価値辞典〜本音の検索〜  >> 常識人のコラム!ありえない一癖コラム!  >> 地上の目標(5)

地上の目標(5)

ひとりの愛する妻を得て、私の地上の目標は達成された。

本音検索サイト価値辞典どうでもいいことに時間と労力と人生を掛けるくらいなら→もっと価値辞典を!









地上の目標(5)


地上の目標(5)


ある出来事に関しての掲示板でのやりとりを、読みやすいように整理してみました。


[126] Re:[125] 無題 投稿者:内山一朗(偽名) 投稿日:2009/06/21(Sun) 01:29 [返信]


>   この男女の愛の完成が無ければ、大いなる愛には到達できまい。
>   愛を極めてゆく基本の基本が、こうした男女間の愛なのだろう。

う〜ん、普通はそうなんですかねぇ?
でも、私には難解すぎて理解できません。

二つが限界で、三つ以上は沢山なんです。
男女の愛を完成させると、他人を入れる場所が無くなります。




それに、道を究めるには、頼れない気がします。
「男女間の愛が基本」と主張して、大成した宗教は思いつきません。

真言立川流の様に、結局、邪教として滅びるだけの気がします。
「今」を生きるには、大いに役立つかもしれませんが。

真の基本は「自己愛」だと思います。道は険しいですが。




>   神=宇宙=愛だと思う。

これは、端的に否定します。そこには、私の居場所がありません。
少なくとも、「宇宙」に私の肉体の置き場を用意しないと、そこは架空の閉鎖空間です。




価値辞典様:

> 学生の頃。
> お金がない。
これは無かった。

> 地位がない。
> 名誉がない。
こっちは存在していましたが。

生徒会活動は、それなりに楽しいものでした。
小学生の頃の話ですが。




> それらから派生する自由がない。
> 人生の楽しみのほとんどがない。

金で買える様な自由や楽しみは無かったけど、他はありましたねぇ。




> くそおもしろくもない授業がある。
分かると、それなりに面白いのですが。

> 強制労働のような体育祭がある。
志願して、旗持ちをしましたねぇ。

> さらしものにされる学園祭がある。

志願して、笑いを取りに行った時期も在りました。
裏方に徹したことも在りました。
どれも、参加すれば楽しいものです。




> 親と先生には絶対にさからえない。

こっそり逆らい、ちゃっかりお仕置きを食らいました。
或いは、公然と逆らい、当然の如くお叱りを受けました。

> まったくもって不自由の極みである。

叱られる事を恐れなければ、大抵のことは自由でしたが。

> お金で買うったって、何を誰のために買うのさ。

自分の為に、時間を買うのが懸命です。
何処の時間を買うかは、悩ましいですが。




> 名誉たって、たいまんはってつかみ合いの喧嘩をしてるのに、何の役にも立ちゃしない。

掴み合わない為の名誉です。
実戦には、武器を持ち込むのが、賢いやり方です。

そして、本当に必要なら、躊躇うことなく相手を滅殺するのが、真の勇気です。
でも、敵を味方に出来れば、もっとスマートです。その為には知恵が必要です。

殴り合いなら、知識の無い野蛮人にやらせておけば十分です。




> 相手も金のことばかり考えてる。
> どいつもこいつも。
> 口を開けば金ばかり。

それは、相手を選ばないと。

> ネットを見ても。
> かしこい人が金の増やし方ばかりに言及する。

金の増やし方に言及するページしか見てないからでしょう。
なんせ、ヒットし易いですから。




> 学生の頃。
> 何にもなかった。
> でも、世間に毒されず、不純物もまだ混じってない。

私の場合、学生の頃は、余りに無知で、社会を知らなさ過ぎました。
故に知る必要が在ったのです。

> あれこそが、本当の人生だった。
> ほんとうに自由な人生だった。

真の私の人生は、始まったばかりです。
そこは、束縛ばかりだけど、束縛を作り直す素材と自由が存在します。






[131] 無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/06/25(Thu) 13:43 [返信]


人は誰でもタイムマシンを持っている。
過去へは記憶が、未来へは希望が連れて行ってくれる。

時代は終わり 僕も君も変わる。
そして遠くなる 僕と君がいた風景。

心はひとつ、生まれたときに渡されたきりで、
取り替えることもできなければ、修理もきかない。

山から遠ざかればますますその本当の姿を見ることができる。
愛にしても、家庭にしてもこれと同じだ。






[132] 無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/07/02(Thu) 12:11 [返信]


