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そして新聞とニュースは無くなった!
新聞不要論
時々、宗教のようなホームページですね、と言われることがあります。
どのように生きようが自由だが、人に頼るな、人の考え方に頼るな、まずは、自分の考え方を確立しろ、自立しろ、自分を頼れ、と言っているのに誠に心外。
自分を頼って、自分ひとりで立って歩けと言っているのです。
いいですか。
宗教とは、或る考え方を「己の考え方としろ」ということ。
だから逆なんです、逆、言っていることが、まったくの逆です。
要するには、【人に頼れ】の、まったく逆を言ってる積もりなのですが、自分の考え方がまったく無い人からすれば、自分に拠(よ)って立てという考え方自体、そういう何らかの確固たる考え方を持つということ自体が、既に違和感を抱く対象なのでしょう。
自分に無いものは奇妙に映り、気色が悪く気味悪く、とうてい理解できないということなのでしょう。
でも、それが何故、【宗教のような】になるのかはよく分かりませんが、結局は、そう発言をした人の頭の中の話なのです。
よく分かりません。
マア、お互い様か、こんなこと、お互い何を考えているかはよく分かりませんよね。
いや、分かりませんじゃないな。
何も考えてないんだ。
だから、そんなことも平気で言えるんだ。
いいですか。こちらは、「誰にも何にも頼るな」と言っているのです。
まずは「自らの力で立て」と言っているのです。
こんなスタンダードな考え方さえ否定されると言うのなら、どうぞ、もう結構です、あなたは今までどおり、他人に頼って生きていけばいいのでしょう。
今までどおり、自分の人生の進路を他人に決めて貰えばいいでしょう。
今までどおり、己の人生行路の始点と終点及び過程も他人に決めて貰って、結末などが気に入らない場合は、責任を他人に押し付けてしまえばいいのです。
打って変わって、他人に頼らずに生きて行くこと。
人は関係が無い、世の中の動きも関係が無い。
これなら、新聞を読む必要は無くなります。
ニュースを見る必要も無くなります。
でも、他人の考え方に頼っているあなたの場合は違います。
依然として、新聞を読む必要がありましょう。
引き続き、ニュースを見る必要もありましょう。
何故ですか、って?
それはね、それは、何につけ、あなたが何かに頼って生きて行こうとするからですよ。
だからね、あなたは、何かが刻々と移ろい行く様を刻々と捉える必要があるのです。
我らは、世の中に頼れば、世の中の動きに合わせて生きていかねばなりません。
お金に頼って生きて行けば、景気の動向や国家の政策、統計、マーケットのチェックに投資判断、業界動向と企業動向、企業の決算と分析、などという具合に、様々なことを日々追い回さなければなりません。
新聞を見てください。
ニュースを見てください。
いったい何が書いてありますか?
そして、何を言ってますか?
よーく考えてみてください。
あなた自身のお金の問題が解決すれば、それらのほとんどは、見る価値も無いものばかりじゃありませんか。
新聞やニュースが、どーした、あーした、などと言ってるものの殆どは、お金に関するものばかりです。
国会で法律がどーしたとか。
利息制限法が改正されたとか。
そんなもの、改正するならするで、勝手にやればいいってなもんなんでしょ。
こちとら、そんなもの、何十年も前から想定済みと来てるんだから。
今更、そんなチマチマとしたニュースなんか見る必要は無いんです。
はやりの新商品とか、時代のトレンドなんてものも、やるべきことが何も無い、暇な人間が気にすればいいのです。
(と、飽く迄も強がって見せて、)想定済みの内容は以下のとおり。
まずは、自分が我が人生において何をすべきなのかをお決めください。
(簡単に言ってしまえば、自分の好きなものは何ですか。お探しください。)
↓
探し当てれば、自ずと、そのライフスタイルにおける必要な金額が決まって来る筈です。
(例えば、畑を耕し自給自足の暮らしをするっていう人は、大したお金が必要ないってこと。)
↓
必要なお金の額が決まれば、己の人生において、不必要なお金を不必要に追い回す必要は無くなり、従って、お金にまつわるニュースも不用になります。
↓
ニュースが不用になれば、世の中や他人のペースに合わすんじゃなくて、自分のペースで生きられるようになります。
↓
結局、世の中の種種雑多な動きは無視できるという寸法。
(でんと構えて、眼下のうごめきを肴に、酒でも飲めばいいでしょう。)
ライフスタイルを、独立独歩、誰にも頼らずに、自らに拠って立つと決めてしまえば、次の段階には、自己責任に関する種種雑多なニュースが不必要となるのです。
誰が何処でどのようにして騙されたとか。
誰が何処でどのようにして殺されたとか。
誰が何処でどのようにして事故をしたとか。
などの、己の命は己で守ろうじゃないか的なニュースは、毎日毎日繰り返し見てもしょうがありません。
我らは、そんなニュースは一度見れば十分なのです。
一度見ただけで、それらに対応した思考と体制を取れるのです。
マンションを買って騙されたとか、商品先物取引で騙されたとか、なんて泣き言は言わないのです。
そんなこと、騙される可能性を知った上での行動なのですから。
騙されたのなら、そんなことは忘れてしまって、余裕を持って確保していた資金にて、直ぐさま再出発なのです。
どうってことありません。
ねっ、こうして見れば今更、新聞を読むなんて必要はありませんよね。
ニュースを見るなんて必要もありませんよね。
森羅万象これ全て、もう既に想定済みなのです。
対応済みなのです。
お金、自己責任と来れば、次に来るのは、行楽情報や芸能界、スポーツ界の話題でしょうか。
さて、ここでひとつ注意事項です。
「人に頼らずに生きろ」と言いましたが、ここでの「人」とは、「他人」を指します。
「家族」には遠慮なく頼りませんか。
行楽などは、家族に大いに頼って大いに楽しみませんか。
それが家族ってもんです。
でも、行楽について今更、新聞やニュースに教えて貰う必要はありませんよね。
なぜなら、我らはとっくの昔に、自分流の楽しみ方を開発済みなのですから。
何年生きてると思ってるんですか。
芸能界やスポーツのニュースなんか、日々追い回す必要は無いのです。
適当な時に、適当な程度に、という具合に、我らは、世間に振り回されずに自分流に楽しむことが出来るのです。
さて、他人に頼らずに生きて行く。
そうすれば、新聞を読む必要は無くなり、ニュースを見る必要は無くなった。
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