自分探し厨の深層心理てすと【価値観辞典】

愛する人を見つけ!その人と暮らす

かくいう私も、世間一般の方々とは価値観が違います。

いいじゃないですか。人生の数だけ個性があるのですから。

題名 - 愛する人を見つけ!その人と暮らす
投稿A


新学校へ行き、いい大学に行き、一流企業に勤める。

そうすれば、仕事、恋愛、お金、そのほか、いろいろ、いい思いはできたんだと思います。



でも、現実にはこのようなレールを歩いてきて後悔している方もたくさんいます。

途中で、自分の人生には虚飾ばかりで何も無いと気づく人々も現実には多いのです。




これらのことを追いかけていると、(その人の)人生にとって一番重要なことが見えなくなってしまうと言う事です。



私は、恋愛を成就させようかと言う頃に、その恋愛にショックを浮けたことから、忘れるため、仕事とお金を求めて生きてきましたが、ある程度の仕事をこなした頃、気が付きました。



終着駅が見えてきた頃、お金も仕事も、私を満たさなかったと気づくのです。

至上の恋愛を自ら失った私には、その恋愛こそが出発点であり、答えだった、全てだった、究極だったと言うことです。



どんな生き方を演じて見ようとも、虚しい限りであり、至上の愛を失って生きる私こそ、抜け殻と言えます。




当時は、それが、くだらなくて、自分なりに、筋を通して生きてきたつもりです。

それで、良いんじゃないでしょうか。



世間体も気にせず1人で生きられるなら。

好きなことを求め、世の中の何かを否定し、自らの意思を貫くのも人生です。



武道や宗教での悟りを求めたり、自給自足の自然との対話、芸術や演劇、ボランティアにとことん打ち込む人もいますが、これも、素晴らしい人生だと思います。



でも、貴方が生活するうえでそれなりの収入を求めると言うなら、結婚して妻子を養ってゆくとなれば、筋は通せません。

人間として家庭を築いて生きるなら、くだらないと思えることでも消化していかねばなりません。


題名 - 愛する人を見つけ!その人と暮らす
投稿A


しかし、大人になれば、自分の選んだ、道が、人生において、損をしていることに築きました。

利便さ、物質的満足の面では損ですね。



いくら、モラルを守ったところで、人には、評価されない。

評価されなければならない世界に存在する人にのみ必要でしょう。



人って、結局肩書きで人を判断するんだな。ということがわかりました。

人間自体、長く観察しなければ(会社にとって)判りません。



だから、書類で学歴社会での成績や所持資格から、判断するしかないのです。

残念なことですが人間性、性格、優しさなどは判断基準ではないからです。




昔は若かったので、自分を通すこともできましたが、今はできません。

それは、僕だけではなく、苦労している方々にも言えることです。



そうですね。

私も貴方の気持ちがよく判ります。



若いって事は、時間がある事、生活を犠牲に出来ること、何より体力と精神力もある。



(年をとった方も、組織に於いては頭が固いですが、精神力や判断力技術力など素晴らしいものがあります)

でも・・・仕事など何らかの表現で社会における自分を形成しなくては成らないですね。




愛する人を見つけ、その人と暮らす毎日を目標とする・・・なんてのはどうでしょうか。

人は目標を置くことで色々なことを経験(頭に入る)します。



相手の期待に応えてみたいと思ったり、子供を育てる中で、自らが育てられていることに気づいたり。

貴方の終着点に、どんな感想が待っているか判りませんが、人間一人じゃ生きられないです。



学歴、趣味、親戚の家系、職業・・・結婚には色々と気にする方が多いですが、そもそも結婚なんて、『好きだからずっと一緒にいたい』ってくらい、本来は単純なものなんです。




人間は何度も生まれ変わってくるものだと思います。



最初、肉体を持つものとしてゴキブリになってただひたすら生きることを勉強し、

→ネズミになって子を育てることを勉強し→



小鳥になって群れることを勉強し→

猫になって色々なものに興味を持つことを勉強し→



犬になって人間との間に生じる愛を勉強し→



猿になって猿の組織社会を勉強し、そして人間に生まれるというように、その肉体に入るに相応しい『魂』を勉強するために何度も生まれ変わりがある・・・なんていう風に、私は世界を描いています。

題名 - 愛する人を見つけ!その人と暮らす
投稿A


仏教徒では有りませんが、100%仏教概念です。

一度人間に生まれたら、下等動物に生まれ変わることは無いので、人間を卒業し、ひたすら仏を目指してゆくのだと。



こう思うことで、今の納得行かない現実と、悲しい後悔を、『これを学ぶために、これを魂に焼き付けるために生まれてきたのだ』と考えるようにしています。



私は、『好きだからずっと一緒にいたい』という事を、『愛する人の手を離してはいけない』という事を、絶望の後悔から学んだことになります。

だから、今の人生は、今の人生だと割り切って、どうせなら活性化して人生を生きて見ませんか?




世間の評価基準と自分の評価基準が違うんだな。とおもいました。

かくいう私も、世間一般の方々とは価値観が違います。



いいじゃないですか。

人生の数だけ個性があるのですから。



まだお若い、白紙から人生。

夢を描いてください。

出来るだけたくさんの色を使って。

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