近況報告です。

精神的にはようやく落ち着いたと思います。
というか、自分の立ち位置、今ある私が把握できました。

彼女の気持ちが流れ込んでくるだけでなく、信じられないかもしれませんが、私の気持ちも彼女に流出(伝播?)しているようです。

お互い相手の日常生活で感じる喜怒哀楽が(伝わって知ったところで何の関係もないのに)伝わってきます。




だから、お互いが何をしていて何を感じているかが、何となく判るのです。
非科学的ですが、魂の双子なんだろうなという説を疑う事も出来ず、受け入れています。

彼女とのメールのやり取りの中に、なぜ今になってシンクロしてしまうのかという事について、不愉快ではないけれど、シンクロしたところでどうする事も出来ない事なので、自分も困っていると書いていありました。

すぐに始まってしまう感情を押さえての行動ですが、 確かにそれはとても辛いです。
前にも申し上げましたが、彼女が運命の女性だったと考えれば、私の人生はとても解りやすかった。

人生の早いうちから大事なものが、すぐ傍にいて、儚い夢を描く事が出来ていたのだから。




私も、「勉強」のために敢えてこのアクシデントがあったのかなと思います。
本当は乗り越えなければいけなかったのだと確信しています。

もう取り返しのつかない事ですが、あの時の私に、大人の男としての愛情があったらば、こんな結果には成らなかったであろうことにとても反省しています。

せめて、私の3人の子供たちにだけは私のような思いをさせたくないので、低次元で不要な感情で、愛を見つめる事だけは辞めさせたいと考え、(よそのご家庭では有り得ないかもしれませんが、私と元婚約者の話を例にして、話をしています。)




子供はまだ汚れを知らず純粋ですが、私と同じ目にあったら逃げ出してしまうだろうという気持ちでしたが、すこしづつ理解をして来ているように思います。

妻に対しては、終わったこと、過去の事と明言しています。

私が後悔する一点は、「仮に彼女と今、家庭を築いていようがいまいが」、自分たちが嫌いで別れたのではないのに、その時の私が向きあわず逃げるという結論を出しだ事についてです。




あれだけ愛していながら、許す事が出来なかった。

あれだけ愛していながら、彼女が言わなくても良い事を敢えて私に言ったという真心や覚悟や純粋さという「誠意」に対して、私が(とことん付き合って、とことん向かい合って)結論を出さなかったという「誠意」の無さに対して、私は私自身に怒り、私自身を許せずに、愛情が足りなかったという現実に後悔しているという事です。

もちろん、今の妻との人生は素晴らしいものです。
今を否定するつもりなど私には皆無です。




ただ、その時自分に(通常では有り得ない程の偶然や縁で彩られ、(大切なものなんだという事が)判りやすく、人生の早いうちから私の目の前にいた彼女に対して、また、自分の、自分たちの未来に対して行った行為に対して、やるせない気持ちで一杯です。
私には、彼女と幸せになる道があったのだから。

未熟な私は、心の整理もつけず、心の成長も止めたまま、彼女の誠意に応じる事もせずに、 全てを忘れて、今の妻との人生を選んだわけです。




今の妻に対しても、とても失礼だった訳です。
私の行為は、人間として許される事ではないのです。

この罪を、一生背負って生きていくとこに変わりはありません。

ひとつ良かった事は、彼女に謝る事が出来たという事であり、ここへ到達すまでの私は、色々な本や話から、人間として大切な要素を吸収し、その結果、人生が豊かになり、立体的に理解できたという事でしょうか?

