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飲酒運転防止!飲酒運転恨めしや!
飲酒運転防止!
飲酒運転恨めしや!
飲酒運転すれば、社会復帰不可能にすればいいのに。 一度やれば、人生は終わりということにすればいいのに。
一生、刑務所暮らしで、出て来られなくすればいいのに。
そもそも、嫌なことを嫌々やってるから酒を飲むんだろう。 逃げ場が欲しいくせして逃げ場がない。
嫌いな仕事は辞められない。 嫌いな上司も避けられない。
でも、これと言ってやりたいこともない。 辞めるにも勇気もない。
家に帰れば、居場所がない。 愛ある人生も送ってない。 子供は金をせびるだけ。
嫌々やらされてるので、かえって反発したくなる。 だからみんな酒を飲む。
酒を飲んで忘れたがる。 酒を飲んで先送り。 酒を飲んで自分を慰める。
確たる信念もなく働いてるので、仕事に対するプライドはない。 確たる信念もなく生きてるので、自分に対するプライドもない。
自分勝手に生きてるから、他人のことなどどうでもいい。 他人の命さえどうでもいい。
だから酒を飲んで車に乗る。 車に乗って人を殺す。
すべては、やりたいことがないからだ。
[136]
無題 投稿者:悟空 投稿日:2009/07/15(Wed) 16:15
[返信]
価値辞典様
飲酒運転に対する罰則には私も同感です。 破ってはならない人間としての【決まり事】を守らない輩が多い。
そして、そんな輩に対しても、【やり直し】のチャンスが多すぎる。 加害者の人格やら人権やら・・・時には被害者よりも思いとさえ感じる。
チャンスの多さに対しては、そのような輩は何度もその権利を使う。 事故に直接絡む飲酒運転。
犯罪に直接絡む銃規制を抱えるアメリカに目を向けてみる。 今日でも2億5千丁の銃をアメリカ国民が個人として所持している。
アメリカ大統領に当選するにも、銃規制がタブーとされている。 銃規制に関して、興味深い事例がある。
イリノイ州・シカゴ郊外の町、モートングローブと、ジョージア州・アトランタ郊外の町、ケネソーだ。
どちらも大都市郊外のベットタウンであり、人口や住民の人種構成など、二つの町には共通点が多い。
だが、銃に関する限り、二つの町は決定的に反する政策を取った。 モートングローブは銃砲店の開設を禁じ、短銃を含むすべての所持を禁止した。
一方、ケネソーでは各家庭に小火器や弾薬の常備を義務ずける条例を制定した。 イリノイ州とジョージア州。
ともに殺人事件発生率の高い州にありながら、昔から治安の良いことで知られていた。
銃に関して、全く異なった政策を行った二つの町で、犯罪発生率はその後、どの様に変化したか・・・?
全く変化しなかった。 この事から、一つの事実が証明される。 【犯罪は銃が犯すのではなく、人間が犯すという事だ】
テキサス州の人間に銃規制について聞くと、【銃は自分たちの誇りだ】といった。 【一人前の証であり、テキサス人の魂だ】とも言った。
人類は狩をする生き物だ。
我々は狩りの道具=すなわち武器を工夫する事で文明を生み出してきた一面もある。
そして、その武器のひとつの頂点が銃器である以上、銃器が人類の偉大なる文化遺産であることは間違いない。
しかし、銃は力だ。 そして力は、容易に暴力になりえる。
では、力と暴力を分かつものとは何か? それこそが、テキサス人の誇る「魂」の実体と言っていいだろう。
つまり、正しい知識と判断力、強い責任感、そしてなによりも命に対する愛と畏敬の念だ。
これらなくして神ならぬ人間が、殺生与奪の具を所持する事など、許されようはずがない。
現状はどうか? 94年のブレイディー法の成立以降も、一部の州ではほとんどノーチェックで購入できる。
スーパーマーケットで野菜を買うように、誰もが自由に手に入れる事が出来る。 テキサス人に聞きたい。
銃がテキサス人の誇りであり、魂であるというのなら、テキサスの人は、なぜこの現実に平然として居られるのか?
今、この瞬間にもスーパーやディスカウントショップのショーケースで、わずか数十ドルでテキサス人の誇りが、魂が、生命に対する愛も畏敬の念も持たない人に、食料品のように売られている。
誇りや魂を傷つけ、汚されて、何故黙っていられるのか・・・。
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