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大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件が人生を変えた
大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件
ニュースを知りたければ、新聞を読めば良い。テレビを見れば良い。
世の中の新聞やテレビは全て、物事を早く伝えることに価値を置き、そして現に、総じて同じ事柄を、より早く伝えようとしています。
ニュースを伝える数多くの媒体は、早く伝えること以外の価値を知らぬかのように。
とにかく、ニュースが欲しければ、それらを活用すれば良いのです。
当方が流すニュースというのは、“新しい”という概念が欠落していて、ニュースと銘打っておきながら、全然“ニュー”では無いのですから。
また、ニュースとして世間に流布してから、かなりの時間が経過したものが、いつも掲載されるのですから。
そもそも、ニュースというものは、遅く伝えてしまうことによって、価値を減失してしまうものなのだろうか。
「いや、そんなことは無い」
と、間、髪を容れずに、そう否定しておきます。
確かに、伝える側と伝えられる側の人間が全て、“早い”を求めるのなら、遅く伝えられるものには、何らの価値も無いと言えましょう。
しかし、伝えられる側が、ニュースに“早さ”を求めなければ、事情は一変する筈です。
と、言い訳とも取れる長い前置きをしておいて、堂々と古いニュースを、ここで一席ぶつのです。
大阪教育大学教育学部附属池田小学校に、2001年6月8日(金)、宅間守被告が出刃包丁を持って進入し、児童や教員23名を殺傷しました。
死者は、小学校1年男子児童1名と、2年女子児童7名の計8名であります。
宅間守被告と、つい書いてしまいましたが、宅間守死刑囚と言う方が正確でしょうか。
2003年8月、大阪地裁の死刑判決への弁護団の控訴に対して、被告自身が同年9月、控訴を取り下げてしまいましたので、死刑が確定している訳です。
ご存知の通り、世の中のマスコミは全て、「時は金なり」を最大価値として、あらゆる出来事を瞬時に流すことに重きを置いて来ました。
新しいことには価値が有り、お金を生み出す。
それとは対照的に、当方のニュースには、“早さ”というものが、ご覧のとおり、存在致しておりません。
しかし、ちょっと優等生っぽく、出来過ぎの主張となりますが、ニュースの根底に潜む教訓めいたものを探し出し、それを自分の人生に生かしてこそ、最終的に価値が有ると言えないのでしょうか。
早いだけのニュースを、散々取り入れて来た結果の、今現在の自分を顧みれば、“速さ”には、何の価値も無かったということが、既には証明済みなのですから。
大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件を、2001年に知っておきながら、今現在、我々自身、何の対策も打っていないのですから。
2003年12月、宅間守死刑囚が、女性支援者と5度目の結婚をしていたことが判明。
だから。 獄中結婚をしていたから、だから何なのか?
5度目の結婚をしていたから、だから何なのか?
一度も会ったことが無い人間と、手紙の遣り取りだけで結婚したから、だから何だと言うのか?
ニュースが流す、このような“早さ”には、何の意味も感じないのです。
では、大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件から、得られる意味とは何でしょうか。
そこから感じ取れるものは、何でしょうか。
既に各メディアから仕入れ済みで、以前は聞き流してしまったこのニュースを、再び“ここで”受け流してしまうのなら、“ここで”読み返す必要は無いというものです。
大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件を、通常の悲惨なニュースのただの“ひとつ”として、また今、受け流してしまうのでは、如何にも感性が鈍いというものなのです。
絶対安全だと思っていた小学校の敷地内において、出刃包丁を振り回し、23人を殺傷して、そのうち8名を殺害したという事実。
これから、素直に感じ取れるものを、素直に感じ取れば良いのです。
“衝撃”
その衝撃は、その瞬間に、我が人生を変えたのです。
感じ取れたものは、これ以外に無く、これが全てなのです。
今でこそ、ようやく事件に触れられるような、そんな精神状況にはなって来てはおりますが、大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件の起こった当時は、ただただ絶句有るのみ。
未だに読み返しても、忌まわしい限りで、涙が出て来そうになりますが、事件以後の公判等で明らかになる事実などは、絶句そのもの。
なかなか、事件に触れられるようには、なれなかったのです。
「自殺も考えたが、あほらしい」
「大量殺人を起こせば、離婚した妻や父親を後悔させることができる」
などと考えるようになった宅間守死刑囚は、妬ましく思っていた大阪教育大学附属池田小学校の児童を、無差別に殺害することを決意し、絶望的な苦しみを、できるだけ多くの家族に、味あわせてやろうと考えた。
2001年6月8日(金)午前10時過ぎ頃、宅間守死刑囚は、自動車で大阪教育大学附属池田小学校南側正門前に至ったが、閉まっていたことから、そのまま通り過ぎ、開いている自動車専用門に至った。
そこに自動車を止め、出刃包丁と文化包丁の入った緑色ビニール袋を持ち出して、敷地内に立ち入った。
2年南組の担任教員は、体育館の横で、宅間守死刑囚と擦れ違い、軽く会釈をしたが、反応は無かった。
その時点で、保護者でも、教職員でもないと思ったのに、行き先を確認することは無く、不審者という認識も抱けなかった。
宅間守死刑囚は、10時10分過ぎ頃、2年南組テラス側出入口から担任教員不在の2年南組教室内に入り、出刃包丁で5名の児童を突き刺し、死に至らしめた。