失礼しました。
これで引きずる事がな






[返信]投稿者:価値辞典


過去の清算ができる機会があるなんて、とても贅沢なことです。
いや普通は、やってしまったことを悔いても、その心は伝えられない。
謝るなんてチャンスは絶対に巡ってはこない。

私にはそんな機会はありません。
今どこでどのように生きてるかも知りません。
後悔しか残ってません。




チャンスは二度ない。
だから今この瞬間を後悔なく生きろってなるんだろう。

でも、思い起こせば、これを逃せば二度と同じことは起こらない。
と、そう思ってたようにも思う。

一度失敗して、二度目も同じチャンスが巡ってくるとは思ってなかったんじゃないだろうか。




それとも、甘ったれて、失敗は一回ぐらい許されるだろうと思っていたのか。
二度同じことが繰り返されて、考え直す機会があるんだろうと思っていたか。

若いなりの理解ではあったけれども、チャンスは二度ないと知っていた。
でもビビってしまったんだ。

その場から逃げてしまったんだ。
半ばこうなることは知っていた。

後悔で泣きぬれることなんて想像できていた。
でもその場を逃げたかったんだ。






[133] 無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/07/06(Mon) 23:42 [返信]


価値辞典様

私の場合は、もっと暴力的に将来を考えていたように思います。
元婚約者の納得いかない過去の肉体関係を、無理に我慢して、未来に思い出して苦しむ事を恐れた。

あれだけ愛していながら、その苦しみの方が怖かった。
あれだけ愛していながら、彼女が泣いて苦しんで、後悔しながら謝罪したことより、未来の苦しみへの恐怖が勝っていた。

蒸し暑い10月のある日・・・兄貴の結婚式を控えていた午後、彼女とは結婚できないって決めた。

決めても、その後も感情は揺れ動いていたけれど・・・結果としてこうなってしまった。




チャンスについても、もっと良い人生と出会いがある筈だと思ってた。
私は、自信を持っていたのだと思う。

その後の私は、彼女への思いが断ち切れちないのに、彼女しかいないと思いながらも新たな出会いを求めては破局を繰り返し、もっと判りあえる女性を求めて生きてきたのです。

でも、それは、「縁」がない女性たちだったから、私にとっては「結婚の対象外」だったと思う。




そうこうして、年月が経ち、自分の気持ちが浄化されて、無我夢中で仕事と経済力を確立し、彼女に対して素直になれた頃、お互いに結婚適齢期になってしまていた。

自分のしでかしたことの重大さに気づき、仕方なく彼女をあきらめた。

でも、その後も心のどこかで、彼女のシルエットを求めていた。

高校で同じクラスで隣の席、誕生日が一緒で、両親が幼馴染で祖父が親友同士という縁の深さが判っていたから、それに匹敵するような「もっと古く、もっと深い縁」を無意識に求めてしまったのだと思う。




だから、今の妻は、幼稚園からの同級生。
小学校も中学校も一緒で、中学生の時には妻とも隣の席になっている。

これ自体も珍しいことだった。

私は23区に住んでいて、妻と同じ幼稚園に通い、三多摩に引っ越してきたのに、一年後、うちの近所に幼稚園で一緒だった妻が引っ越してきて、小学校も中学校も一緒だったのだから。

縁深かった元婚約者を失ってからの私には、「縁」というものが、必要だったのだ。
だから、妻は私にとって又とない結婚対象者になったのだろう。




私の結婚は、正直にいえば、元婚約者を忘れるためという理由があったと思う。

そうして結婚した妻も、真面目で清楚で家庭的で美人だが、その妻は、私から見ても、兄、兄嫁、両親から見ても、元婚約者と似ています。

妻に再会した時、彼女のシルエットを見た私は、無我夢中に口説いた。
元婚約者の時のように、自然な出会いでは無かったのに、無理に理由を付けて会ってもらった。

何の縁もなかったのに、無理に看護婦の仕事を辞めさせて結婚した。




でも、素晴らしい妻でも・・・何かが足りない。
何かが私と違う。

何かが私が求めているものと違う。
私の心の中だけの戯言ですが、何かが違うのです

私の人生は、いつも自分本位ですべての女性に失礼だったと思う。
私自身、妻には相当助けられた。

妻にしてあげた事など、まだ一つもない。
これからは、精一杯恩返しをしていかなきゃと思います。




違う「何か」をこれから探してみます。

このたび、運良く「謝罪する機会」に恵まれました。
やはり、見失っていた数十年の自分の全てがここにありました。

彼女と見たかった景色。
彼女と笑いたかった話。

彼女と苦労したかっら生活、子育て、人生・・・。
彼女と見たかった映画。
彼女と追い求めたかったすべてが見えました。

ともかく、そこにあったのは最低の私でした






[135] Re:[133] 無題 投稿者:内山一朗(偽名) 投稿日:2009/07/15(Wed) 09:31 [返信]


> 蒸し暑い10月のある日・・・兄貴の結婚式を控えていた午後、彼女とは結婚できないって決めた。

私には、それが寧ろ「正解」だった様に思います。

> 高校で同じクラスで隣の席、誕生日が一緒で、両親が幼馴染で祖父が親友同士という縁の深さ「縁」を勘違いしてませんか?

