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禁煙に挑戦!
禁煙に挑戦
とうとう、自分史上に残された最後の課題であり、汚点であり、最強の敵である、タバコへと挑戦状を叩き付けました。
『価値辞典』の挑戦です。
自分では、極めて合理的な思考ができる人間だと、そう思っています。
(誰も言ってくれないので、自画自賛。以下も同じ。)
無駄なことは一切しない。
する意味の無いことは一切しない。
そういう思考の持ち主なのに、ことタバコに関しては、言語不明瞭極まりなく、合理的でないこと甚だしいのです。
健康に良くないことは、知ってはいるが、タバコが止められない。
周囲の健康を害することは、知ってはいるが、タバコが止められない。
タバコは吸いたいが、肺癌や口腔癌では死にたくない。
タバコの煙を自ら吸うのは仕方がないことだが、他人が出すタバコの煙は真っ平ご免だ。
などなど。
これらは、言語不明瞭とか不合理等で片付けられる程、まともな思考とは思えず、従って、彼らとの論理的会話の成立は疎か、おおよそ同じ人間として、まともに付き合えるとは想定できないのです。
「止めたいが、止められない。」
だと。
よくもまあ、こんな身勝手な、しかも、訳の分からない考え方ができたものです。
タバコを美味しいと感じることは、年に数回しか無く、いつもは不味いと思うし、気持ちも悪い、時には、胸が締め付けられるような、そして、刺すような痛さを心臓に伴うこともあり、さらに、それらから想起される、肺の中の悲惨な状況や、開胸手術の恐怖や死へのイメージ等で、体中の血の気が引く思いなのです。
「それでも尚、タバコを吸うのか?」
自分への怒りでワナワナと手が震え、バカじゃないのかとの思いと、情け無さと不甲斐無さで吐き気をもよおし、動悸や目眩で卒倒しそうです。
こんなに弱く、惨めったらしい人間が、実際この世の中に居るのか、との疑念は、実は自分に向けられていることであって、また、他人事のように好き放題に表現してきたことは、すなわち全て自分のことであったかと気付き、更に新たなる自己嫌悪で嘔吐しそうなのです。
かくして、『価値辞典』は、2003年10月30日、18時15分に吸ったタバコを最後に、禁煙しました。
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