10時15分頃、2年南組の教室テラス側出入口からテラスに出て、東に隣接する2年西組の教室に入った。
2年西組では、児童全員が前を向いて座っており、担任教員は宅間守死刑囚の侵入方向に向かって、教卓の席に着いていた。
宅間守死刑囚は、教室に侵入する際、大きな物音をたてたが、2年西組の担任教員は、対面に居たにもかかわらず、気付かなかった。
宅間守死刑囚は、侵入したと同時に、3名の児童を次々と突き刺し、うち1名を死に至らしめた。
気付いた2年西組の担任教員は、悲鳴を上げ、校内放送を用いて誰かに知らせようとしたが、それを停止した。
同教員は、宅間守死刑囚が、児童に向かって包丁を突き刺すのを見たが、児童の避難誘導をしなかった。
その後、警察へ通報するため廊下側前のドアから出て、事務室に向かって廊下を走った。
途中、廊下で倒れて苦しんでいる児童を見たが、そのまま事務室に飛び込み、10時18分、110番に通報した。
倒れていた2年南組児童は、他の教員が係わるまで、約6分間放置の状態であり、その後死亡した。
同教員は、事務室にて110番通報した際、警察に事件の詳細を聞かれ、対応に約8分間を要した。
そのため、警察からの救急車の依頼は遅れ、警察が救急車を要請したのは、通報を始めてから5分後であった。
同教員不在の間に、宅間守死刑囚は、逃げる児童を追い回し、教室内、出入口付近、廊下で、5名の児童を突き刺し、または切り付け、うち1名の児童を死に至らしめた。
次いで、宅間守死刑囚は、2年西組教室後方廊下側出入口から廊下に出て、東隣にある2年東組に向かった。
10時15分過ぎ頃、2年東組廊下側出入口から教室内に入り、児童2名を出刃包丁で突き刺し、または切り付けた。
宅間守死刑囚は、教室内で状況を見た2年東組の担任教員から椅子を持って追い掛けられ、テラス側出入口に逃げた。
その途中で、教室後方にいた児童1名と、更に同出入口付近で別の児童1名を突き刺した。
教室テラス側出入口からテラスに出たところ、通り掛かった1年南組の担任教員にタックルされ、取り押さえられそうになったことから、同教員を殺害しようと考え、出刃包丁で突き刺した。
その際、2年東組の担任教員から椅子を投げ付けられたものの、これを意に介さず、テラス上にいた児童を見付けて、その児童らを西方向に追い掛け、10時20分頃、1年南組教室内に児童の姿を認め、同教室テラス側出入口から同教室内に入った。
それまでの間、3名の教員が1年南組の横を通過したにもかかわらず、1年南組にいた児童に危険を知らせ、避難するように声掛けはできておらず、避難誘導も行われなかった。
宅間守死刑囚は、1年南組教室テラス側出入口から担任教員不在の1年南組教室内に入り、出刃包丁で3名の児童を突き刺し、または切り付け、うち1名を死に至らしめた。
更に、別の児童1名を同教室テラス側前方に追い詰め出刃包丁で突き刺した際、駆け付けた2年南組の担任教員に、背後から出刃包丁を持っている右腕を掴まれたが、同教員目掛けて出刃包丁で切り付け、引き続き、出刃包丁を左手に持ち替え、倒れている同児童を突き刺した。
宅間守死刑囚は、10時20分頃、2年南組の担任教員及び副校長によって殺人未遂の現行犯人として逮捕され、間もなく、現場に到着した警察官に引き渡された。
時間の経つのは、何と早いことか。
クリスマスが来て、そして年末が来て、年始が来る。
ついこの間も、同じようなことを書いたと思ったのですが、それはもう1年も前だった、なんてことはよく有るのです。
さて、突然ですが、質問です。
問1:果たして、この1年間、あなたは何をして来たか?
問2:1日1日が常に勝負、そのような生き方をして来たか?
問3:いつ死んでも良いような、そんな日々の過ごし方をして来たか?
問4:今出来ることを、精一杯して来たか?(子供が居るのなら、子供が明日殺されても良いような、そんな付き合い方を、今日精一杯出来たか?)
これらの達観したかのような思考は、別に、修行僧だけに許された特権ではなく、我々凡人にも真似出来るものです。
人生を堅苦しく考える人間だけに許された特権ではなく、ちゃらんぽらんに生きている者にも許されるものです。
大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件は、いつ我が子が殺されるのか分からないこと、また、それは、幾ら学校を要塞化したところで防ぎようが無いことを、我々に教えております。
児童を殺すと決意した人間にとっては、学校敷地内、登校途上などの場所を問わずに、何処でだってやれるのです。
何たって、“子供を殺そうと決意”しているのですから。
児童が世間と触れ合う限りは、物理的な防御方法は無いという訳なのです。
ならばと言うことで、いつ子供が殺されても、悔いが残らないように精一杯触れ合っておく。
実際そんなことになれば悔いが残るどころか、血の涙が出、髪の毛が白くなる程、それ程の発狂寸前状態になるのは間違いないのでしょうが、これは出来る限りのことはしておこうという積極的な作戦なのです。
さて、再び先程の質問です。
問1:この1年間、あなたは何をして来ましたか?
問2:1日1日が常に勝負、そのような生き方をして来ましたか?
問3:いつ死んでも良いような、そんな日々の過ごし方をして来ましたか?
問4:今出来ることを、精一杯して来ましたか?(子供が居るのなら、子供が明日殺されても良いような、そんな付き合い方を、今日精一杯出来ましたか?)
さあ、答えを書いてみましょう。
問1:特筆すべきことは何もしていない。
問2:いいえ。
問3:いいえ。
問4:いいえ。
とは、ならないような生き方をしようと、そう決意させた、謂わば我が人生を変えた、大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件だったのです。
【大阪教育大学附属池田小学校児童殺傷事件が人生を変えた関連】
頭がいい!頭の切れる人間は本当に頭が切れるのか?
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