私には「祖父の時代の立場を越えた親交」が、席が隣り合う偶然を介して、婚約に繋がった様に見えます。




親が親友なら、その子供達が幼馴染なのは当然。
似た環境で同時期に子供を欲すれば、誕生日が同じで考えも似た二人が出来るのも十分に有り得る。

その二人が出会えば、瞬時に意気投合し惹かれあうのは、必然でしょう。
つまり、二世代前の「本当の親交」から発生した「想いと行動」が結実し、婚約に至ったと見ます。

その頃、当人達は何をしていたのでしょうか?
流されるように予定調和に落ち着いて、そのまま何もせずに相性の良さを楽しんでいただけなのでは?




そして、互いに現状の維持に努めることなく、更に別のものを欲した。その結果が別れになった。

「出会い」には、二人の「意思」が存在せず、故に、第三者の「意思」に因って破壊されるのです。

> 元婚約者の時のように、自然な出会いでは無かったのに、無理に理由を付けて会ってもらった。

> 何の縁もなかったのに、無理に看護婦の仕事を辞めさせて結婚した。

ここには、取り合えず、貴方の「意思と行動」がはっきり現れてます。
そうやって築き上げた家庭だから、つい最近まで成立し得たのです。




別に、心霊に頼らなくても、「因果」は、その気になれば「誰にでも見える」のです。
尤も、複雑にもつれ合っているので、読み取るのは困難ですが。

ところで、気になっているのは、悟空さんの書き込みからは「奥さんの意思」が殆ど見えないことです。

見えないのは「見ていない」からと推測されます。
でも、現在の状況には、「奥さんの意思と行動」が、確実に反映されている筈です。

以前「奥さんに頼れば全て解決する」と書いたのは、それが実質的に(狭い)世界を支配していると感じたからです。

そして、それは、依然その世界を支配しているように見えます。




> 違う「何か」をこれから探してみます。

見えない「何か」を探すのに、見えない存在に頼っていては、堂々巡りに終始します。
或いは、誰かが作り出した「存在しない物」に因って、間違った方向へ誘導されるかもしれません。

客観的に存在を確認できる「見える物」から始めるべきだと思います。
それは、案外身近にあるかもしれません。

目を背けたくなる過去を取り合えず封印するのではなく、勇気を持って冷静に直視し、
冷酷に思える現実と合わせて、正しくその意味を理解できれば、真の世界が見えます。




そうすれば、完全な理性に基づいた「強い意志」を伴う「力強い行動」が取れる筈です。

これだけが、本当の意味で、世界を築き上げる方法なのです。

人間は「失敗」することで、初めて進歩して行きます。
「後悔」からは何も生まれませんが、「反省」は沢山の物を生み出します。






[137] 無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/07/15(Wed) 17:32 [返信]


あなたは、【縁】を勘違いしています。
私は当然や偶然の中にある、あなたには理解できない【必然】を、全身で感じています。

話は変わりますが私は、人間が到達できる学問や知識で、魂や宇宙を理解するのは出来ないと思うのです。

科学者と信仰者の討論を聞いていても、【証明できないものは存在しない】と言わんばかりです。




私には、今や60億を超えるまでに発展してきた人類が、あれほど下等な猿から進化したなどということは、信じようともしていません。

私は人間ですが、私を作っている皮膚や爪、内臓は、それらが(自分は)何なのか?などと考えることしない、単なる人間の一部です。

人類が宇宙の一部であるという方もいらっしゃいますが、人間が宇宙の一部と言うなら、爪や皮膚と同様に一部であると言うなら、人間とは何なのか?宇宙は一体どうなっているのか・・・などと、ほんの一部でしかない我々が考える不思議がなんなのでしょう?在りし日のアインシュタイン曰くですが。

感じること、感じている事が大事であり、今の私には【感性】がすべてです。




その頃、当人達は何をしていたのでしょうか?について。
あなたの考えておられるような事では、ありませんでした。
結婚した私ですが、つい最近まで成立したのではなく、今も、これからもです。

