の人間ですよ」と教えてあげましょう。
間違っても、困った人を助ける仕事をする人間じゃない。
「あなたの思考は、人ごろしの思考なんだよ」って教えてあげましょう。
そして、実際、いじめて人ごろしをした人には、人ごろしの罰を与えましょう。
と、過激にそう思う。
けど、これって過激ですか?
ここまで鋭く人間を分類した困った人を助ける仕事をする人間がかつていただろうか?
と、まったく己の見えていない我はそう思うけど、「いじめ」などとかわいく称して人ごろしをする方が、もっと過激なんだと思うよね、実際のところね。
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誰か助けてください!心が汚い私!だからお願い誰か助けて!
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