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公務員合格体験記!言ってはいけない公務員の合格体験記!
公務員合格体験記
大学3年になってなんとなく公務員受験をしようかと思うようになり、参考書、過去問集、面接の本を集め始める。
本が揃えば、今度はとりあえず挑戦してみるかという気持ちになってきて、数カ月かけて解いてみることになる。
こんな勉強法であってるのだろうか?
こんなことをして難関だといわれる公務員試験に受かるのだろうかと、不安もありながら、ここまで来たら最後まで行ってみるしかない、と自分を追いこんでみる。
すると、公務員試験に受かってたというわけだ。
一問目の日本国憲法の問題に5分間かたまった。
時間をくい過ぎたのであせって次に進むと、あれっ、これ解いたことがある、という問題だ出るわ出るわ。
お陰で時間の無くなる最後の方の数的処理も落ち着いて解くことができた。
2階建てのアパートで自分の隣がAさんでその上がBさんで・・・、さて、この部屋は誰の部屋か?なんて問題も解き方を知らないと絶対に解けないものを既に過去問であたっていたのだ。
そして私は地方公務員上級試験に受かった。
いい本に巡り会えたのだろう。
宝くじって買ったら当たるんだね、的なラッキーである・・・
さて。
ああ公務員とは、仕事がラクで給料もそこそこ貰えて信用があって遊ぶ時間もたっぷりとあって、老後も共済年金を国民年金や厚生年金よりも有利に多く貰えると来たもんだ。
ちょいな、ちょいな。 総じてラクで人生を楽しめる。
うーーーん。 こりゃー公務員とは、天国、天国。 あーーーこりゃこりゃ。
ホント公務員とは人類がこの世に生み出した地上最強最高の職業に相違ない。
一度やったら辞められない。 一生こんなもの離すものか、ばかやろう、ってな感じである。
だから人生の宝くじに当たったような既得権益を自ら捨てて公務員を辞めるなんてことは天地が引っくり返ってもあり得ない。
そんなバカはいない。
そんな間抜けは存在しない。
普通は、である。 そう思えた。
また途中強制退場があり得ないものだから、民間でいうところの失業保険の掛け金なんていうのも存在自体がない。
そう公務員には失業するという概念なんてもともとないのだ。
なのに私は公務員を辞めている。 それはなぜだろうか?
って、それは公務員が馬だからである。 そして公務員が犬だからである。
いや、ちょっと刺激的だが誤解してもらっちゃー困る。 別に公務員が犬畜生だなんてことを言うつもりは決してない。
馬と来たら。 馬の耳に念仏だろう。
馬の耳に念仏とは、馬の耳に念仏を説いても、そのありがたみが分からないということのたとえである。
では犬と来たら。 犬に論語と来る。 犬に論語とは、犬に道理をどのように説いて聞かせても無駄なことのたとえである。
さて、楽天の三木谷浩史社長が社内英語公用語化の方針に基づき、2010年6月中間決算発表を2010年8月5日に全部英語でやりきった。
発表会場からは「ここは日本なので日本語でやってもらえないか」との声も出たが当然に無視をして。
三木谷浩史社長はそんなことには構わずに、馬の耳に念仏を唱え、犬に論語を説いてみせたのだ。
いやそれとも逆であったか。
日本人同士が英語でしゃべり合う不毛ぶりを説く会場の聴衆の方が、三木谷社長という馬の耳に念仏を唱え、三木谷社長という犬に論語を説いたのであろうか。
会場の聴衆は念仏や論語を理解しない。 もちろん英語も分からぬ。
当然にフランス語もドイツ語も中国語も韓国語もチンプンカンプンというのは言うに及ばず。
そして三木谷浩史社長は馬に英語を唱え続けた。
それから会場の聴衆も、英語の分からぬ日本人に向かって英語でしゃべっりかけて何の意味があるのかと、これもまた唱え続けた。
英語ができるというあなたの自慢話には虫ずが走る。 いいかげん普通に日本語でしゃべってくれと。
まあどっちもどっち。 両者の主張するところの道理というものがどちらにとっての何の道理にもなってない。
公務員と住民の関係もこれまた同じ様相を呈する。 住民側の説く道理は公務員側には絶対に通じはしない。
公務員が、公務員側に身を置き、意識も公務員側に属するような場合は、住民はうっとうしい対象でしかないのである。
しかし、身が公務員側にあっても、意識が住民側に属していれば、公務員とは本当に馬か犬にしか見えないと来る。
すなわち属性によって見えるものが違ってくるということである。 属性を変えるには3パターン存在する。
ひとつ、身も心も公務員側に置くというパターン。 これは骨の髄まで公務員なので、なにもクソおもしろくもない人種である。
ひとつ、身は公務員側でも心は庶民側に置くパターン。 この場合は、一般社会の常識で公務員社会をはかろうとするから摩訶不思議な屁理屈社会が見えてくることになる。
そんなものが目の前にあらわれたら、こんなところ一刻も早く脱出しなければ精神を病んで朽ちてなくなってしまうと焦るに違いない。
最後にひとつ、身も心も庶民側に置くパターン。 これは不条理が支配する公務員をめでたく辞められたということである。
人間進化論的に言えば、どちらが進化を果たしたことになるか。 十中八九、庶民側だと思うんだけどいかがだろうか。
だから、何を血迷ったか一生の不覚で公務員になってしまったという場合は、庶民感覚の持ち主へと進化して段階を踏みながら普通の人間へと戻ることをよしとすべしだ。
だって、庶民感覚をなくしている状態はやはり人間としていびつであるからだ。
しかし、もともと庶民の我ら人間も公務員というまったく異質な空気を何年も吸ってしまったら狂気に染まってしまうものである。
不思議なことに、ものごとの道理や常識がまったく通じないどうしようもない連中となってしまうのである。
そして、公務員側のままでいるか、庶民側へと進化できるかは、その仕事が好きか嫌いかということに気付くかどうかという奇跡に依存するしかない。
こんな仕事の何が面白いんだ。 これのどこにやりがいがある。
この仕事は誰に何の利益をもたらしているのか。 ただお金をどぶに捨てているようなものじゃないか。
と感じられたら、公務員の仕事が嫌いになって、自分の意識を庶民側へと移すことができるかもしれない。
でもこれは奇跡である。
だいたいは、ラクで楽しいものだから、そして居心地がいいものだから、その場に馴染んで何も考えない腑抜け人間となってしまうのである。
何もストレスがなければ人間は堕落する。
公務員はぬるま湯の中で徐々に茹でられる蛙の如くである。 無意味な人生をラクで楽しいと感じながら浮遊するちりあくたのごとく。
ところで、馬に念仏とは、結局のところどちらが正しいというわけにはいかない。 お互いに理解しないのだから、お互いが誇り高く存在できてしまうということなのだから。
己の意識がどちら側にあるかで言うことも180度違ってくるのだ。
私は心が庶民側にあったから公務員の仕事が堪えられなくなって辞めることができた。
そんな私に、公務員はラクで楽しめるのに、と説いてみても無駄なこと。
逆に私が公務員のどこがいいのか?
と問うたところで同じことになる。 彼らにはラクで楽しいのが一番に決まってる。
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