毎日、妻とは色々なことをよく話します。
それによって妻を感じ、理解しています。

そもそも妻に、意思を聞くまでもありません。
妻と私は、死ぬまで仲良くしてゆくのですから。

家庭にいる私、父である私、夫である私は何も変わりませんし、すべてが今までよりも良い状態です。




私はもう目に惑わされる思考は致しません。
そしてそれは、とても遠い世界にあります。
過去と未来に。

宇宙は、とても美しく、感動を覚える世界です。
我々が写真で見る宇宙では、その美しさのほんの少ししか判りません。

科学や学問、知識を広めるのは良いけれど、特別な訓練と教育、宇宙に行くには必要なんだと誰かが決めたプログラムをマスターして、そんな人が宇宙飛行士として宇宙に行くのは大反対です。

これからの時代、そこへ行くべき人は、宗教家や詩人であって欲しい。






[138] 無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/07/17(Fri) 11:29 [返信]


真実の愛を知った者(シルバーバーチ)の悟り。

家族愛の本質と家庭の意義
家族関係は、血縁による結びつきを土台としている。

それは“本能的愛”による結びつきであるということだ。 
したがって「家族愛」の底辺には排他性が存在し、自分達の家族の利益と幸せを最優先して求める。     

家族は血縁的結びつきで肉体次元の愛の関係であり、自然に“利己愛”が支配する場所になってしまう。




真実の愛は霊的なものであり、物質的愛である家族愛をそのまま霊界にまで持ち越すことはできない。    

現実に多くの家族・夫婦は、幽界において一時的にともに過ごすことはあっても、霊界に入ってからは離れ離れになってゆく。

家族が死後も関係を保つことができるのは、地上時代に摂理に一致した「真実の愛(霊的愛)」による結びつきをつくり上げた場合のみであり、死後も存続する霊的関係とは、利他愛による霊的絆があって初めて成立するものなのだ。

実はこうした血縁的愛によって築かれた家庭は、「真の霊的愛(利他愛)」を身につけるためのリハーサルの場所として、また訓練の場所として神が設けられたものなのだ。




家族関係は、物質次元での利他愛のリハーサル
家庭は、「利他愛(与える愛)」を身につけるためのリハーサルの場所であり、実地訓練の場所。        

その意味で家庭は、霊的成長の土台をつくる所と言えよう。

子供→兄弟→夫婦→親

人間は、それぞれの段階で異なる愛の関係を結び、それを通じて利他愛の基本を身につけ、霊的成長の基礎づくりをする。




1)子供の時期

まず子供としての時期には、一方的に親から愛されることになり、こうして子供は、親との間に「縦の愛」の関係をつくり上げる。

親と子供の愛の関係は、親が子供を愛するところから始まる。

このプロセスの中で親は、本能次元であるけれども「一方的に与える」という利他愛の実践をすることになる。(*最近では、親としての最低の本能さえも失われたのか、子供に与えることを嫌がり、子供を虐待したり、育児を放棄する人間が現れるようになっており、これは最も次元の低い動物的本能性の顕(あらわ)れ・エゴの極(きわ)みと言える。)




子供は、親からの愛を受ける中で少しずつ成長してゆく。

子供は無条件に親を信頼し愛を求め、自分のすべてを親に委(ゆだ)ねることになる。
それは親にとっては、「愛が返ってくる」ことを意味する。(*本格的な親への愛の返却は、子供が大人になってから実現する。)




こうした形で子供は、親との間に愛の関係・愛のサイクルをつくる。

この段階で子供は、縦の愛情関係を体験し、将来における神と自分との霊的関係(縦の愛)の霊性を身につけることになり、子供は肉親との関係を通じて、神という“霊的親”を無条件に信頼し、自分のすべてを委ね投げ出していく霊的感性と霊的絆の土台をつくってゆく。




2)兄弟関係・友人関係・仲間関係を体験する時期

子供は成長にともない、兄弟関係を結ぶようになる。
学校における友人関係・仲間関係は、兄弟関係の延長になり、親との関係が「縦の愛」であったのに対し、兄弟関係・友人関係は「横の愛」。

この段階では、状況に応じて自分が先に与える立場に立ったり、先に受ける立場に立ったりする。




親子の関係では、ほとんど親から愛が与えられたが、兄弟関係では状況によって与える立場に立ったり、与えられる立場に立ったりと、かなり流動的になる。

その中で一番重要なことは、自分から与える「利他愛」の力を身につけることだ。愛のサイクルづくりの主役になる能力を養うこと。




3)夫婦関係を結ぶ時期

肉体が成長して成人となり、結婚して夫婦関係を結ぶようになる。
“夫婦愛”は、兄弟愛と同様「横の愛」だ。

兄弟関係が複数の人間との間に結ばれるのに対して、夫婦関係は決まった相手との間に結ばれる横の愛。

夫婦関係においても、与える立場・与えられる立場は状況によって流動的に変化する。




(*夫婦関係が常に固定した上下関係となるのは、摂理に一致していない。 それは人間の尊厳を無視し、相手を所有物として見る“利己性”を生み出す。 上下関係が流動的であることにおいて、夫と妻の人権の平等性が保たれる。)

夫が先に妻を愛することもあれば、反対に妻が先に夫を愛することもある・・・こうした流動的な愛の上下関係の全体が“夫婦愛”だ。




これが摂理に一致した夫婦の在り方だ。それに対し結婚して夫婦となったものの、一方があまりにも霊的に未熟で、子供のように受けることしかできないというような場合には、摂理に合った夫婦関係は成立しない。

世に言う“マザコン夫”は、この典型であろう。

こうしたケースでは、お互いが与え合うという健全な愛のサイクルは成立しない。
夫婦がともに利他愛の持ち主で、愛の主体者として相手を優先的に愛することができるとき、摂理に一致した“夫婦愛”が確立されることになるのだ。




4)親になる時期

やがて子供が生まれ親になる。「親になる」ということは、子供に一方的に愛を与える立場に立つということだ。すなわち血縁レベルで、自分が中心となって愛のサイクルをつくっていく主体者になるということだ。

子供にとって親は、「肉体を持った神」の立場にある。親が神と結ばれているかぎり、子供は親に従い親を慕うことで神と結ばれることになる。

こうして親は「神の代理者」として、子供の魂の創造に携わることになる。
子供は親を無条件に信じることで“神の愛”を受けることができるようになっている。




子供が小さいうちは、親には一方的に与えることだけが要求される。

愛が返ってくることを初めから期待することはできない。やがて子供が大きくなるにともない、自分(親)の愛が受け止められ、子供から愛が返ってくるようになり、愛のサイクルが形成されることになる。

親として「一方的に与え続ける」というプロセスを通じて、利他愛の実践訓練がなされるのだ。

人間は家庭という「愛の訓練場」において、血縁とは無関係な人々を愛する能力を身につけ、霊的成長の道を歩む準備をしていくことになる。




霊的自立期・・・愛の関係をつくる主体者としての内容を確立する時期
家庭における成長プロセスの中で最も重要な点は、「利他愛を身につけ、自分から与えることを覚える」ということだ。

そうした霊的資質は、結婚に至る期間に、ある程度まで身につけておかなければならない。基本的な利他愛の実践ができるようになってこそ、“夫婦愛”という愛のサイクルをつくる資格が与えられることになる。

愛のサイクルづくりにおいて「主体者」になれるということは、「霊的自立者・霊的大人」の仲間入りする資格を持つことを意味する。




「他人を利他愛で愛することができる」・・・これが霊的自立の目安だ。
もしそれができないと、先に述べたように霊的に子供のままで結婚し、夫婦関係を結ぶようになる。

当然、夫婦としての愛のサイクルを築くことはできない。

また子供が生まれたとき、親としての「愛の主体者」の立場、一方的に与え愛し続ける立場を全うすることができなくなる。




大人としての最低限の霊的資格を持たないまま子供をもうけることは、後になって大きな問題を引き起こすようになる。

*家庭生活における一番重要な点は――「利他愛を身につけていく」ということだ。
大人になったときに「他人に奉仕することができる人格を養う」ということだ。

この目的にそってこそ“家族”という人間関係が「霊的価値」を持つことになり、つまりどれだけ家族関係が完全であっても、肝心な「霊性教育(魂の教育)」ができなければ意味がないということなのだ。




残念ながら現在の多くの家庭が、そうした状況に陥っていると言える。

反対に事情があって家族の人間関係に欠けたところがあっても、それに代わる人間関係の中で子供の霊性は成長することができよう。

離婚や死別、その他の理由によって親がいない子供であっても、親に代わって正しい親の愛(利他愛)で愛してくれる祖父母や施設などの擬似親(ぎじおや)がいれば、順調に霊的成長することができ、子供自身のカルマによって、不遇な家庭環境を選んで再生してきている場合もあるのだ。




霊的発展期・・・利他的人格の拡大・霊性の向上

この世に生まれ、親から愛され、兄弟関係・友人関係・夫婦関係・親子関係を結ぶ人生は、利他愛の原型を身につけていくプロセスだ。

霊的自立期を迎えるとともに、家庭レベルでの利他愛を外部に広げ「真の愛の世界(霊的な愛の関係)」をつくっていく時期――「霊的発展期」に入っていくのだ。




家庭という血縁関係の中で与えることを覚え、愛のサイクルづくりの主体者となる資格を身につけて霊的自立し、そして子供をもうけて親となる中で、さらに利他愛の訓練を重ねることになる。

それと同時に“血縁的家族愛”のレベルを超えて、本当の意味での「利他愛の世界(霊的な愛の世界)」を拡大する段階に入っていく。

いつまで経っても血縁愛・家族愛のレベルにとどまり、霊的な愛にまで広がっていかないならば、霊的成長は達成されず、摂理に一致した愛の関係をつくり上げることはできない。




誕生→子→兄弟→友人→霊的自立期→夫婦→親→霊的発展期

「その(神の)愛の波長に触れた者が自分の愛する者だけでなく、血縁によって結ばれていない赤の他人へも手を差しのべんとする同胞愛に燃える。」

年を重ねるごとに、相手を選ばない愛を与えられるようになるという事だ。
愛は深い。

人間は神や宇宙、愛の摂理をまるで理解していない、自信過剰の生き物だ。
だが、感じることの出来るものか少しずつ、愛の次元を上げてゆく。

愛の次元を市場のレベルに上げたものは、宇宙を創造する愛の一部になるのだ。
愛は全てだ。






[139] Re:[136] 無題 投稿者:内山一朗(偽名) 投稿日:2009/07/18(Sat) 13:03 [返信]


物に拘り過ぎです。

> テキサス人に聞きたい。
> 銃がテキサス人の誇りであり、魂であるというのなら、テキサスの人は、なぜこの現実に平然として居られるのか?




> 今、この瞬間にもスーパーやディスカウントショップのショーケースで、わずか数十ドルでテキサス人の誇りが、魂が、生命に対する愛も畏敬の念も持たない人に、食料品のように売られている。

> 誇りや魂を傷つけ、汚されて、何故黙っていられるのか・・・。
テキサス人では無いけれど、平気な理由は分かります。

「誇り」は、物体としての銃ではなく、使いこなす技術と、必要なときに使う「勇気」、そして不要な場面では「使わない勇気」なのです。

スーパーで平然と売っているのは、人々がそれらを備えている証拠であり、むしろ誇らしいことでしょう。




逆に規制されるなら、人々が「勇気」を失ったと言う事です。

車だって、少しハンドル捌きを間違えただけで人を殺す鉄の塊、つまり「凶器」です。
でも、それがチョイ値が張るだけで、好きに買えます。実態は銃と大差ありません。
で、「車が誇り」な人は一杯居るでしょう。その人達は、ディーラーで同車種が飾ってあっても、別に汚されたとは思わない筈です。




どちらも同じ、物体としては、人を殺せる鉄の塊なんです。
ついでに、両極端な銃規制と同じく、飲酒運転の規制も人の問題です。
結果も、銃規制と同じでしょう。

個人的には、人々が「飲まない勇気」を持つことを望みますが、現状では遠そうです。






[140] Re:[137] 無題 投稿者:内山一朗(偽名) 投稿日:2009/07/18(Sat) 14:49 [返信]


> あなたは、【縁】を勘違いしています。
> 私は当然や偶然の中にある、あなたには理解できない【必然】を、全身で感じています。

あなたは、「必然」を勘違いしています。
過去に遡れば必然は存在するが、それをそのまま未来に延長するのは間違った考えです。

未来は「不確定」であり、それを変え得るのは「現在」だけなんです。
これは、経済に於いても同じなのですが、それを誤解したのが現状の姿です。




> 話は変わりますが私は、人間が到達できる学問や知識で、魂や宇宙を理解するのは出来ないと思うのです。

私もそう思ってます。
故に、人間であるあなたにも、絶対に理解出来ないと思ってます。




> 科学者と信仰者の討論を聞いていても、【証明できないものは存在しない】と言わんばかりです。

正しい考えは、「存在しない物を人に押し付けない」だと思いますが。
「存在しない物を売りつける」のは、詐欺行為そのものです。

そして、主観的に存在を認識出来なければ、当人にとっては、事実それは存在しないのです。




正当な科学は、万人が認識可能な事象だけを扱います。客観的に認識出来ない事柄は科学の範囲外であり、一切扱いません。

当然の結果として、主観的存在である「魂」を扱う科学的理論は存在しません。
#存在しないのは「理論」であって、「魂」そのものではありません




> 人類が宇宙の一部であるという方もいらっしゃいますが、人間が宇宙の一部と言うなら、爪や皮膚と同様に一部であると言うなら、人間とは何なのか?宇宙は一体どうなっているのか・・・などと、ほんの一部でしかない我々が考える不思議がなんなのでしょう?在りし日のアインシュタイン曰くですが。




> 感じること、感じている事が大事であり、今の私には【感性】がすべてです。
また、一部だけを取り出してますねぇ。

当然ですが、アインシュタインは、一般相対論を完全に理解していました。その上での発言だということに気を付けなければいけません。




ちなみに、一般相対論は、非ユークリッド幾何学で記述されます。

その成果物「アインシュタイン方程式」は、数学記号で簡単に見えるけれど、実は何十ページにも及ぶ、余りにも巨大な数式です。到底人類には、全容を把握出来る代物ではありません。

それを使って「全てを相対化」したので、絶対的基準として、自身の感性しか残らないのです。




一方、肉体は、強烈な物理的実在物です。そして、アインシュタインは優秀な理論物理学者でした。故に、肉体は(当時の水準で)完全に自身の管理下にあったのです。

個人的に、自身の肉体を管理出来て居ない者に、精神を語る資格は無いと思ってます。

そして、現在の知識水準では、細胞一つですら満足に制御出来ません。

> その頃、当人達は何をしていたのでしょうか?について。
> あなたの考えておられるような事では、ありませんでした。
> 結婚した私ですが、つい最近まで成立したのではなく、今も、これからもです。
つまり、今も、これからも、流されて生きるということでしょうか?




> そもそも妻に、意思を聞くまでもありません。
つまり、自身の考えを奥さんに押し付け続けるということですか?

> 宇宙は、とても美しく、感動を覚える世界です。
これは、同感です。

> 我々が写真で見る宇宙では、その美しさのほんの少ししか判りません。
そして、余りに悍ましいその実態は、全く映っていません。




> 科学や学問、知識を広めるのは良いけれど、特別な訓練と教育、宇宙に行くには必要なんだと誰かが決めたプログラムをマスターして、そんな人が宇宙飛行士として宇宙に行くのは大反対です。

余りに宇宙を舐めてます。
一瞬の判断ミスで約束された即死が待っており、救援を期待することは不可能です。




その危険性は、冬期登山以上のものが在ります。
しかも、登山と違って、使う機械は、兆単位の開発費を投じ、一回上がるだけで数十億掛かる代物です。何万と云う人々が苦労して作り上げた物です。

でも、スイッチ一つ間違えただけで全て霧散してしまう、そんな物を何の訓練もしていない者に扱わせるのは、完全に間違ってます。




> これからの時代、そこへ行くべき人は、宗教家や詩人であって欲しい。

自ら宇宙に上がる力の無い、無能な人々には、行って欲しく無いです。
自力で上がるから意味があるのです。圧倒的科学力だけが、肉体を宇宙に上げる事を可能にします。

でも、帰ってきた人が、宗教家や詩人になることは否定しません。
理想は、両方を備えた人が上がることですが、現時点では、該当者が存在しません。























価値辞典〜本音の検索〜  >> 常識人のコラム!ありえない一癖コラム!  >> 地上の目標(5)

Copyright(C)2001- Kachijiten. All rights reserved.

         






Presented by Kachijiten


『価値辞典』〜本音の検索〜

「地上の目標(5)」

 Copyright(C) Kachijiten. All rights reserved.

『価値辞典』には色々な考え方が詰まってます。